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●予約『Hammersmith Odeon』
いコーヒーを昨夜は飲んで寝た。生協で買ったコーヒーで、同じようにいれているのに味が濃くてよい。風邪薬もその前に飲んだ。



今朝9時に目覚めると、昨夜より多少風邪はましになっている気がするが、さきほどまた薬を飲んでおいた。パソコンに届いているメールを見ると、Zappa.comから新譜案内が届いていた。78年のロンドンはハマースミス・オデオンでのライヴで3枚組だ。43ドル20セント、送料は14ドル71セントで、合計約58ドルで、日本円で5000円ほどだ。早速注文して、これを書き始めている。3枚組とはえらく豪華だが、これは2枚ディスクとして紙ジャケで発売されるステージ丸ごと集のひとつであるはずで、その第5作目になる。11月8日の発送で、筆者の手元に届くには12月上旬か。届いた日には何をさておいてもまたその感想をこのブログに書くつもりでいる。新譜案内のメールに添付されていた画像を下に貼りつけるが、ジェリー・ビーンズとともにザッパの漫画じみたキャラクターが見える。この子ども向けのイメージはどういう理由からだろう。今年生誕70年を迎えるザッパは記念行事がザッパ・ファミリーによって企画されている。今回の新譜の発売は、『Available first at Frank Zappa At The Roundhouse-Hammersmith Odeon』というメールの題目で届いたが、ラウンドハウスというロンドンの会場で生誕70年を祝うコンサートなどが数日間予定されていて、その最初の出し物が今回の新譜の発売という位置づけだ。ロンドンでのライヴを発売するのはロンドンで70年祭があることにひっかけたものだ。ロンドンとなると、当然才悶さんも駆けつけるはずだ。このラウンドハウスでの演奏会は録音や録画がされてまたザッパ・ファミリーはCDやDVDを発売するだろう。アメリカではなくイギリスでというのが、事情がわからないが、ヨーロッパにファンが多いことが理由とも思える。日本でも音楽雑誌がザッパ特集を組むという話を聞いているので、12月はちょっとしたザッパ・ブームが起きるかもしれない。そう言えば、先日ビデオアーツから久しぶりに電話があった。ザッパの81年ライヴを収めた『The Torture Never Stops』が11月22日にイーグル・ヴィジョンから発売されることになり、その日本盤を出すとのことで、その解説依頼だ。一昨日と昨日、ざっと2回見たが、何を書こうかと今考えているところだ。このDVDはザッパ・ファミリーが去年だったか、発売した。昔から海賊盤でよく知っていることもあって、それを購入しなかったが、改めて見て考えが多少変わった。そんなことを枕にして書きたいと思っている。
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●2003年4月6日(日)夜 その2
●予約『Hammersmith Odeon』_d0053294_10371417.jpgさて去年11月にこの2000年展カタログをベースにその後新たに発見された若冲作を10点ばかり加えて、小学館が『若冲大全』という決定版豪華画集を出版した。これも狩野氏が解説を執筆しているから、紫紅社本からおよそ10年後にまた若冲研究の最新の成果を画像を完備して世に問うたことになる。それで紫紅社本と『大全』の収録作品を比較すると、また面白いことがわかる。前者にあって後者にない作品が31点もある。先の尼崎の62点と併せると約100点が『大全』には収録されていない。これはいかにももったいない。カタログ・レゾネのような完璧な情報に近い本を期待する若冲ファンからすれば、少しでも若冲作品の画像を多く見たいのが心情だ。『大全』はなるべく違うモチーフを描いたものをまんべんなく収録するという方針にしたがったものでないことは全く明らかで、先の100点にしか登場しない珍しいモチーフの絵のことごとくが収録されず、逆にまるでコピーした同じ作としてよいものが何点も繰り返して載っている。さて、話をここで変えよう。去年12月20日に京都国立博に赴いて狩野氏に会った。その1か月前から面会を求めていたのが、ようやく当日ならば時間が少し空くというので、早速例の掛軸を持参して見ていただいた。その前に写真を送付しておいたが、2週間ほどして若い人から電話があり、「おそらく工房作と思われるとのことです」と伝えられた。ただし筆者は外出中で妻が応対したこともあって、少し要領を得ない点を実物を持参することで確認しようとした。写真で見るのとは違って、狩野氏は作品の迫力に圧倒されたのだろうか、結果としては「若冲作としてもいいでしょう」とやや曖昧な感想であった。ただし作品周囲に虫食いが激しく、それがいかにも惜しいということも述べられた。国立博物館は鑑定書を出す機関ではないし、狩野氏曰く「わたくしが思っても他の人はまた違う意見かもしれない」であって、真贋判定は研究家によって意見が割れることが感じられた。それはそうだろう。確実に真贋を判定する基準はどこにもないのだ。印章が本物であっても、それは後で別人が捺印したものであるかもしれない。逆に若冲が描いても、後で別の作者の印章を捺すことすらあり得るから、印章は真贋判定の決定的なものではない。ただし贋の印章であるなら、それはまず本物ではあり得ない。問題となるのは、印章が本物でもそれが若冲本人か、あるいは若冲の監督の下に弟子がすべて、あるいは一部を描いたかだ。この工房作は晩年に多いとされているし、先の『大全』に収録されなかった100点ほどの作品はほぼ全部が晩年作でしかも同じ印章を用いているとして差し支えない。晩年になるほどに若冲の作品は急速に増加する。それに比べて若冲が生涯に使用した印章の中で比較的若い時に使用したものを捺した作品はごく少なく、そうした印章のある作品ならば真筆である可能性がはるかに増す。それはいいとして、いわゆる真筆か工房作かの境界領域に位置する作品を集めた画集は今後も期待できるとは思えない。誰しも自分が所有する作品は真筆と思いたいし、それが堂々と否定されるならば所蔵家は協力したがらない。新発見の作品が毎年出て来るような状態でもあって、工房作と若冲ひとりの手になる作との区別は一筋縄では行かない問題に思える。80代半ばまで描き続けたゆえ、『大全』に収録される200点ほどではあまりにも少ないと感ずる。狩野氏はこの『大全』については「少しでも疑いのある作はみなはねて、作品を厳選した」と語っていたが、そうなると先の没になった100点ほどの作品は真作とするにはどこか疑問があると判断されたものということになる。御本人が真作として紫紅社本に収録していた作品の30点ばかりが10年後に没になっているのであるから、真贋判定が困難を極めることは容易に想像できる。しかし『大全』収録は真贋を判定したというより、没にした作品は出来がよくないと判断されたのがほとんどであろう。そこには工房作とした方が若冲の名前を貶めずに済むという考えも働いているかもしれない。だがこの工房作というのも曖昧なもので、実際に若冲が工房を持って量産していたという証拠はどこにもない。弟子の作品は弟子の落款がちゃんと捺してあるし、それらの弟子の作品は明らかに若冲の技量には達してはいない。だとすれば若冲の印章があって出来が少々劣る作品は誰が描いたかということになる。狩野氏の言われるように「手を抜いた作品はない」のは事実だとしても、若冲が描いた作品の全部がみな質が極めて高いと考えるのも無理がある。頂点となるような名作から裾野に向かってしだいに名作と称するには少し無理がある作品が並ぶのが現実的だ。それはどのような巨匠でもそう言える。多作であればなおさらで、たくさん描く中で練習的な作は必然的に生み落とされる。それは当の画家の名前を貶めることにはならない。名作ではないにしろ、それなりの見所や意義のある作品はむしろそうした裾野に近い位置に並ぶ作に多い。そうした裾野に支えられて頂点がある。これはピカソでも誰でもよいし、ザッパの音楽でも同じだ。ただしそうした現代作家の作品は幸いなことに真贋はかなりはっきりとする立場にある。若冲のような200年前に死んでいる画家の場合、伝わっている絵を凝視することでしか真贋はわからない。話を戻す。工房作とするのが妥当な作品が若冲に多いことは昔から研究家が考えていた割りに、そうしたことに詳しく触れた本はない。それは所蔵家に気兼ねするということも理由にあるかもしれない。また工房作の基準が研究家によってまちまちであることが最も大きな理由であろう。さて、その工房作としてよいような作品はどれほど存在するのであろうか。それを知りたいと思うが、『大全』から漏れた100点からして、おそらくその数倍の作がまだ本には掲載されずに個人に所蔵されているのではないだろうか。それらの画像をことごとく集めることが若冲研究の基礎に思えるが、それに関しては狩野氏には訊ねなかった。いずれまたお会いして確認したい。狩野氏と12月に会った際、京都国立博では『大レンブラント展』が開催中で、たまたまその中の1点に話が及んだ。それは若いレンブラントの自画像で、キャプションには「近年真作でないとの研究発表があったが、真作としておかしくはないだろう云々」とあって、その絵のことを筆者もよく記憶していた。狩野氏は「一旦真作でないとされるとその作品は世に公表されなくなり、研究のうえではそれが妨げとなりかねないので、疑惑のある作品の場合は、はっきりとそれを贋作とはしないでおくのがよい」と語っておられた。その意味からすれば先の100点の若冲作とかつてされた作品が『大全』に掲載されないのは合点が行かない。狩野氏個人の思いとしても若冲作品に関しては真贋判定は流動的なものなのだろう。
by uuuzen | 2010-11-02 10:46 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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