●嵐山駅前の変化、その64(売店、ホテル)
囲がどこまでを指すのかよくわからない言葉に「関西」がある。関西に対して関東であるから、関西は西日本のことかと思うが、もっと狭めて京阪神というのが実状だろう。



先日のTVでは、鳥取が関西と思い始めていることをいささか笑う調子で特集を組んでいた。今はやはりはっきりとした定義がないのだろう。中間の愛知は当然関西より関東に属したがるはずで、関西と関西はその中心となる京阪神と東京を中心が核になって、その周辺を含むということか。だが、関西という言葉は関東に対して生まれたもので、同時に出来たものではない。上方が東をいわば馬鹿にして関東と呼んだものが、その後東京の地位が上がり、関西人がそれに負けじと関西という言葉を使い始めた気がする。その意味で関西は大阪京都を中心としたその周辺を指し、鳥取が加わるのはおかしい。とはいえ、何事も変化を伴って生きているから、関西関東の定義も変化してよい。それは西日本東日本といったように拡大されて行くことは、交通の利便によって加速化する。その代表は新幹線だ。九州は来年3月に鹿児島まで通ずるし、一方ではリニアモーターカーが東京と大阪をどういうルートにするか先頃決まった。日本を大きく東西に分けつつ、東西とも何事も均質化するという時代がいずれやって来る。そうなれば鳥取が関西というイメージもごく自然なものになるだろう。その一時も休むことのない物事の変化の中にいて、それを実感し続けたいというのが人間か。家内の両親が亡くなる少し前にそのようなことを言ったことがある。それはたぶんに1970年の大阪万博で今までにない景観を見たことも影響していると思うが、それ以上に満州のハルピンで生活したり、戦後の大変な時期を過ごしたりと、現在の若者では経験出来ない波乱の人生で、それを過ぎてみれば楽しく思える余裕があったためだ。結局もっと長生きして世の中がどう変わるか見届けたいと言いながら間もなく亡くなったが、世の中の変化はきりがないので、200歳まで生きても同じことだろう。むしろ自分の育った頃とはあまりに違う風潮に辟易するはずだ。その大きな原因は体力の衰えだ。10数年前の筆者の個展に昔勤務していた当時の上司が見に来てくれた時、駅から徒歩10分ほどの距離がとても遠いと感じたと真っ先に口にした。その時その上司は70歳ほどであったと思う。筆者は10分で歩くかもしれないが、上司にすればその倍はかかったか、あるいはそうでなくてもそれほど遠いと思えたのだ。年齢差により体力の違いと言ってしまえばそれまでだが、自分もそのような年齢になり、歩くのが億劫という時代やいずれやって来る。その上司は何事もしっかりと計画し、自分を律することの出来る人であったが、ひとつだけ想定外のことがあった。それは運動不足だ。若い頃から本をよく読むことにかけてはとても熱心で、その分歩くといった自分の体の管理を怠ったというのだ。それで筆者にはそんなことにはならないように、体力の保持を忠告してくれた。だが、どうあがいたところで老化は体力を奪う。そしてそれは気力も減ずる。要はそれにどううまく沿って楽しさを持続させるかだが、老いはあらゆるものを順に奪って行く。それは若い頃には想像が及ばず、またそれが出来るようになっても実感は伴わない。老いという絶対的な存在を遠くか近くに控えながら、すべて自分の思いどおりにならないというのが現実で、そのことをわかっていながら、さて今この瞬間は好きなように過ごすしかないというのが人間だ。年配者のそうした忠告は心に留めておくべきで、老いた頃の嘆きは今から準備することでかなり遅らせることも出来るが、筆者はジョギングなど特別な運動をすることは好まない。歩くことで充分と思っているし、それで体力の衰えが来たとしてもそれは自然なこととして受容するしかないと思っている。
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 さて、こうして書いていて今日は気分がなかなか乗らない。珍しいことにさきほど書いたまとまった文章を没にしてまた書き始めているが、これも気に入るかどうかわからない。その理由はまだ風邪が完治せず、咳がおさまらないといった体力のなさゆえかとも思うが、そのほかに何か理由があるかと考える。今日掲げる駅前の変化写真は6月14日のものだが、たいして変化はない。自分でも退屈な写真だと思うが、撮った頃の空気が感じられてそれはそれで写真が持つ懐かしさの威力がある。その懐かしさはどのようなつまらない写真にも必然的に保存されるものであるから、別段取り立てて言う利点でもない。そのために逆にその懐かしさを極力否定した写真が可能かどうかをよく考える。だが、そういう写真をまだ見たことがない。それは写真に写るものがたとえ女性のヌードであっても、その女性はある時代のある時間を生きており、また撮影者もそうであることによって避け得ない。それが幾分かが可能とすれば、それは時代の変化から取り残されたものを、時代の変化から取り残された人が撮った写真ではないかと思うが、そうした写真はやはり単にそうした状況下で撮られたことを示すだけで、それを、時代を超えて新鮮なものと思うえるかどうかは保証がない。そして、写真がいつも必ずそれが撮影された時代を明確に表わすとするならば、写真は全くつまらないとも思える。写真でなくても文学でも絵画や音楽でも時代を表現するが、そこには将来を見据えて製作に励んだ思いがこもる場合があって、写真とはいささか異なる。一瞬で全部写し撮ってしまう写真と、真っ白なところからひつつずつ自分で選択したものを積み上げて行く文学や絵画、音楽との違いだ。これは安易なものはそれだけつまらないものになりがちということを示すし、また安易であるからこそ写真の威力もあるという論理につながる。安易さが利点であることは忙しい現代の強みであって、安易に新幹線で遠方まで一気に行くという時代に日本は進んで来たし、世界もそうだ。そんな安易なものにインターネットがあって、ブログがあって、今は短いさえずりの時代でもある。自分でもよくわからないままにとにかく毎日こうして安易な駄文を書き続けることは、それなりに時代に見合ったことで、まだ老いてはいないのかとも思う。ま、とにかく体力が肝心、風邪をどうにか完全に追い払おうか。やっぱり没にしたいことを書いてしまった。
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by uuuzen | 2010-11-04 11:43 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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