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●堂本印象美術館
数が無限と思える落ち葉でも、1本の木では数千や数万枚程度のはずで、数えられないことはない。そう思えば1枚の落ち葉でも何となくいとおしい。



●堂本印象美術館_d0053294_17293499.jpg無数にあるように見えるものほど、大切にされないから、案外後世にはかえって伝わりにくい。昨日漢字についての本を見ていたところ、同じチケットが2枚挟まれているのに気づいた。京都府立植物園の入場券で、1980年頃のものだ。堂本印象の抽象画で、植物園の依頼で描き下ろしたものであろう。左上隅に英語、右下隅に日本語の落款があるところから、上下左右がわかる。印象は1975年に没しているから、遅くてその数年前の作画ではないだろうか。こうした半券を残している人はどれほどいるだろう。残しておいてもさほど貴重なものとはみなされないか。裏面には大人100円とあって、現在の半額だ。当時筆者は回数券を何度か買って、同植物園に出かけてよく写生をした。回数券は、文字だけ印刷した小さな紙片が電車の切符のようにミシン目でつながっていた。植物園に通うかたわら、わが家の庭でもチューリップや百合など、作品に使うための植物を植えたものだが、今はあまりそんなことをしなくなった。この印象のチケットを見た時、なかなか洒落ているとの印象を持った。通常ならば、植物園の建物や花壇の写真を使うだろうが、それでは陳腐だ。現在のデザインがどうかと調べると、永田萌の黄色を基調にしたイラストで、これはすぐに思い出した。そのデザインになってから筆者は何度か行っている。だが、それももう20年ほどになるのではないだろうか。印象のチケットは、印刷されていた枚数がなくなりかけた頃に、ちょうど時代も大きく変わったこともあって、急速に有名になっていた永田萌に取って変わられたのだろう。当時永田萌は切手のデザインにも盛んに登場したが、今は画風が飽きられたのか、人気はさほどではない気がする。もう10年も経てばまた新しいデザインが採用されるだろう。そうなると、古い印象のデザインのチケットは貴重になる。あるいはそれ以前のものがもっとそうか。印象の絵以前は、どんなデザインであったろうか。植物園に問い合わせればわかるかもしれない。カラー印刷ではなく、1色だけの素朴なものであったことだろう。
●堂本印象美術館_d0053294_17303274.jpg

 植物園のチケットの印象の絵は、戦後になって印象が試み始めた抽象画特有の印象らしい派手さがあって、子どもでもその印象を強く脳裏に刻み込むものと思える。その意味で、印象の抽象画は、西洋のそれのように難しい思想を振りかざすものではなく、感覚的に見て楽しめばよいものだ。その感覚とは、美しいものをそのように感じさせようとするもので、楽しさを湧き立てることを旨としている。簡単に言えば、幸福な絵画で、その点では無邪気な子どもの絵に通ずる。子どもが植物園に咲くさまざまな花を記憶に留め、帰宅してから自由に描けばこのチケットのようになるのではないか。そう書けば印象の絵の価値が大したことのないように思われがちだが、岡本太郎が子どもの絵を讃美したのと同じように、印象もその何ものにも囚われない自由さを、晩年に向かうほど強く抱いたと思える。そこには、戦争が終わって新しい自由な世界が到来したことを歓迎する気分が反映していたのではないか。ちょうど高度成長に伴って、印象の抽象画は全開した感があり、そのために現在の目から見ると懐かしいレトロの雰囲気が真っ先に立つ。ともかく、絵画への大きな力が印象の内面に最晩年まで保たれたのは、京都画壇にあって特筆すべきことであった。日本画と洋画、具象と抽象の垣根を取り去ったようなその画風は、戦後のモダニズムの感化を体現し、次々と紹介されたピカソなど、西洋の抽象絵画の影響も大きいだろう。だが、それよりも印象の抽象画であらわになったことは、装飾性の追求だ。それは日本美術の大きな特性を極限まで推し進めようとしたことによる。そういう印象の抽象画が植物園のチケットのデザインに使用されていたことは、花を装飾的に描いて来た日本美術の歴史のひとつに頂点を示し、印象の後をどう継ぐかという問題を突きつけていたとも思える。そしてこの印象の作品に代わって、誰の作品をチケットに採用することが妥当かと思われていたところ、京都画壇とは無関係の、全く新しいイラストの世代から永田萌が選ばれた。そのイラストと印象の絵を見比べると、どちらも時代をよく表現しているが、印象が永田のイラストを見たならばどう思ったであろう。日本画や洋画、そして伝統や巨匠といった言葉からは無関係な分野から、それらを軽々と超える才能が現われて来ることを印象は予想したであろうか。永田の絵は子どもが描くことの出来ない技術を持っているが、子どもや女性は歓迎するだろう。そこには絵画というものが時代においてどのように捉えられるかという大きな問題が横たわっている。永田の絵を歓迎する現在の人々が、印象の絵をただ古臭いイメージだと一蹴するのかどうか。そして、今後植物園のチケットに誰の絵が採用されるのか。京都人の時代の流れの読みと深く関係した問題で、この切り口からでも現在の絵画論や京都論が展開出来るだろう。
●堂本印象美術館_d0053294_17313357.jpg 堂本印象美術館についてはこのブログで何度か触れた。「展覧会SOON評SO ON」のカテゴリーでは書いていなかったので、改めて今日採り上げる。だが、残念なことに、館内の装飾にも見所の多いこの美術館は、どこの美術館とも同様に撮影が禁じられている。そのこともあって、カメラを持参しながら、建物の外観しか撮影出来なかった。7、8年前だったろうか、最初に出かけた時には、館内で見かけた特徴的な順路方向を示す標識を小型のスケッチブックに描いた。撮影は許可されないが、写生は文句を言われなかった。ところが、近年は鉛筆による簡単な模写も許さないところがある。欧米に比べて時代が逆行しているそうした措置は日本人の吝嗇さを示している。ガラガラの館内で、5、6分立ち止まって鉛筆を動かすことがなぜ許されないのか。そして、文字のメモならいいという。馬鹿げた話だ。それはともかく、印象は館内に必要な小道具までデザインを手がけた。そのため、この美術館は外観から内部、そして展示される絵画まですべて印象の思いどおりに造られ、印象の絵画と合わせて、まとめて見るには絶好の施設となっている。同じような美術館はバルセロナのフィゲラスにあるダリ美術館を即座に思い出す。同館は劇場を改装して1974年にオープンした。印象の美術館は昭和41年(1966)であるから、印象の方が早い。これは印象がダリより10数歳年長であることも影響している。だが、ダリも長生きしたが、印象はダリとは違って最晩年まで幅広く製作に励み、昭和50年に83歳で亡くなった。つまり、自分の美術館を9年ほどは見た。その間にも内部の装飾には手を加えたことだろう。そうした装飾は、たとえば館内に入る透明な扉の長方形の取手にも凝らされている。その内部には印象の絵を埋め込んである。複製か実物かわからないが、印象の生前からあったものとすれば実物に違いない。それは館の外に属するものであるので、間近で撮影しても文句は言われなかったと思うが、気弱な筆者はその勇気がなく、遠目に撮影した。だいたいカメラマンは図々しさがなくては務まらない。素人カメラマンが写真の構図を気にするあまり、よく平気で桜の枝を折ったり、花を摘んだりしている光景に出くわすが、下品な顔をしたそうした連中ほど機材は立派で、また自分をいっぱしの芸術家と思っているようで、失笑させられる。カメラマンの悲しさは、現実が思いどおりにならなければ、その現実を強引に変えなければならないことだ。
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 画家はそんな必要がない。目の前にある現実、あるいは非現実をどのようにでも変えて描けばよい。印象の抽象画は特にそうだ。そこには写真が逆立ちしても踏み込めない表現がある。脳内の意識が視覚と手と合同して、直接紙に一筆一色単位で描き出されたもので、それは眼前にある光景を機械的に長方形の平面にそっくり定着させることとは全く違う。責任感と言う言葉を持ち出せば、前者はすべて画家の責任のもとにあるが、後者は作者が眼前の光景を作り出さずに選ぶだけであって、写真の一粒子ずつに意識を集中しない分、見る方も簡単に1、2秒だけ見れば済む。脱線ついでに書くと、筆者はよく写真的な文章を昔からよく思っている。そういうことが可能かどうかだ。このブログはほとんど何をどう書こうかと考えずに、冒頭の決めた一文字にしたがって紡ぎ出される、またキーボードのキーを叩く筆者の速度に合わせた思考速度にしたがって、文章を連ねているが、それはある意味では写真的なものと思っている。だが、言葉をひとつずつ選んで文章を構成することは、絵を描くことと大差がない。そこでまた思うことは、即興的な写真だ。それをスナップショットと呼んでいいが、筆者の文章はそれに近いだろう。ともかく、写真を意識せざるを得ない時代に筆者が生活しているのは確かで、こうした文章のどこかにその影響があるかもしれない。写生してよく感じることは、鉛筆で精密に描くと、かなり時間がかかり、それが時にもどかしい。そこである人が、写真を撮れば済むものをなぜわざわざ描くのかと言う。だが、精密に一度は描くことでその対象の本質が把握出来、今度それを本当の作品にする時、かなり早くその作業を進め得る。写真だけならば、そうは行かない。立体を前にした写生は、空間把握の問題が絡んで思考の必要が大きい。ところが写真は立体をある一点から固定して平面として表現するため、その写真をもとに絵を描く場合、何か不自然で、不便を感じ、嘘が多くなる。だが、写真が撮影者の思いもよらぬもの、意識を移さぬものを「常に」に必然的に内蔵する特性を持つことは、考え方によっては大いなる利点で、そういう細部が絵画の制作の場合に役立つことはあり得る。また印象派の画家は写真をもとに製作することがよくあったが、それは西洋の絵画の伝統上にカメラが発明されたことを側面から示し、日本や東洋の絵画の伝統では話が別だ。そして、印象の絵画はその伝統上に、西洋の抽象画を意識したものとなったが、それは西洋の抽象画に負けないものを描く思いよりかは、西洋の抽象画を超えるものが東洋の伝統にあるという思いが強かったのではあるまいか。つまり、印象の抽象画は前衛書から派生した面が無視出来ず、白い紙に筆致を足して行くことで出来上がるものだ。そこには、写真から何かの形状を選んで写すという観念はない。
●堂本印象美術館_d0053294_17325226.jpg

 そうした思想でもなお個人と時代性を強く刻印するところに絵画の面白味と重要性がある。写真もそうだという意見があろうが、画家のように一線一画を自分の手で描くという積み上げの行為とは正反対に、一瞬で何もかも写ってしまうという機械性は、個性を消し去りやすい。また、その簡易性から、ありがたみに乏しい。個性や時代性を刻印することは、それだけ作品の老化が激しいということにもなるが、それは最初に書いた印象による植物園のチケットの絵からも言える。永田萌の絵に取って変わられた瞬間に、それは実際いかにも古く感じ、昭和レトロの世界の産物そのものに見える。それは確かだが、写真を使っていてもそれは同じ、あるいは絵画以上に瞬時に古くなる。それは写真は「あった」ものを写すからだ。あるいは「ある」ものでもいいが、写した瞬間にそれは「あった」に変わる。さて、印象美術館は、その特異な外観から、誰しもいったいどんな施設であるかという思いを抱くだろう。そして、美術館とわかってからも、物珍しさに触れたい人でなければ足を運びにくい。筆者が最初に印象美術館の外観を見たにはかなり昔だ。その頃は閉鎖されていた。それが平成3年に市に作品とともに寄贈された。当時筆者はついにそうなったかという思いを抱いた。市の所有になってからは、定期的な企画展のチラシが毎回作られた。それらの第1回展から筆者はほとんど欠かさず所有している。毎回趣向を変えて印象の作品を見せるというもので、それがもうそろそろ尽きた頃であるから、また振り出しに戻って同じ企画で見せればよい。20年も経てば世代が一新し、20年前と同じ企画内容でも足を運ぶ人がある。だが、そうした思いとは違って、印象美術館は新たな段階を向かえ、印象以外の画家の作品を展示するようになった。そこには関係者の努力がほのめく。印象が亡くなって建物の維持管理が困難になったために市に寄贈されたのだと思うが、自分の作品を散逸させず、また建物も自前で用意していた印象は破格の画家であった。だが、建物はすでに半世紀を経ようとしており、いずれ建て直しをする必要があろう。その時、同じ状態で建てられるだろうか。またその資金捻出が市の財政に認められるだろうか。そうした維持管理についてひとつ思うことは、この美術館の外観が新装オープンに際して塗り変えられたことだ。印象時代の外観はカラフルでもっと派手であった。それが灰色一色になったのは、コンクリートを全体に吹き付けたからであろう。これは印象の思いとは違うはずで、もう少し手がなかったかと思う。だが、柱に巻きつけられた金属板の装飾や、館の前にある金属の彫刻などはそのままのはずで、大阪の舞州にある環境事業局のゴミ焼却場におけるフンデルトワッサーの装飾を先取りした感がある。
●堂本印象美術館_d0053294_17334450.jpg

 館内部のソファのある日当たりのよい窓辺の部屋からは、東方面がよく見える。眼下に見えるのが、通りを隔てて建つ印象の住んだ和風の木造住宅だ。雁が飛ぶような形で屋根が続き、かなり大きな邸宅だ。帰り道でわかったが、そこも市に寄贈された。遺族がよく承知したと思う。売却すれば数億の土地だ。美術館も含めると、想像がつかない大金だ。ふと見ると、自転車に乗って近所の人が来たようで、数人の女性が中に入って行った。その邸宅も展示場として使用されていることをその時初めて知った。催しの内容は茶道だったか、華道であったか忘れたが、建物にふさわしい内容に制限して、無鄰菴の母屋と同じように、借りることが出来るのかもしれない。締め切っていては建物の内部によくないので、適当に人が出入りして空気を入れるのがよい。眼下に見下ろしながら、その光景を写真に撮ろうと思いながら、それがはばかられたので、館を出た時に、入館した時とは違って東側の勝手口に立って撮影した。その門は、印象が本宅と美術館を結ぶ出入り口として使用したものだろう。時間があったので、ついでにその木造の建物の内部に入ってもよかったが、女性の催しのようで遠慮した。またいつか出かければよい。その時は庭の手入れも注目しよう。美術館は西に衣笠山が見えて、絶好の場所に立つ。金閣寺を見た人の幾分かでも訪れるように、もっと宣伝が行き届かないかと思う。そのためには、印象の思いとは違うだろうが、館内のどこかに喫茶室を設けるのがいい。付近に店がないわけではないが、館内でくつろげるのがいい。そんなことを考えながら、同じ日に無料公開していた立命館国際平和ミュージアムに足を向けた。それまで5分ほどだ。途中で多くの大学生を見かけた。立命館は茨木市にキャンパスを作るようで、南草津から一部撤退ということになって、滋賀県が大いに困惑しているらしい。私立大学は結局のところ、札束舞う金儲け集団であるから、学生の確保に仁義なき戦いを繰り広げている。運営費が必要なのは美術館や博物館も同じだ。堂本印象美術館が入館者の激減から閉鎖、せっかくの印象の作品でもある建物は老朽化のあまり解体して、その敷地を立命館に売却ということにならないように願う。
●堂本印象美術館_d0053294_17343997.jpg

by uuuzen | 2010-12-05 17:35 | ●展覧会SOON評SO ON
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