人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●『Hammersmith Odeon』解説、その5
辞に溢れるピーター・ウルフによるライナー・ノーツだが、正式にザッパのアルバムに書くのは初めてのことで、これはゲイルの依頼による。今年10月にカリフォルニアのマリブで書かれたものだ。



冒頭は大文字で「ザッパのファンではなかった」とし、最後の近いところでは、同じ大文字で「80年初頭にザッパ・バンドを去る時にはザッパの絶大なファンになり、今なおそうだ」と書くところなど、文章は面白く仕立てられている。また、なかなか興味深い記述がある。それはザッパに大統領選への出馬を奨めたことだ。後年ザッパはその意志を示すが、そこにはピーターの言葉の影響があったかもしれない。また、ピーターが出馬を提言したことは、それだけザッパと政治に対してある程度突っ込んだ話をしていたためとも受け留めることが出来るし、ピーターがザッパの知性を最大限に理解出来る人物であったことを示す。ピーターはザッパのことを今までに出会った中では最も知性のある人物を書いているが、知性のない者にとっては、眼前にそういう人物がいてもそれがわからない。あるいはそうではない人物をそうだと誤解する。それはともかく、ジャズ畑で活動し、マイルスやトレーン、パーカー、ウェザー・リポートなどを崇拝していたピーターがザッパの絶大なファンになったことは、ザッパの知性を感じてのこともあるが、その音楽性が理由であろう。あるいは知性と音楽性が密着していた点だ。結果、ピーターはザッパの音楽をジャズの伝統を継ぎながら、それを革新した才能に見えていたのではないだろうか。だが、ザッパはジャズだけに収まらなかった。特に今回のCDではヴォーカル曲が多く、それらの歌詞はディスコ・ブームに因んだものが目立ち、ディスコ・サウンドのパロディ的な面を多く抱える。ディスコ・サウンドは70年代初頭から出現し、ブームが顕著になったのは半ばだ。バンドの生演奏で客が踊るという不経済をやめにして、レコードをかけてそれで躍らせればよいという、一種の貧困の発想による産物だ。また長時間躍らせるためには、繰り返しの多い、単調さがいいということになって、その手の音を奏でるバンドが続出する。そうなればリズム感さえあればよく、安易な曲作りでも売れることとなる。そういう風潮をザッパが苦々しく思いながら、一方では風刺ネタが出来たこともあって、仕事はやりやすくなった。おまけにディスコにたむろする若者は、日本でも同じであったが、セックスが主な目的で、ディスコのトイレは即席の性交場になった。また、アメリカでは10代、日本では20代のそうした若者がレコードを買う主な世代であるから、音楽はそうした連中に合わせたものにする必要がある。それは今も全く変らず、10代、20代の考えていることを見定めない限り、成功はない。それを痛感していたザッパは、自分がすぐに40になるにもかかわらず、10代の若者に向けて、頭のよくない者にも、またそれなりに知性のある者にも面白いと思われる音楽を目指した。それが今回のCDに詰まっている。
●『Hammersmith Odeon』解説、その5_d0053294_055279.jpg

 『シーク・ヤブーティ』はKCアンド・サンシャイン・バンドという、70年代半ばに大きな人気を得た、フロリダ出身の白人黒人混成のディスコ・バンドのヒット曲「Sheik Your Booty」の題名の語呂合わせになっているが、そこからもザッパがいかにディスコ・ブームに合わせた音楽を発表していたかがわかる。だが、ザッパはディスコにたむろするアホな連中をネタに曲を書きながら、徴兵令状が届いて慌てるという、アメリカの現実を示す曲を書いていて、アメリカ国内のうかれ騒ぎの一方で、戦争に巻き込まれる現実を忘れてはいなかった。そして、そういう戦争はたとえばみんなが選ぶ大統領の考えひとつでどうにでもなりかねない危うさのあることをよく知っており、そのために共和党のあやつり人形のようなレーガン大統領を皮肉り続けた。国内の安定があってディスコ・ブームもあり、そのおこぼれに乗ってザッパも稼いだという格好だが、その手段が間違っているとしても、それはアメリカの国政とはどこか相似の関係にもあって、その意味でザッパは最もアメリカらしい音楽家であったと言える。反戦を唱える音楽活動はアメリカには古くから、またジョンとヨーコの活動にもあるが、ザッパはそういう系譜にはつながろうとはしなかった。それとは別の角度で、アメリカの恥部を晒し、自覚を促したとするのが正しいだろう。だが、アメリカにはそうした恥部だけがあるのではない。ザッパが活動出来たのは言論の自由があってのことで、アメリカの恩恵を全面的にこうむっている。これが今の中国なら、まず自宅軟禁か、ムショ行きか。となれば、ザッパは、自分が逮捕されないことを知りながら、何でも茶化しただけというように見られそうだが、そこは逃げるわけではないが、まず作曲家であって、政治家や宗教家その他ではないという思いがあった。つまり、作曲家の立場からザッパを見れば、そうとうに変わった存在で、ザッパのような歌詞を書いた者はおらず、また時代の流行に合わせながら、時にそれを揶揄するような曲を作った者もいない。そして、自分の周囲で生じているディスコといった庶民の文化から、レーガン大統領が関係する国際問題までを視野に入れ、それら全部を作曲の糧に用いる態度は、芸術を芸術の世界のみに分離させないことを示し、そこからは真に現代的な芸術と呼ぶべきであろう。日本には絶えず若いミュージシャンが出て来るが、たいていは恋愛といった、自分の内面だけに関係した世界を歌う。そうした作品をザッパの曲と対比させると、あまりにも陳腐で、また小さな、取るに足らないものに思える。それが日本だと言ってしまえばそれまでだが、「かわいい」の言葉を生んだ日本は、アメリカの傘の下にあって、徹底して丸裸にされ、しかもその丸裸さ加減を逆に「いいでしょう。かわいいでしょう」と周囲に向かって誇示している情けなさ、あるいはしたたかさがある。ザッパの曲が日本ではアメリカやイギリス以上に歓迎されるはずがない。知性のある者はザッパを下品として退け、うまく金儲けすることに走り、また知性のない者はザッパを聴いて本質がわかることはあり得ず、日本ではザッパを聴くファンというものがイメージしにくい。アメリカでも事情は同じかもしれない。そういう人間社会を面白おかしく謳い上げ、また自分もそれなりに楽しい音楽生活に励み、金もよく儲けたというのがザッパの姿で、きわめてアメリカ的、大人の気晴らしには持って来いの音楽であったと言えるだろう。
 さて、ディスク2と3を少し説明しておこう。ディスク2は前半は『シーク・ヤブーティ』と同じ曲が並び、またディスク1との区切りがうまくついている。「I Have Been In You」は14分ほどもあって、ディスク2では最長だ。これはザッパの語りが前半を占めるからで、10代の女性が自分のベッドルームで夢想することを事細かに描写し、それが後半の曲本来の内容に結ぶつく。女性の部屋は膣の象徴ともなるが、ザッパは「I’m in you.(入ってる)」を「I Have Been In You(入ったまま)」に置き換え、より濃厚な性交中の男女が交わす言葉に変換する。同じ語りはドイチェラントハレでの公演にもあった。その海賊盤では「ブティック・ガール」と名づけられ、独立曲の扱いであった。ドイツがイギリスやアメリカとは違ってロック・スターがおらず、その崇拝熱に浮かされる10代の女性の生態を歌ったもので、これをドイツ人は侮辱と感じたであろうが、ドイツがロックの後進国であることは違いなく、そのためにザッパのツアーも歓迎された。このように、ザッパは聞き手の神経を逆なでするところが多々あるが、ピーター・ウルフがザッパに対して「フランク、大統領選に出馬すべきだよ。世界という舞台でぼくたち市民全体を代表するところを見たいものだよ。誰をも同じ方法で扱う才能を持っているんだからね。と言ったところ、ザッパは「そのとおり、オレにはみんながアホに見えるよ。違っていることを証明されない限りはね。」と答えていて、そこにザッパに自信と信条があった。「みんなアホに見える」ということは、物事の本質をすばり見抜く力と、その方法に長けていたからで、簡単に言えば世渡り上手であった。この世渡り上手な才能は、悪くすればお調子者とみなされるが、ザッパのそれは一方で並み外れた努力と才能の裏づけがあった。「Audience Participation」は観衆の参加で、これは舞台で躍らせるためのものだが、その踊りにつける音楽が次に演奏される反ディスコ曲「The Black Page #2」で、ここではディスコ・バンドが逆立ちしても演奏出来ない複雑なリズムが奏でられる。それに合わせての踊りを想像すると面白い。実際にディスコでこの曲をかければどういう反応が出るだろう。「The Little House I Used To Live In」はキーボードとスキャットのために用意されたもので、ザッパのギターはない。ディスク3はザッパのギター・ソロが目立つ。「King Kong」は、主題の後にザッパのギター・ソロがあって珍しい。「Watermelon In Easter Hay」は、「Prequel」のただし書きがある。これは初期ヴァージョンの意味で、まだザッパのソロは素朴な形をしている。これら2曲は、流れとしては余分な印象が強く、アンコール曲であったのだろう。また、この後に続く5曲はどれも2年前からアンコール曲として馴染みのものばかりで、それら全部を収録したことで、3枚組にする必要が生じたのであろう。また、ドイチェラントハレでのレパートリーと比べると、「Wild Love」と「Yo Mama」が欠けており、最後の「Black Napkins」と「San Ber'dino」を省いて代わりに含めることが出来なかったのであろうか。だが、この最後のアンコール曲の連続は、どれも速度があって、疾駆する悲しみのようなものが宿り、年末の慌ただしい時に聴くにはちょうどいい。
●『Hammersmith Odeon』解説、その5_d0053294_065742.jpg

 アルバム『PHILLY ’76』の解説その5で書いたように、メンバーを代えてのツアーを、ステージ丸ごと集として発売しているザッパ・ファミリーだが、今回の1978年1月、2月下旬のコンサートの発売によって、発表状況は下記のようになる。日本公演はオーストラリアでの『FZ:OZ』が代表しているために、発売はないと思える。もし発売されれば、メンバー交代ごとに1作という形式が崩れ、たとえば今回のCDの第2弾が企画されることにもなる。それはもういいのではないか。それよりも下記においてまだ実現していないバンドのライヴを優先すべきだろう。ザッパ生前からのファンは高齢化しており、ゲイルも生きている間に思っている分で全部発売出来なくなる。さきほどディスク・ユニオンで今回のCDが7800円で売られているのを知った。筆者は4757円で買った。やはりザッパ・ファミリーから直接通販で買う方がよい。VISAカードがあれば簡単に買えるので、ファンは試してみてはどうか。また、次回からは数セット買って、1部を手元に置き、残りをネット・オークションに出してやろうかとも思う。うまく行けば自分の分は浮くかもしれない。などとけちなことを考えている。
1、 70年4、5月
2、 70年6月から71年2月
3、 71年5月から12月
4、 72年9月
5、 72年10月から12月(『ZAPPA\WAZOO』)
6、 73年1月から12月
7、 73年12月から74年7月
8、 74年9月から75年3月
9、 75年4、5月
10、75年9月から76年3月(『FZ:OZ』)
11、76年10月から77年3月(『PHILLY ‘76』)
12、 77年10月から78年4月(『Hammersmith Odeon』)
13、 78年8月から79年7月
14、 80年2月から7月
15、 80年10月12月(『BAFFALO』)
16、 81年4月から12月
17、 82年5月から7月
18、 84年7月から12月
19、 88年1月から5月

●2003年4月8日(火)午後 その2
●『Hammersmith Odeon』解説、その5_d0053294_074379.jpgついでに思い出した。桜の木がたくさんある林の隣りにあるもうひとつの林には、そのおじさんが植えたレモンの木が一本ある。観光客が通る道のすぐ横に立つが、松の木などに遮られてよく見えない。運よく陽当たりがとてもよいため、木は充分に成長し、今年は大型の実をひっそりと数十個つけた。ところが地上から4メートルほど上にあるので手は届かない。毎日そのあたりに行ってはどうにかしてその実を取りたいと考えたが妙案はない。それでしばらくは諦めていたが、1月末頃に思い出してそこへ行ってみると、実はきれいになくなって1個も残っていない。誰かが長い棒鋏か何かで刈り取ったのだろう。だがふと地面を見ると草陰に黄色の実が2個見えた。スーパーで見かけるものとは全然違って2個とも形はデコボコしているし、色は渋い山吹色だった。大きい方には3ミリほどの虫食いの穴が開いている。拾った時の嬉しかったこと。両手がレモンの香りでいっぱいになった。持ち帰ってまず写生し、それからボールに張った水に浮かべておいた。夜に早速紅茶にうすく切って入れたが、殺虫剤を使用していないので、いつもより安心感があっておいしかった。虫食いの穴はごく浅く、内部は問題がなかった。レモンの実が思いがけない形で2個手に入ったことは粘り勝ちであろう。しばし見上げつつ、1個でいいからほしいと思っていたことを、天がかなえてくれた。ここまで書いてちょうど今地震があった。びくっとして立ち上がりかけたが、またこうして書いている。話がここでまた変わる。昨日の午後祇園の円山公園の枝垂れ桜を見に行く途中、石を売る店の前で足を止めた。同じような店が新京極にもあるが、こうした貴石販売業者が他府県より多いのかもしれない。というのは今朝こんなことがわかったからだ。ネット・オークションで化石の出品を調べていて、よほど買おうかと思った貴石の断片の出品を見つけた。説明文を読むと、下鴨に貴石や化石の店を出しているとある。やはり京都のあちこちに貴石を販売する業者があるようだ。で、前述の貴石店の前で足を止めたのは、大人の胴体ほどの大きさの桜色した石の固まりを展示ケースの中に見かけたためだ。その石はまるで高級牛肉そっくりで、見方によればとてもグロテスクだ。白やピンクの縞模様が脂肪の筋に見え、人体の太腿を太刀で切るときっとこんな断面をしていると思った。またこんなことも思い出す。何年か前、阪急の桂の駅で飛び込み自殺があって、駅の係員がふたりほど向かい側の線路に下りて、バケツに肉の断片を広い集めていたのを見かけた。淡々とその作業は行なわれ、すぐに次の電車が入って来たから、プラットホームにやって来た人々には自殺があることはわからなかったに違いない。係員が引き上げた後、ふと見ると大きなボールくらいの桜色の肉片がレールの脇にくっついていた。その肉は鳥たちがやって来てやがてなくなったであろう。鮮やかなピンク色の濃淡に白が混じっていて、それは全く昨日見た貴石の固まりと同じで色合いであった。アメリカの爆撃によって手首をもぎ取られたイラクの子どもも、そんな桜色の断面を手首から覗かせていたであろう。桜色の石から桜の花へと続き、そしてその木の下に野晒しになっているドクロへと連想が進むが、若冲のことはまた後で書く。展示ケースの中の桜色の貴石の名前は「インカ・ローズ」とあった。ザッパの曲に同名のものがある。そちらは「インカの道」だが、この石は「インカの薔薇」だ。加工した宝石には何の興味もないが、こうした原石には魅せられる。大人のトルソー・サイズのインカ・ローズは数百万円の価格がついていた。別の陳列ケースには弁当箱くらいのものもあって、それでも50万以上はしていた。そんな高価なものではなく、1、2センチ大の学習標本のようなものはないかと探したが見つからなかった。それで今朝はネット・オークションで調べると、下鴨の業者が2センチ大のものを550円の即決価格で出品していた。拡大画像であるので、縞模様や桜色もまるで昨日の大型サイズ並みの貫祿があった。だが実際は指輪に取りつける程度の小さなものだ。先日書いたメノウ標本箱に入っている12個の小さな石と同じ程度の破片なのだが、この独特の桜色はそのメノウ標本には入っていない。自然がかくもさまざまな色の石を産出するのは本当に驚異だ。結局550円の破片は落札しなかった。下鴨あたりにはいつでも行けるし、店に行って話を聞いてから買った方が面白いと考えるからだ。貴石の破片収集にのめり込む気持ちはなくとも、こうした石のことはいろいろと知りたい。さて、昨日の夕刻は、円山公園で頬をぱっと桜色に染めるアメリカ人の体格のいい娘に心惹かれながら、貴石を売る店とは反対の北側の道を歩いて四条河原町方面に戻った。八坂神社石段下界隈にはお土産屋などが軒を連ねていて、京都らしいミニチュア細工のような飴を詰めたカセットテープ大の小箱が目に入った。これは修学旅行生がよく訪れる新京極の土産屋の定番商品のひとつだが、ちょうどカセットテープをある人に送る用意をしてあって、そのテープと一緒に送るのがいいと思い、2、3箱買うことにした。結局その店では買わずに、道を少し戻って有名な飴屋に入った。カウンターには新商品として桜の花弁に見えなくもない桜色をした平たい飴のかけら試食品があって、1個を口に入れると上品な香りと味が広がった。それも買わずにその店の定番品を買った。
by uuuzen | 2010-12-12 00:08 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
●『Hammersmith O... >> << ●観峰美術館

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?