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●『赤塚不二夫展 ギャグで駆け抜けた72年』
断して御堂筋を歩くのもいいかと思い、23日の日曜日に大阪心斎橋の大丸まで見に行った。いつもなら3つほどの展覧会を見るので、赤塚不二夫展のためだけに出かけるのは億劫であったが、INAXギャラリーに立ち寄り、またネット・オークションで落札した本を直接店に受け取ることを考えた。



●『赤塚不二夫展 ギャグで駆け抜けた72年』_d0053294_2145680.jpg結局御堂筋を大阪から難波まで歩き、帰りは天神橋筋商店街を歩いて古書店を覗き、スーパーで買い物をした。10キロほどは歩いたと思うが、普段運動不足なので、それくらいはたまに歩かねばならない。御堂筋を歩いて面白い発見があるかと思ったが、それはなく、持参したカメラを使うことがなかった。赤塚不二夫展は赤塚が亡くなる1、2年前に阪神百貨店か京都文化博物館であった気がする。ムンクの「叫び」など、名画のパロディ絵が展示され、あまり面白いとは思わなかったので、今回も期待はしなかった。漫画の原画が見られるとはいえ、筆者はあまり漫画の原画に関心はない。漫画家の作品は印刷された漫画そのものであって、こうした展覧会で回顧すべきものは基本的には何もないと考える。だが、チラシが派手な色使いでなかなか面白く、また赤塚の登場をリアル・タイムで体験した筆者は、それなりの懐かしみがあって、一種の義務としても見ておくべきと思った。会場は大丸北館で、これは旧そごうのことだ。そごうは閉店する少し前に店内を大きく改装した。展覧会用の会場は14階にあって、大丸に権利が移ってから初めて訪れた。そごう時代そのままであったのは、改装の必要がなかったからだろう。大丸はいい買い物をしたことになる。大きな会場に小さな原画を展示するとなると、かなり空きが出来るから、そこは工夫して原画を拡大して垂れ布にプリントすなど、美術で言えばインスタレーションのような展示が行なわれた。それは本来の漫画の味わいからすると邪道とも言うべきだが、不思議と漫画のコマやその内部に描かれる登場人物は拡大すると冴える。本来記号のようなキャラクターであるから、どのように拡大しても、いや拡大した方が訴える力は大きくなる。それを思ってのことか、チラシやチケットには、バカボンのパパの顔が大きく印刷された。そして、これは漫画の1コマから抽出して拡大したものとばかり思っていたが、チラシに印刷されるものは原画の原寸大だ。赤塚自身がそのようにバカ大きく描いたのだが、そこに赤塚の工夫への挑戦心がある。
 以前に書いたことがあるが、「天才バカボン」は連載の後半期に入って、さまざまな実験が行なわれた。弟子に代筆させたり、左手や足で下手くそに描いたり、1ページ1コマのコマ割りにするなど、面白さをストーリーとは別の手法に求めた。そうした考えは藤子不二雄にはなかったし、他の漫画家にもなかったと思う。「天才バカボン」は当時の大学生に高く評価されたと思うが、それは常識的な漫画の手法を打ち破る面白さをとことん追求し続けたからだ。それは子どもに理解されないものという見方は正しくない。子どもはそういう製作の根幹にかかわるアイデアを、そうとは認識せずして分別把握する。そういうアイデア主義は、赤塚より一世代ほど後の、たとえば音楽家で言えばジョン・ゾーンに色濃く見られる。そしてたとえば小説家でも、似たようなことを誰しも考えるはずで、そういう斬新な手法こそがいつの時代でも最も求められている。そこを理解して形あるものに表現する才能があれば、歴史に名を刻むことが出来る可能性が大きい。藤子不二雄は偉大なるマンネリを自覚してそこから踏み外さなかったが、赤塚は体当たりで砕け散るのをいとわず、また自分自身が退屈せずに済むように、常に新しい何かを追い求め続けた。それはいつまでも可能なことではない。そのため、早い段階で酒浸りになった。そしてそこからまたまだ見ぬものをつかみ取ろうとし、そして時にそれが可能となった。赤塚は酒浸りになりながら72歳まで生きたが、仕事らしい仕事は50代で終わっていたのではないだろうか。晩年には点字本を手がけ、そのことを詳細に知りたかったが、今回は展示されなかった。それは、漫画の内容は古い時代のままで、それを単に盲人用の本にしただけという理由からだろうが、それもまた誰も試みなかったことであり、盲人にもギャグが伝わるかどうかの、赤塚なりの思惑があった。実際盲人にも面白さは伝わったが、そこには、漫画の線をなぞって、キャラクターの個性が盲人にも理解されるという現実があった。それほどに赤塚の生み出したキャラクターは限界まで単純化され、それでいて他と峻別されるものであった。
 赤塚の生んだ名キャラクターの数々は、それらが登場する漫画を知らずとも面白い。今回それを等身大に拡大して刳り抜いたパネルが、一堂に通路の両側からはみ出て設置されている壮観なコーナーがあった。パネルの表側と裏側に描かれ、小さくキャラクターの名前も記されていたが、そのコーナーを見るだけでも今回の意義があった。漫画をどう構成するかという実験のかたわらで、赤塚は新しいキャラクターを生み出す思いに駆られた。そして、ありあまるほどのその数が生まれた。「天才バカボン」にはバカボンよりもそのパパが有名になり、また何かと言えば拳銃をぶっ放す目がつながった警官や、道路をいつも掃除しているおじさんも強烈な個性を放つようになった。こうしたキャラクターは時代が生んだものと言えるが、時代が変わった今でも輝きを失っていないように見える。そして、そうしたキャラクターは、日本では誰でも知るほどに有名だが、アメリカのポパイやスヌーピーのように世界中に知られる存在になり得るかと言えば、それは言葉のギャグが理解されにくいこともあって、かなり疑問視される。赤塚漫画がどれほど翻訳されて外国に出ているのか知らないが、アニメや漫画が現代日本を代表する文化となっているとして、赤塚の面白さがまだ理解されにくいとすれば、そこにはまだ漫画王国日本のリードする側面が眠っているように思う。つまり、まだまだ安泰であるということだ。言い替えれば前衛のまま最後まで残るのが赤塚漫画ではないか。何年か前、吉本の芸人のギャグがどれほど外国人に認められるかどうかを試すTV番組があった。そこでほとんど理解されなかったのはアホの坂田であった。筆者はそこにむしろ吉本芸人の底知れない深みを思った。国際的な基準からすればアホの坂田の芸は、芸とは言えないほどのアホらしいものだ。芸とは磨くものであり、性質そのままを晒すことではないという見方からすれば、アホの坂田の芸はどこにも面白さはないが、であるから貴重という気がする。何でも国際的に認められるからいいというのでは面白くない。全く世界では認められないが、その国の人だけが面白さが理解出来るものがあってよい。いや、本来はそういうものではないかという気がする。文化とはそれほど根深いものであって、それほどに根深く育ったものでなければ本当に面白くはないのではないか。日本はすぐに国際的にどうかなどと気にするが、国際的でなくてもいいではないか。そう簡単にわかってもらっては困るというくらいの態度がほしい。赤塚の漫画もそのような味わいを秘めているのではないか。
 会場は予想以上に満員で、筆者の世代から小学生までいた。小学生があちこちでゲラゲラ笑っている光景は、赤塚がきっと喜ぶものだ。とにかくアホらしくて面白い。そこに理屈はない。理屈抜きで面白いことを赤塚はいつも考えていたと思う。それが今の小学生にそのまま理解されるのはいいことだ。起承転結や教訓など、月並みな漫画や物語にあるものは採用しない。漫画を見ている時だけ、それに熱中し、時間を忘れる。そういう漫画の効用を赤塚は目指した。それは社会があまりに息苦しいために必要な薬であったとも言えるし、今後もその薬用は持続するだろう。それは大きく見れば不幸なことかもしれない。そして、その不幸な現代には、一方で過激な性表現の漫画が量産され、漫画という領域の拡大がなされ続けているが、赤塚はそうしたポルノ漫画の氾濫をどう見たかと思う。赤塚漫画にはそういう部分はなく、何でも笑いに結びつけてしまう考えこそが最大視された。筆者が思う漫画像もそれだ。ポルノ漫画はポルノ写真や映像に満足出来ない代替品と思うが、大人から小学生までという赤塚漫画に比べると、あまりに隠花植物的だ。不幸な時代にそうした漫画が生み出されるのは理解出来なくもないが、赤塚がそこに踏み入れなかったのは、実験精神旺盛な割りに限界があったと見るよりも、劣情を漫画で表現することの限界を知る一方、漫画でなければ表現出来ないものとは考えなかったからではないか。それはさておき、漫画がすぐにアニメ化されることは、すでに赤塚の時代からあった。「鉄腕アトム」辺りが最も早い例で、これはポパイやミッキーマウスのアメリカ文化に倣ったもので、TV時代にはそれが当然のように拡大した。だが筆者は日本の連載漫画のアニメには全く関心がなく、まともに見たことは一度もない。漫画は1ページごとにコマ割りがあって、そのコマの間は想像で補う必要がある。アニメもカットごと、つまり場面が変わるごとに、それと同じ思考を働かせるが、その各場面描写と転換が実写の映画のように複雑になると、先のポルノ漫画と同じようなことになって、実写版を越えるものにはならない気がする。宮崎アニメがそのいい例で、筆者は1本もまともに見たことがないが、それは実写映像を意識した繊細な描き方が、漫画とは逆行していると思う。つまり、実写でもなく、漫画的でもなく、中途半端なものだ。その意味から、赤塚漫画は漫画の頂点にあって、しかも王道と言える。その赤塚漫画がアニメになった時、宮崎アニメのように微妙な動きまで描いたものではなく、ごく安っぽい、漫画のコマをそのままわずかに動かしたようなものがいいと思うし、またそうするしか方法のないものが、赤塚漫画の本質ではないか。今回新作アニメが上映されていた。画面の周囲は黒山の人だかりで、なおさら見る気がしなかったが、ちらりと見たところによると、声優がいい味を出していた。これはアニメならではで、漫画にはない特性だ。そしてその特性に赤塚は生前気づいていて、アニメ化を喜んでいたのではないだろうか。
 赤塚は晩年になるにしたがって、バカボンのパパそっくりの風貌になった。それを意識したからだろう。また赤塚は2回結婚し、ふたりの妻とも先立たれたが、二度目の妻は最初の妻の紹介でもあり、赤塚に献身的に尽したという。そうしたエピソードは作品とは無関係だが、赤塚の性質を知る手立てにはなるだろう。赤塚は女性に尽されるほどかわいげがあった、あるいはふらふらして頼りなかったことになるが、そこに赤塚漫画の本質が見えている気がする。作品と人格が一致していた、あるいはそれを目指していたというべきで、赤塚は純真であった。金に頓着せず、まして女にはなおさらであったろう。そういう赤塚であったから、あのような多くの愛すべきキャラクターを生み得た。さて、赤塚はレレレのおじさんなど、杉浦茂の影響を受けているが、それをさらに印象づけることを今回初めて知った。「おそ松くん」の連載が始まった時、赤塚は6つ子の顔をいちいち描く手間を省くために、いくつかの決まった顔を紙焼きの写真で量産し、それを切り抜いて原稿に貼りつけることを思いつき、実行した。現在その部分は茶色に変色しているが、描いた当初は描いた部分と同じ白地で、印刷すれば貼りつけたとは思えなかった。だが、赤塚は間もなく切り抜いて貼る手間が描く手間より大きいことに気づき、全部手描きすることに転換した。筆者は小学生で「おそ松くん」の連載開始に遭遇したから、今回展示された原稿の漫画は見ている。だが、当時は貼りつけに気づかなかった。ほとんど半世紀ぶりにその事実を知ったが、赤塚のそうした手法は、印刷ということをよく知ってのことで、それもまた漫画の新たな手法の駆使で、しかも杉浦の影響がどこかに感じられる。杉浦は、過去に用いた原稿を、1ページ丸ごと、あるいは数コマをそのまま新たな漫画に組み入れて再利用した。その過激な手法を赤塚が知らなかったはずはない。そしてそれを越えることの困難さもよく知っていた。そこで、杉浦のそうした手法をいかにもっと面白いものに昇華するかが目的となったのではないか。世代の差もあるだろうが、筆者は杉浦のギャグが超現実ではあっても、さっぱり面白いとは思わない。その点、赤塚はどのキャラクターも現実に根差した、どこにでもいるような、そして偉くもないような庶民に設定した。その庶民感覚は昭和ならではだが、モダンを過ぎた後のその庶民性を筆者は愛する。偉い存在になって、庶民からかけ離れることを赤塚は望まず、むしろ日陰の身に同情したように思う。赤塚漫画に流れるそうした優しさは漫画の基本ではないだろうか。
by uuuzen | 2011-01-27 21:45 | ●展覧会SOON評SO ON
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