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●嵐山駅前の変化、その67(売店、広場)
儀に出ることが多い。昨夜は通夜に出かけた。昔からよく知る人で、95で亡くなった。今日は正午前に家を出て告別式に出席する。



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一昨日は、これも昔から知る人だが、9月末に家族葬を済ませたことを報告するために人がやって来た。その一家は10数年前、同じ町内ながら、わが家のすぐ近くからやや離れたところに転居し、ぷつりと顔を合わせなくなっていたが、高齢者名簿に名前を連ねていた母親が亡くなったのだ。自治会から葬儀に出席するケースが近年は減少しており、家族だけで済ます場合が多い。その家族もそうであった。自治会で用意している高齢者の名簿から名前を削除する必要上、会長の筆者に死去を伝えに来たという形だ。しばらく顔を合わせない間に、このように物事は進む。その母親の元気な頃の顔を思い出すが、それから10数年ではかなり弱ってもいただろう。昨夜通夜があったのは、正月やお盆に顔を合わせる程度の家内の親類で、ここ3年ほどはぷつりと出会えなくなっていた。95になっているとは思わなかったが、病院嫌いで、3年ほど前に失明した時に手術をしなかったという。なかなかの腹の座り方でよい。つい先日家内がその人の自宅に見舞いに行った。その時、その人は横になったまま意識はあったが、食べ物飲み物を一切摂らず、絶食状態であったそうだ。自分の意志でそうしたのだ。そしてそのまま苦しむこともなく眠るように逝った。大往生だ。誰でも自分の寿命がわからない。下の世話を絶対誰にもしてもらいたくないと思っていても、そうなることもあるし、病気はいつどんな形でやって来るかわからない。昨夜、読経した後の僧侶の話がまるで落語のように長く、また面白く、そのようなことを語っていた。それはいいとして、95で亡くなったその人は、筆者の知るこの20数年、仕事をせずに完全な隠居状態であった。そうしなくてもいい経済状態でもあったからだが、仕事をしなくなった余生というのは、本人にとって楽しいのかどうか。人によりけりとしても、還暦以降の人生は、傍目にはあっと言う間に過ぎ去る。それだけ存在感が稀薄であるからか、あるいはあまり会わないことによるこちらの関心のうすさからだろうか。そんなことを考えると、筆者ももう来年辺りからそんな年代に突入し、傍目にはいてもいなくても同じような、影のような人と思われるだろう。それを自他ともにそうさせないためには、せっせと仕事をして、自己主張をすればいいが、その内容が問題で、若さがなく、いつもぐちめいたことにまみれている状態では、かえって老人っぽいと思われる。つまり、どのように過ごしても老人は老人だ。ただし、やりたい仕事を続ける限り、自分では節目のある人生を過ごすことが出来るし、毎日に張りもあるだろう。そのことを筆者は思ってサラリーマンから今の仕事に入ったが、学友はみな来年は定年を迎え、人生の大きな区切りを迎える。筆者は定年を考える必要はなく、これから自分の本当の仕事が開花すると思っている。その一方、これからどんな病気が待っているかわからず、また何年元気で創作を続けられるかもわからないが、とにかく毎日こつこつと進むしかなく、また時間を自分のために大切に使いたい。
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 さて、今日の写真は6月24日のもので、駅売店は四角い箱状に作られる様子が見えて来た。これはデザイン的にはかなり悪い。改札を出てすぐ左手み見えるのはいいが、広場に立って改札口を振り返ると、円形階段の端に出っ張って、いかにも後から付け足した改造の感じがある。このような形にするしかなかったのかどうか。というのは、プラットホームは使っていないものがあって、その横にはそれなりの広い空き地があるから、店舗を作るのは容易なのだが、改札の内部にそんな施設を作ると、切符を買う人しか利用出来ない。以前の拡張である今回の改修では、近隣の人も新聞を買いに立ち寄ることも出来るので、より収益は見込める。そんな商売上の理由が大きかったのだろう。それに、もうひとつは客の流れをどう誘導するかだ。以前の広場は中央に円形の植え込みがあった。それは駅舎の北の桂川方面から駅を見下ろすと、駅の看板を隠して、地理に不案内な人はよく戸惑って近辺をうろつくことになった。それをもっとわかりやすく、つまり見通しをよくするために、その植え込みを撤去し、しかも駅舎の看板を電気で灯すことになった。その前工事としてすでに駅の看板はLEDが使用されてイメージを一新した。今度は広場の工事というわけで、その前にまず売店の拡張だ。そしてこの売店は、売店南の住宅地に通ずる道路を幾分塞ぐ形で建つ。そのことは、駅から吐き出される観光客を、わが家のあるその住宅地に視線を導かせることなく、真正面の小倉山方面、つまり桂川に向って歩かせることに効果的がある。以前はそうではなかった。また、その65の写真と比べてほしいが、広場に立った写真から明らかなように、白い建物の喫茶らんざんの半分を隠していた大きな樹木が、ホテル建設のためにすっかり伐採され、えらく白々しい光景に変わった。また、ホテルの敷地を背の高い塀で目隠しをする工事が半ばまで進んでいることがわかる。ホテル敷地のずっと向こうまで見える見通しのよさはもうなくなる。このホテル建設のために、駅舎や駅前広場の新装工事があったことを確認しておく必要がある。立派なホテルが出来るのに、駅前が古いままでは困るという発想だ。そこにはホテルの敷地を貸す阪急側とホテル、そして市との三者の思惑があったのだろう。ホテル建設はその前準備として、敷地内にあった樹木を切り取ったが、そのことは喫茶店からすれば想定外であったかもしれない。借景がよいということもその喫茶店の売りであったのが、この樹木伐採のおかげで窓は全部塀で隠され、しかもホテルが出来た時には建物で塞がれるだろう。どうかいつまでも隣が空き地で、樹木が植わったままであるようにと人は思い、そのように建物を作って窓を設けるが、予想は間もなく覆され、窓が真っ暗な壁が立ちはだかることによって空気の流れも悪くなる。そんなことは都会ではいくらでも例がある。嵐山もその意味で都会なのだ。ちなみに、筆者が隣を今春に購入した最も大きな理由は、裏庭を建て増しされることによって借景が変わることを嫌ったためだ。つまり、景色のために買った。隣が他人に買われると、裏庭に部屋が出来るのは目に見えており、そうはさせたくなかったのだ。何もない殺風景な庭であっても、筆者の目が黒い間は現状のままの空間にしておきたい。
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by uuuzen | 2010-11-10 11:13 | ●駅前の変化
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