●嵐山駅前の変化、その72(ホテル起工式)
工式が、阪急嵐山駅前に出来るホテルの敷地で6月30日にあった。5か月前のことだ。出席する直前に「その70」と「その71」に掲載した写真を撮り、その足でカメラ持参でホテル敷地内に設けられたテントの式場に向かった。



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カメラを持っていたのは筆者だけだった。しかも、掌に収まる小型のではなく、旧式の大きなものであるから、何となくばつが悪かったが、ブログのネタを撮影する思いが勝った。その日は天気がよく、汗ばむほどだったが、黒のジャケットを着て行った。てっきり、喫茶らんざんの真横に設けられているトラックの出入り口の大きな門から入ると思ってそこに行き、そこを守りる、小太りのがっちりとした体格で日焼けした警備員に訊ねた。この警備員は工事中ずっとその持ち場を担当していて、警備員の代表だ。起工式の1、2週間前だったか、個人的に話をすることがあって、顔馴染みになっていた。そして、今でもしょっちゅう挨拶を交わす。式典場に行くには、その出入り口からではなかった。警備員は、新しく出来た車道沿いの歩道、つまり白い塀沿いの道をぐるりと左手に回ったところに位置する、ホテル建設現場の北側に隣接する阪急経営の大きな駐車場から入れと言う。そのさらに奥に現場監督らが詰めている2階建ての大きなプレハブの飯場があるが、これは6月の中旬にわずか1日で建てられたもので、今までに掲載したホテル建設現場写真のどれかの右端に写っているはずだ。その飯場のかたわらに式典用のテントが設えられていた。テントは式の後に業者によってすぐに撤去された。式典のためにテントをいくつか建て、関係者を呼び、1日費やすというのは、非合理的なようでも、工事の安全を祈願する重要な儀式だ。そういう節目があって、人が長年利用する建物が建つのはよい。ところで、先に書いた阪急経営の駐車場は、当初そこもホテルの敷地になると筆者は思っていたが、とりあえず駐車場の残されるようだ。面積はホテルの敷地の7割程度だろうか、それほど大きな駐車場は、ホテルが出来た際に利用されるかと思えば、ホテル敷地内に駐車場があるので、どうもそうではない。また、この駐車場の通りを隔てて北側の桜の林は、春と秋の行楽の季節には駐車場に変わるが、そうした繁昌期にこの建設現場北側の広大な駐車場も使えばいいのに、それは行なわれていない。ともかく、この駐車場内に筆者が踏み込んだのは起工式の当日1回のみで、駐車場から最も建設現場敷地内に接近したところで、上に掲げるパノラマ風に写真を撮った。右の部分だけ大きな画像を用意したが、青い縞模様のテントの内部が式場だ。赤いテントは控え室であった。飯場の前を通ってテントに行く際、これも二度とないと思って、飯場に掲げられていた工事の安全を考慮しての看板を撮影した。その飯場はホテル敷地内ではなく、それにぎりぎり接する阪急駐車場の元も目立たない西奥にある。その飯場の10数メートル西は筆者の所属する自治会の住民の建物が4軒ほど連なっていて、その間を桜の古木が10本ほど並ぶ。当初これが伐採されるようであったのが、どうにか免れた。ホテルが建った時には、その桜は住居との間にあって目隠しの役目を果たすが、これは花や葉がある間だけだ。
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 式典に参列したのは40数名だ。敷地を貸す阪急電鉄、また設計会社や建設会社、それにホテルを経営する東京の会社という3つの大きな柱に属する人物以外に、市会議員や地元からは嵐電の関係者や旅館の代表者、嵐山保勝会の代表といったところが出るので、筆者は末席と思って気軽であった。自治会からは筆者のほか、2、3の隣接する自治会の会長にも招待状は配られたが、出席したのは筆者と、もうひとり代理で来た男性のみであった。筆者は、ホテルの住所がわが家と同じ町内ということもあって、義務感から参加した。筆者が自治会長の時によくぞこんな半世紀に1回あるかないかの大型工事が町内であったもので、何でも見てやろうという思いもあった。建設会社の人がわが家に直々に招待状を持参してくれたが、その人が式典の進行役で、実に手慣れたものであった。会社内でそういう役割を専属に担当しているようだ。なかなか人当たりのいい人で、顔つきからして初対面の気がしない。それは、筆者が土木工学を学んで学校を出てすぐ、その世界では有名な建設コンサルタントに3年勤務したことがあって、その進行役に似た雰囲気の、つまり工学系の人を見慣れていたからとも言える。控え室のテント内は暑いので、大きな扇風機があちこちで回っていた。以前喫茶らんざんでホテル建設に関して説明会があり、その時に現場監督らの顔を知ってはいたが、大半は知らない人であるから、進行役に言われるままに動くしかない。テントに行ったのは筆者が最後に近かった。そのため、5分ほど待って青いテント内に案内され、式典が始まった。神主は松尾大社から呼んだとのことで、高齢の優しい雰囲気の人であった。祝詞を唱えた後、神主は細かく千切った色紙をざるのようなものに載せ、工事関係者を2名したがえてテントの外に出て、建設現場の数か所にそれを散華のように撒き歩いた。清めの儀式だ。筆者は青いテント内の右手の席が用意されたので、神主の行動の一部始終が幕の下部から覗き見えた。その行動を写真に撮っても誰もとがめなかったはずだが、みんなテントの右手を神妙に見ているし、シャッターを押す時にピピッと音が鳴るので、それははばかられた。このテント内で最低1枚は撮影したかったが、結局それはかなわなかった。神主がテント内に戻って来て、玉串の奉納が始まった。全員ではなく、半分程度の人数が代表して行なった。その代表者について同じ所属の人はその場に立って柏手を打つ。筆者は赤いテント内で待っている時、進行役から、誰それが奉納するので、その時に立ち上がって一緒に手を打ってくださいと言われたが、その誰かがよくわからず、立ち上がる機会を逸した。代理で来ていた人も同じであったが、どうせ末席であるので、進行役もうるさいことは言わず、式典は滞りなく進んだ。式典のうち、最も見物であったのは、最前列左手に用意されていた、高さ60センチほどの土のピラミッドだ。そのピラミッドの頂点に3合ほど入りそうな升型の穴が整形されている。神主は特別製の白木の鍬を持参しており、それで工事の代表者3名ほどが順に、掛け声とともにピラミッドの横っ腹を突き刺して土を崩した。その後、ピラミッドのかたわらに置いてあった白い包みを頂上の升内にそっと入れ、鍬で土が被せられた。白い包みの中に何がはいっているのか大いに気になり、進行役に質問する機会をうかがった。またぜひともピラミッドを撮影したかったが、式典が終わった後、工事関係者のみそのテント内に残る様子で、他の者は宴会場の渡月亭に移動してほしいと告げられ、その言葉にしたがって一斉にその場を離れたため、話をする機会がなかった。
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 宴会は最初の自治連合会の集まりに利用するのと同じ大広間だが、昼間、しかも夏場に利用するのは初めてであった。それに自治連合会の集まりの半分程度の人数であるから、とてもゆったりと席を取ってある。そのため、立ち上がって進行役に話をしに行くことは出来ない。また、筆者は知り合いの多い宴席でもめったに立ち上がることはしないし、人に酒を注がず、もっぱら臨席や向い側の人と話をするだけだ。席は6名ずつが一体となって、それが全部で6、7つあった。筆者の左隣は嵐山を代表する料理旅館の社長、その向いは嵐電の役員、筆者の前は近隣の自治会会長の代理、筆者の右とその前は建設会社の現場監督の若手2名で、まだ20代だ。彼らにも席があったのは驚いたが、欠席者があったので、席を埋めたようだ。建設会社の人たちはみな下ろしたての作業服を着ていた。これは筆者も昔設計会社に勤務している時、現場に出かける時に着用したもので、そのスタイルは数十年経っても変わらない。食事は夏の懐石料理で、量が多く、時間内にどうにか全部食べ終えた。こういう席でいつも気づくことは、半分以上の料理が手つかずで残されることだ。もったいない話だ。筆者は両隣と盛んに話をしたが、右手にいる若者は名古屋の緑区の出身と言っていたが、なかなか勉強熱心なところがあり、筆者の話をメモっていた。知らない者同士の宴席なのでどういうように進行するかと思っていると、最初は阪急やホテル営業者、建設会社の偉いさんたちが挨拶をし、その中にはここにはまだ書いてはまずいような興味深い話があった。それに関してここ数か月、筆者は自治会とは別のことに関係して、それなりに動いたが、ひとつだけ言えることは、阪急嵐山駅近辺がホテルも含めて今後変貌し続けるということだ。筆者がここに住んでおよそ30年、その間には変化らしい変化はさほどなかったのに、ここ数年でにわかに騒々しくなり始めた感がある。ホテルが完成した後もそれはまだ続くと思われるが、このブログでそれを観察し続けたいと考えている。宴席が終わった直後、筆者は宴会場の窓から見える景色の写真を撮った。昼間にそこから見るのは初めてのことだ。目前に川が流れている。そこを客を下ろした保川下りの舟が左手から進んで来て、右手にかろうじて見える舟揚げ場で停泊する。また左手に見える橋は渡月小橋で、その向こうに小倉山が見える。この写真を撮った後、玄関に行って靴を履いたが、その時進行役の男性がそばにいたので、すかさず白い小さな包みの中に何が入っているかを質問した。ひとがたと、確か刀であったように思う。それはホテルの礎石の下に埋められるそうだ。その石の表面には「定礎2011」と彫られるはずだが、それが設置された時にはまた撮影したい。玄関を出る時に引き出物が出た。京都では有名は老松が作っている夏菓子で、夏みかんの中身を刳り抜いてそこにゼリーで固めた夏みかんを埋め戻したもので、これが2個入っていた。1個1500円だと思うが、夏限定のもので、京都にいてもめったに口に入らない。それを持たせてくれたのは建設業者であった。酒もたくさん飲んで、いい気分になって家に帰った。そこから徒歩5分とかからない。
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 さて、一昨日、外出中に郵便が来て、不在通知票を入れて行った。差出人が阪急電鉄となっている。定形外郵便とのことで、筆者には思い当たることがなかった。あると言えばあるのだが、その件に関してはまだ事が動いていないはずであるから、いったい何を送って来たのかとても気になりながら、パソコンから再配達を申し込んだ。郵便局に取りに行くのならば、午後11時半以降とあったからだ。それで昨日の午前中での配達を依頼し、朝8時頃からずっと待ち続けたのに、正午を過ぎても配達がない。30分ほど経った頃、郵便局に電話した。折り返し電話があって、近くまで来ているので、5分待ってほしいと言う。わが家への配達は最近は午前11時半過ぎが多いので、それから1時間ほど遅れるのは充分あり得るが、どういう郵便物かが気になったので電話したのだ。5分経たずに持参してくれた。しかも筆者宛てのその1通のみだ。何だかとても悪い気がした。相手は時間を守れなかったため、とても恐縮して笑顔で謝った。こっちももともと怒る気はないから愛想よくもらった。それから15分ほどして外出すると、家の近くで同じ郵便配達員に出会った。その途端、すぐにその男性は笑顔を作った。先ほどは、筆者宛のものだけを先に配りに来たことがわかって、さらに恐縮した。大型封筒で、中を見た途端にそれが何かわかった。10月29日の嵐山駅前の工事完成のセレモニーで撮影された集団記念写真だ。その出席者は起工式とは数名がだぶる。その数名に筆者が入っている。その写真は全く照明が最悪の状態で、そのために面白い写真となっているが、その複写をこの駅前シリーズでいつか掲げるつもりでいる。30名ほどが写る集団写真なので、それを幅500ピクセルに縮小すると、筆者の顔は小さな豆粒になってほとんど確認出来ないだろう。来年の秋、ホテルが竣功した時にはまた記念セレモニーがあるだろうか。あれば筆者に参加が求められるだろう。それはともかく、この駅前シリーズは今日でまた一休みする。再開は来年になる。
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by uuuzen | 2010-11-28 22:38 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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