●『ホジュン』
浚と書いてホジュンと発音するが、『東医宝鑑』という医学書全25巻を編著した医者で、秀吉と同時代人だ。「日本の古本屋」で調べると、この本は神田の古書店で260万円ほどで売られている。



中国で万暦年間に発刊されたもので、当時の朝鮮で出たものはいくらほどするのだろう。その影印本は数万円で買えるが、漢文となれば現在の韓国では読解する人は限られる。これは日本でも同じだ。さて、この有名な韓国ドラマは今から10年前に韓国で放送され、大ヒットした。全64話で、実在したホジュンの、史実としてわかっていることをどれだけ忠実に描いたものかは知らない。特に妾の子であったとか、国王を診る御医にのぼりつめながらも政治の争いにひきずり込まれ、罪を着せられたうえに島流しとなり、そこで元の宮廷医員と通じながら『東医宝鑑』を執筆し終えたというところなどは、いかにもドラマじみている。だが、現実はドラマ以上にドラマティックでもあるから、このドラマで描かれた以上にホジュンの人生は波乱に富んだものであった可能性もある。毎週見せる連続ドラマであるため、毎回次はどうなるかと、はらはらする山場を設ける必要があって、それはいわば人生を竹になぞらえた場合の、節ばかりを詰め込んで凝縮したものとなって、実際の竹とは違った、異様であり得ないお伽話とでも言うべき空想の産物になりがちだが、全64話はホジュンの人生のはしょり箇所も多く、駆け足で眺めるダイジェスト版の趣がある。そのはしょられた部分は、竹で言えば節以外の部分であると素直に感じられ、結局どのような人間の人生でも、記憶に強く残るのはそうした節目部分であり、節ばかり毎回見せる連続ドラマが人生そのものにも思えるから不思議だ。つまり、これは言い替えれば、ドラマにはさして描かれないホジュンのごくありきたりの、誰にでもある平坦な、同じことの繰り返しの日常は、この節目ばかりのドラマからでも充分感じ取ることが出来、またその点において、このドラマは実際にあったことを全部描いていると思わせるに足る。ソウルの現在の王宮をそのまま利用したロケのほか、日本とはまた違った美しい自然を前半部は特によく見せ、それが野に生きることを望むホジュンをたとえてもいて、映像詩としても秀逸な場面が多い。
 さて、この録画ビデオを今年の初め頃に妹から借り、家内は春に見たが、筆者は昨夜ようやく見終わった。15日の長文日に書く予定が、数日遅れた。家内が見ている時に、かたわらで見るともなく見て、おおよそ内容は知っていたが、思うところがあって6週間ほど前から毎晩1、2話ずつ寝床で見た。眠くなると途中でも切って寝たが、面白くなると、深夜3時頃まで3本続けて見ることも何度かあった。だが、誤って2本目の途中、第7話から数回分、録画テープの爪を折っていなかったこともあって、誤って録画ボタンを押して寝たのか、翌日気づくとほぼ丸1本分が全部消えてしまっていた。妹に言うと、DVDでも持っているが、あちこちに貸している間にどこへ行ったかわからないとのことだ。そのためその見られなかった分を見るのがいつになるかわからない。その見ていない分は、仕方がないので公式サイトのあらすじを読んだ。結論から言えば、これほど充実した内容の毎回面白く見せるドラマはめったにない。そして、大ヒットした韓国の事情というものをあれこれ考えたくなる。非常に盛りだくさんな内容であるため、ここで感想を書くとしても、ごく一面的なもいのにならざるを得ない。数回ほど費やさねば面白味を伝えられないが、まず、なぜこのドラマを改めて見ようと思ったかを言えば、早くビデオを返却する必要を思ったことと、『サン・ミケーレ物語』を読んでその医者つながりで思い出したこと、またある医者とのちょっとした事件が筆者にあったからだ。この事件に関してはいつか書くかもしれないが、簡単に言えば、医者として尊敬に値しない人物が医者になっている事実に遭遇したことだ。胸糞悪い出来事で、そのためにも、この『ホジュン』を見て、なおさらあれこれ考えさせられた。以前に書いたと思うが、医者は人々から尊敬され、しかも経済的にも恵まれた地位にある。『サン・ミケーレ物語』を書いたアクセル・ムンテもそうだ。人の命に関わる仕事に携わるのであるから、そうした地位は自他ともに当然という見方があるが、尊敬され、しかも金持ちとなると、奢りが出て来るのが人間だ。つまり、自分はそういう優れた人間と考えがちだ。そういう態度を見せなくても、そういう顔になる。だから筆者は医者が嫌いだ。『ホジュン』には名言が毎回登場する。その中のひとつに、人間はどの道死ぬ運命にあるので、医者という職業もさほど意味のあることではないといったセリフがある。それを言うのはホジュンの生涯の師となったユ・ウィテだ。
 ユ・ウィテを演ずる俳優イ・スンジェはソウル大学の哲学科を出ているようだが、このドラマではホジュン以上に重要な人物で、筆者はほとんどこの人物が主役に思える。このウィテがいなければホジュンは世に出なかったし、またウィテのあまりにも厳格で過激な生き方は、ホジュンのそれを超えている。ウィテは山陰という田舎で診療院を開業している。つまり、町医者だ。山陰は今の慶尚道だ。北道か南道か知らないが、前者ではないだろうか。そこは今も山深い田舎町が多い。山陰では有名な医者のウィテには息子がひとりあって、科挙を目指して宮廷医員になろうとしている。そこにホジュンがやって来るが、ホジュンは龍川という、現在は北朝鮮の北西に位置する町の生まれで、そこで父は郡守という役人をしていて、妾に生ませた子がホジュンだ。ホジュンは利発な子だが、妾の子ということで差別され、勉強して科挙の文官に受かったところで出世出来ないと諦め、漢方薬の密輸に手を染め、そして捕まり、故郷を後にする。その時、ふとしたことから、陥れられて死に追いやられた両班の娘ダヒと知り合うが、ダヒはホジュンの優しさに魅せられる。封建時代の当時、身分を越えた結婚は許されないが、ダヒは苦労しながら山陰に辿り着き、ホジュンと暮らすようになる。それ以前のある日、母を抱えて逃亡者として暮していたホジュンは、ユ・ウィテと出会って医療の道に入る決心をし、入門を乞う。ところがそう簡単には行かず、韓国ドラマではよく描かれるように徹底して同僚にいじめられる。それに耐えながらも数年のうちに腕を上げ、やがてウィテも驚くほどの成長ぶりを示すようになる。そうなると面白くないのが、ウィテの息子ドジと、ウィテの妻で、ドジが科挙に合格したことを機に、ウィテの妻と息子は漢陽、つまり現在のソウルに引越す。このようにあらすじを書けば切りがないが、この全体の3分の1を占める最初の方は重要だ。ウィテはかつて御医に医術で勝負を挑んで勝ったことがあり、自分は朝鮮一の医者と自認していたが、それは血気盛んな若い頃の愚かな行為と今は反省している。漢陽に登って宮廷医員となることだけが医者の出世ではなく、むしろ貧しい人のために無料で奉仕することが尊いと今は思っている。この考えにドジもその母も同意出来るはずがなく、ウィテは家庭内では孤立しているが、それは自分の不徳が招いた結果と、反省もしている。
 筆者が特にウィテのセリフに心が惹かれたのは、筆者も息子があって子育ての難しさを思うからだ。親子であっても考えは違い、親と子は違った人生を送る。このドラマで最も意味深いと思えるのがウィテがドジに向かって言うセリフだ。それはホジュンと比較しての冷静な言葉だ。このドラマを煮詰めて一語に集約すると、ウィテのその言葉になる。それは、「お前はホジュンに負けた。あまりに品性が違い過ぎる」という強烈なもので、ドジはこの言葉の意味を終生噛み締め、またホジュンに勝とうとあらゆる努力と策略をこらす。そこがウィテの言うように、最初からホジュンに負けているところで、ホジュンはドジと競う思いを抱いたことがない。少なくともそのように描かれる。敵は自分という意識だろう。つまり、克己だ。自分を克服すると、知らぬ間に夢は実現しているものだ。だが、ホジュンとて人の子であり、いくら周囲から堅物と言われ続けようとも、時として安易な道を行こうとする。そうした時、このドラマは必ずホジュンに痛い仕打ちを見舞わせる。そして、ホジュンは気づいてまたまともな方法で進む。ここがこのドラマを人間臭いものとして、一般人の賛同も得る理由でもある。ウィテの発した言葉は息子を見下げ、他人のホジュンを称える意味において、通常の父親としてはあまりに非情という見方をする人があって、やはり絵空事のドラマと思うかもしれない。だが、真に才能のある人は、真に才能のある人がわかるものであり、そういう人に後を託すものだ。才能のない者は息子や身内であっても容赦しないという、激しい人はさほど珍しくない。筆者もその部類だ。そのため、このウィテが話す回、第14話だったと思うが、そこはこのドラマの最も高い山場で、後はもう付け足しと言ってよいほどだ。ホジュンの品性を見抜き、そのホジュンに自分の意志を継がせようとしたその後のウィテの献身敵な行為は、涙なくしては見られない。そして、あれほど当初はホジュンに厳しかったウィテが、そこまでホジュンに惚れることの裏には、並み外れた努力をしたホジュンの日々の行為があったわけで、それをまた陰で支えたダヒやホジュンの母は、何と見上げた人であるかと思う。もっともこれはドラマであるから、そのようにひたすら耐え抜く人物として描いたのだという意見もあろうが、日本も戦国時代の頃はそんな純粋で一途な人は大勢いたであろうし、朝鮮でも同じだ。
 ウィテがホジュンに託したのは、医療の技術を磨き、貧しい人を助けるということであった。であるから、ホジュンはそのままウィテの屋敷を継いで、地元の病人を診て一生を終えるということが理想であった。だが、漢陽に引越したドジと母は家屋を処分するために山陰に帰郷し、そして追い出されたホジュン一家はまたひどい貧乏生活に落ちる。そうしている間にホジュンは科挙を受けることにする。そして合格して宮廷医員となるが、ここで問題なのが、それはウィテの意志に反しないかだ。宮廷に入って庶民を診ないでは、墓下のウィテは怒るだろう。だが、ウィテはホジュンの医術を見ながら、「体系をものにすると並ぶ者がいなくなる」とかつて言った。体系とは、医学書を読破して、医療の体系を組み立てることだ。そして稀な医学書を読むには宮廷に入るしかない。その一方で実際の診察にも多く携わる必要がある。それには宮廷に入って、貧しい人を診る恵民署に配属されることだが、ホジュンはやがてそうなる。一方、出世を望むドジは、政治の派閥に与みしながら、ホジュンより上位の地位に上るが、そう簡単にことが進んではドラマは面白くないから、さまざまなエピソードを用意して、次第にホジュンの名声が高まるように描いて行く。このドラマは最初40話程度のつもりであったそうで、人気の高まりから60話に増えたが、その増えた部分がどこかはわかりにくい。脚本家の腕前も役者の演技も素晴らしいので、そういう予定変更があっても、破綻を見せていない。話を戻して、ホジュンは『東医宝鑑』で有名であり、またウィテがホジュンに向かって体系をものにするように言った布石が、宮廷医師になった理由であり、またそこを最終的にはやめてまた山陰のウィテの屋敷で診療所を開くということにもつながっていて、このドラマは最後は大きな輪を描いて閉じる。ウィテはまた、入門を乞うホジュンに向かって、「この男はこのままでは殺人をしかねない。だが、御医になった者の中にそういう男がいた」と言う場面がある。この、ならず者が心を入れ替えて大成するという物語は、上田秋成にも同じような小説があり、古来喜ばれた設定だが、作り話ばかりとは言えず、現実とはそういうものだろう。それほど激しいものを内に持っていなければ大成はしない。
 ドジとホジュンの大きな差は人望だ。ホジュンは貧しく、苦労の連続であったが、常に支えになる人が周囲にいた。それをこのドラマは、ウィテを除いていくつか用意する。まず、ウィテとは同じ医者で、今は僧になっているサムジョク、そして山を駆け巡って薬草を研究しているグァンイクだ。このふたりは、ウィテの旧友で、かつては宮廷医員であった。この3人に見守られたホジュンはそれだけでももう一級の医者になる環境にあった。それは勉学の点においてではなく、人の病を診るという医者としての人格形成のためだ。今は医者になるにはひたすら受験勉強すればいいが、こんなに簡単なことはないだろう。ウィテの言ったように、品性はそこでは問われないからだ。品性がよくても試験にいい点数を取らねば話は始まらないという考えは、朝鮮の科挙と同じだが、そこをウィテは常に指摘し、科挙なんぞに血眼になるドジを批判した。ウィテの目指したのは心医だ。これは知識が多い少ないの問題ではない。どれだけ患者の思いを汲み取り、それを癒そうとすることだけを考えるかだ。であるから、ウィテはドジに言う。「金持ちになるには訳官になればよい……」。つまり、医者になるのは金儲けではないのだ。ホジュンはそれを生涯守ろうとする。医者もまた食わねばならないから、それはお伽話かもしれない。だが、それをそうとは思わないことが品性が高いのだ。このドラマはその品性ということについてさまざまに描いており、ホジュンの味方をする取り巻きにこの言葉を当てはめると面白いことがわかる。取り巻きの中には、ホジュンが山陰にやって来て最初に出会った猟師ク・イルソ夫婦や、またダヒの下男として龍川からやって来たヤンテなど、ごくありふれた、決して高潔ではない人物が出て来るが、彼らはホジュンを敬愛することではダヒ同様一途であり、たとえ頭脳が明晰でなくても充分に人間的な魅力と優しさを見せている。そして、その点で品性は高くはなくても、賤しくはない。イルソやヤンテの登場する場面は、このドラマにはなくてはならないもので、これら名脇役は、ホジュンを演じたチョン・グァンリョル以上の存在感がある。さて、いわば学者を主人公とする物語であるので、色気が足りないことが案じられる。そこで採用されたのが、サムジョク禅師に引き取られ、ウィテの医院で仕事に当たっているイェジンだ。ドジは彼女と結婚したがっているが、イェジンは次第にホジュンに惹かれ、ホジュンが御医になるまで陰で見守り続ける。それはかなうことのない悲しい恋心だが、宮廷でホジュンと常に行動をともに、そのようにそばで働くことが出来ただけでも幸福と思ったであろう。品性のよいホジュンにはそのように美しい女性からも思いを寄せられるという描き方は、かなり男のつごうが見える気もするが、現実として仕事の出来る男性が女性にもてることはよくある。イェジンの登場する場面は、その美貌によってどれも忘れ難い。もうひとり瞠目されられる美人は、若くして死んだ王妃の恭嬪で、この女優もこれほど王妃に似合っている人はいないほどの貫禄と美貌で、最初に顔がアップになる場面は特にそう思わせるほどに印象的だ。
 韓国ドラマには医者を扱ったもの、また医者を登場させるものがきわめて目立つ。日本以上に受験戦争国家であるから、医者を目指す者もきっと多く、また医者の資質の問題も取り沙汰されていることは想像に難くない。そういう時代であるからこそ、改めて医者のあるべき姿を主題にドラマを作ろうとしたものと思える。たいていの韓国ドラマは主婦相手のものと認識され、また実際そのようなところがあるが、このドラマはいくつかの男女の恋愛感情を織り交ぜながら、それ以上に男が見るべき、また見て価値のあるべき内容を含んでいる。そして、そこに焦点を合わせれば、たいていの人はこのドラマのあまりの硬派ぶりに、大きな評価を与えないだろう。あまりにも格調が高い話であり、純文学的香りが強すぎる。にもかかわらず、このドラマが韓国で大人気を得たというところに、筆者は韓国と日本の国民性の違いを見てしまう。日本ではこのようなドラマはまず作られない。そして作られたとしても同じような格調の高さをまず持ち得ない。あるいは持ち得ても、ごく一部の人が歓迎するだけだろう。だが、韓国でもこのドラマを製作するに当たって、根本が硬い内容をしているだけに、いかに毎回面白く工夫するかに腐心したはずで、そのために過剰な演技を担当する達者な脇役が投入された。これが実によく成功している。そのおちゃらけな部分の量は絶妙で、深刻で悲しい物語に明るさを付与している。脇役たちがこぞっていいドラマを作ろうという態度を示していて、韓国ドラマの絶頂期が、このドラマの登場によって21世紀に入って始まったと思える。同じ監督が、同じく医師をテーマにこの後に『チャングムの誓い』を撮るが、筆者は『ホジュン』の方が何倍も面白かった。それは筆者が男であるからで、女性は『チャングム』を好むだろう。ちなみに、イェジン役は最初イ・ヨンエが予定されたらしいが、彼状は断わったそうだ。そして『チャングム』で主役をつかむが、『ホジュン』ではイ・ヨンエがィェジン役をしても面白かったかもしれない。
 このドラマをなぜNHKが放送しなかったのかと言えば、筆者の考えではライ病についての描写ではなく、秀吉の朝鮮出兵が最後に近い回に2話ほど描かれることにあるように思える。その部分があることによって、ホジュンが秀吉と同時代人であることがわかって、なおさらこのドラマを実感のあるものにしている。韓国ドラマは時代考証がかなり曖昧と言われるが、このドラマで描かれる日本兵はそれなりにおかしくないように描かれていて、日本に残る絵画や文献に当たった様子がわかる。そこから推して、当時の朝鮮の民衆の置かれた立場、あるいは風俗も的外れではなく、かなりまともに描かれていると考えてよい。また、王宮に務める人物たちには派閥があり、また必ず腐敗している者があるという描き方は、現在の民主主義国家の韓国から見た痛烈な批判でもあり、当時日本から侵略されて慌てふためいた状況の原因をほのめかしもして、これは国内の歴史認識としてごく正統な見方をしていると思わせられる。つまり、簡単に言えば、王様は能なしで、取り巻きが私利私欲に走って国民が飢えや疫病に苦しめられるのを見捨て続けたという描き方だ。こういう描き方を日本の時代劇がどれほどするだろう。朝鮮から古くから伝わる仮面劇のように、権力風刺はこのドラマにおいても徹底しており、そこが広く国民にこのドラマが歓迎された理由だろう。もっと言えば、金儲け主義の医者批判でもあって、こうしたドラマでガス抜きをしなければならないほど韓国では貧富の差が目立って来たということだ。だが、このドラマの製作者たちは、権力に迎合するためではなく、むしろやんわりと現在の権力者を批判する思いがあったと見てよい。それは韓国民衆の伝統であり、その意味で筆者は、まずこのようなドラマをNHKは作れないし、放送することも敬遠すると思う。武士を主役にした日本の大河ドラマは多いが、もういい加減そんなものはやめてはどうか。医書を編纂した人物を主役してこれだけ面白いドラマが出来るということを見せつけられ、日本の大河ドラマ関係者は内心どう思っているのだろう。

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by uuuzen | 2010-11-19 16:13 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画 | Comments(0)


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