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●見かけた植物、その2
ぎ見て写真を撮った皇帝ダリアと、見下ろしたホウキグサらしき草を昨日は採り上げた。今日も同じようにふたつの角度から撮った最近の写真を掲載しよう。



見下ろす方向と見上げる方向のふたつの眼差しでいつも物事を見ているとすれば、これはバランスがよくていい。自分の背丈より高い花木も、地面から数十センチ程度の草花にも味わいがあるが、花木は花をつけていなくてもいつでも幹や枝が見えているのが、安心感があっていい。だが、小さな家で庭の面積が限られるでは、花木はたいてい諦めざるを得ない。それを筆者は無茶をして、通常庭に植えない合歓木を生やしているのであるから、よほど変わっていると近所からは思われているだろう。この合歓木は今頃になると、平たい豆が7、8個並んで詰る硬い莢を何百と地面に落とすので、この始末が面倒だ。食べられる豆であればいいが、厚みは2、3ミリ程度の薄さで、食べられるとしても量はしれている。であるから、どうせ植えるなら、梅の木の方がよい。何と言っても梅の実がたくさん出来ると梅干しや梅酒が毎年味わえる。スーパーで買って来るものとは違って、多少まずくても自分の庭で収穫出来れば、愛着があって味は格別だろう。また、何でも買って来れば済むという思いは気に食わない。梅もいいが、柿でもよかったかなと思う。わが家の近には柿を植える家が目立ち、雀や烏など、さまざまな鳥がそれを食べている光景をよく見る。自分の家に柿があれば、鳥たちに食べてもらって、その姿が観察出来た。だが、合歓木や椿にも鳥はやって来るから、柿がいいと思うのは自分が食べたいという理由が大きい。今年はそう言えば柿は数個を2回手に入れただけで終わった。小さな柿1個が100円もするでは、とても口に入らない。今年、柿は不作であったという。干し柿もあまり作られていないらしい。干し柿は好物なのに、それも口に入らないだろう。柿で思い出したが、筆者の身内(血のつながりはない)の同年齢の男性は、福知山で育ち、小さい頃から甘いものと言えば柿がおやつで、食べても食べても減らないほどあって、うんざりしたそうだ。そのため、大人になって柿には見向きもしないと言う。何でもそういうものか。たまに食べるからいいのであって、どんなものでも毎日となるとありがたみがない。花も1年のうちのわずかな日しか咲かないからきれいと思うのと同じだ。なのに今の日本ではハレもケもなく、毎日お祭り騒ぎをしようとする。そう言えば筆者もこのブログを花が咲くように1年の数日程度はお祭りをすべきか。だらだらの長文は単なるアホということだろう。
●見かけた植物、その2_d0053294_8421157.jpg

 11月下旬から近くの嵐山東公園の近くを散歩している。自転車道路の起点がすぐ近くにあって、自転車競技の選手だろうか、練習している人をたまに見かける。最も多いのは70代の老人の散歩だ。同じコースを何度も往復している姿をよく見かけるが、楽しいだろうか。渡月橋から桂川の下流を700メートルから800メートルほど下がった付近で、観光客はほとんど歩かない。地元の人でも通る人は少ない。土手に車1台が通ることの出来る舗装道路があって、その両脇には今から20年ほど前は桜の老木が等間隔に植わって、花の季節は桜のトンネルになっていたが、どんどん枯れ、またそのまま放置するので、今はかなり減っている。これを自治会で問題にして、筆者が府庁に行った時に、役人に説明した。だが、国土交通省の管轄で、どうしようもないと言う。その土手は、桂川が増水した時に堤防の役目を果たすので、地盤は強固に保つ必要があるが、桜の老木は根元を空洞化させて洪水時にはそこから堤防が崩れると言う。つまり、桜は迷惑で、枯れるのは幸い、出来るならば全部枯れてくれれば管理もしやすいということだ。それらの桜は6、70年ほどの樹齢で、全部枯れてもいい頃だが、そうなると、嵐山の桂川沿いの土手には1本の桜もないという景色が出来る。で、その桂川の氾濫だが、桜が植わっているのは、普段水が流れている岸辺からは200メートルは離れている。そこまで水が上がるというのは、おそらく降水確率で言えば2万年に1回くらいだろう。あるいは2000年でもいい。そんな洪水に備えて、新たな桜を植えることは許さなれない。この漫画以上にばかげた考えはどうか。2万年にいったい何世代の桜が交代するのか。ついでに書いておくと、筆者の住む桂川右岸とは違って左岸は右京区で、罧原堤と呼ぶ。その堤に昔のように桜を咲かせようと地元の自治会が2年ほど前に立ち上がった。苗木や人手の費用をどう捻出したのかは知らない。新聞沙汰にもなったらしいが、国土交通省が激怒し、ただちに全部引き抜くことを命じた。そのため、元のとおりの殺風景になった。役所の人間は、もしもの時に責任を取るのがいやなだけのことで、また花に何も感じない。そうかと思うと、大阪では安藤忠雄が中心となって、市民の手で川沿いに桜を植えるプロジェクトが進んでいる。そこは桂川の水辺から200メートル離れた土手ではなく、もっともっと接近している。それが許されるのは護岸工事がしっかりと出来ているからだろうが、それだけが理由でもないだろう。有名人が動くと市長や知事を説得しやすく、また国土交通省も目をつぶるのではないか。桜は駄目だが他の木ならいいのかもしれない。いっそのこと棕櫚並木にして、嵐山を亜熱帯風の景色が見られる名所としてイメージ・チェンジをすればどうか。ついでに、町並みはみなスペイン風を義務づけるというのもいい。
●見かけた植物、その2_d0053294_8424985.jpg

 土手沿いの道路を歩いていて、ふと目についたのが、たくさんの実をつけた名の知らない大木だ。実があまりに多いので壮観だ。1粒手に取りたいと思いながら、少しのところで手が届かない。名前を調べると、どうも栴檀らしい。花を見たことがないので、来春は確認しようと思う。わが家から徒歩400歩のところに植わっているうえ、樹齢20年以上にはなると思えるのに、花を見たことがないとは、よほど筆者はその木の花期には別のところをほっつき歩いていることになる。栴檀という名前は筆者には馴染みだ。京都に出て来たのは友禅の師に就いて学ぶためであったが、ちょうど2年経って、ある染色工房に転職した。その工房の親会社の呉服問屋は「栴檀」という名前であった。また、大阪中之島には「栴檀木橋」があることは昔から知っているが、この木の実物を見たことはなかった。正確に言えばあったと思うが、花も実もない時期で、特に変わったこともなく、印象にうすい。土手沿いにぽつんと1本だけ孤立しており、また他の場所では育っていないので、鳥が実を運んで来たものが根づいたのだろう。高さ10メートル以上もあって、庭に植えるなら、最低100坪は必要だ。黄色というほどではないが、白とは言えず、それが鈴なりに実る光景は楽しい。どんな味がするのか気になるが、まさか毒はないだろうと思って調べると、数粒で人は死ぬらしい。その栴檀の木を仰いで写真を撮った。葉が全部落ちて、実だけが下を向いて無数に連なっている。小野竹喬の絵を思い出しながら、背景の雲と青空が市松模様になるような角度を、また樹形が左右対称になるように撮った。今日の見下ろす写真は、「おにおにっ記」に以前書いたが、3階のベランダに置いている多肉植物で、今年もコノフィツムとリトープスに花が咲いた。今年は空前の猛暑であったにもかかわらず、半日陰に置かねばならないところを、年中同じ条件のところに置き続けているので、コノフィツムの1鉢が枯れた。上の写真の左下がそれで、枯れたものは抜いて、土を指でほじくって他の鉢に分けた。水やりはだいたい1週間に一回で、水を与えるたびに土が鉢底から少し流れ出る。そのため、土は足してやる必要があるが、多肉用の特別な土でなければならない。水やりは一応忘れずに守ってはいるが、3階で長らく仕事をしていないので、つい忘れがちになり、水を与える時だけ見る始末だ。また栄養液は買っていないので、与えたことはない。植物を大事に育てる意識はかなり欠如している。それでも健気に小さな土くれの上に小さな花を咲かせる。上の写真は11月26日、下の写真は12月4日の撮影で、花の寿命は短い。だが、水やりと環境をそれなりに守れば毎年咲き、また確実に株が増える。
●見かけた植物、その2_d0053294_8431950.jpg

by uuuzen | 2010-12-19 08:43 | ●新・嵐山だより
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