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●嵐山駅前の変化、その63(売店、ホテル)
断したために風邪に早くもかかってしまった。昨日は終日喉が痛く、カリン酒がまだ残っていることを思い出して10CCほど飲んだ。



もう200CCほどしか残っていないため、底にたまっていたカリンの屑エキスが粉となって、きれいな紫色の酒の中に舞い上がっている。喉で少し溜め込んでから飲み干すと、喉が滑らかになった気分だ。初期症状なので、今のうちに治しておくべきで、昨日は早い目に寝た。寝る前に家内が医者からもらっていた風邪薬を飲んだが、今朝起きてみるとかえって悪化しているようで、喉が同じように痛く、さらに頭がぐるぐる回っている。風邪ごときで癪に触るので、いつもと同じように過ごすつもりでいるが、薬を飲むと眠くなって困る。眠気には勝てない。なぜ風邪を引いたか理由はわかっている。病気になるのはそれなりに理由がある。癌になるのは体質に負うところが大であろうが、体質は気質と関係し、食べ物や行動を規制する。人間は生まれ変わりをよく言うが、それを子孫で繰り返しており、同じ体質や気質は半分は子孫に受け継がれる。永遠に何度も生まれ変わっているのが人間を含めた動物で、その繰り返しが実感出来ると、一生は一回で充分に思える。その一生が今は医療の発達のおかげで100歳近くまで延びたが、80を越えるとみな同じよぼよぼだ。20代の若さはないから、寿命が延びたところで楽しいことが増えるとは限らず、反対につらいことが多いとも思える。自分の足で動き回れる間が花だ。それがままならなくなれば、何が楽しいだろう。囚人を刑務所に閉じこめておくのは、他人に危害を加える機会を奪うことと同時に、他人との触れ合いの温かさを奪い、動物としての基本の動き回りを禁じることで精神的に圧迫を加えるためだ。そのようにして刺をすっかり抜かれた囚人は世間に出ても受け入れられない思いからまた事件を起こすことが多いが、それはよく理解出来る。だが、他に方法がないと思える。病気で寝る羽目になれば、それは囚人が監獄に入るのと似て、一種の罰と考えることが出来る。どういう罰かと言えば、体質気質を自覚せず、無理をしたということだ。人間以外の動物でもそれと同じことがあるのかどうか、その割合が少ないとすれば、人間は動物より進歩したかたわらで大いに退化もし、自分の体調管理を意識しなければ出来ない哀れな存在になっている。それは言い替えれば想像力の欠如でもある。想像力は人間特有の言葉だろう。それをあえて言わねばならないほど、元来はそれが欠如しがちなのだ。こうすればああなるとわかっていながら、ずるずると自分でよくないと思っていることにはまり込む。そしてそれが快感であったりもする。そこが動物とは違った人間らしさと捉えるのであれば、人間は自身の要因でも滅びるように遺伝的に仕組まれていることになる。それがわかっているから、一方でそれを食い止めようとする医療の発達もある。
●嵐山駅前の変化、その63(売店、ホテル)_d0053294_9521470.jpg

 カリン酒が喉にいいということは現在の医療で実証されているのだろうか。漢方では昔からそう言われて来たのは確実だが、西洋医学を崇拝するあまり、今では漢方はすっかりなりを潜めた。だが、それがあまりに滑稽であることは、人間の病気を治す新しい薬が、今まで見向かれなかった動物や植物から続々と見つかっていることだ。これは人間が自然の一部でしかも他の生物と密接につながっていることを示している。漢方を侮る西洋医学がよって立つところは、結局漢方なのだ。自然にあるものを純粋に抽出濃縮したものが西洋医学の薬で、そこには無駄を省いた効率有線主義がある。病気から一瞬のうちに快復したいという思いからそんな薬が開発されるのは理解出来るが、ある程度長時間を要して病気になったものが、一瞬のうちに元に戻ると思い込むのはあまりに傲慢で、それを人間はいつまで経っても改めることが出来ず、そのためにたとえば宝くじがはやる。病気になれば、そうなるに要したのと同じかそれ以上の時間がかかってあたりまえで、一瞬に治ったものはどこかに必ず無理をしていて、それがどこにどう影響しているかを人間は知らない。筆者が薬をほとんど飲まないのは、そんな思いにもよる。治るのは自分が持つ治癒力であって、薬はそれを湧き立てる引き金に過ぎない。その治癒力が損なわれやすいのが社会の仕組みで、複雑に絡んだ現代社会では、みな複合的な要因で複合的な病気にかかる。それを薬がまたピン・ポイント的に治そうとするが、そのピン・ポイントの的が多少外れて、予想のつかない何かを一方で引き起こす。その点、漢方薬は効き目がゆっくりであるから、途中で修正も利く。だが、それが現代の忙しい社会にマッチしていないことは誰しも感じており、多少の副作用は承知で劇的に利く薬を求める。人間は子孫を残した時点で動物的には役目を終えているから、残りの人生はおまけだ。今はそのおまけがあまりにも長くて、みんな退屈している。人生が50年と決まっていれば、もっと猛烈な恋をして猛烈に働き、猛烈に感動出来る人生を歩めるとも思う。それがほとんど倍に延びたため、そのうちそのうちといったような引き延ばしの思いを誰もが持つようになった。それで結局結婚すらせずにそのまま人生を終える。こんなつまらないことはないと思うが、若い間はたいてい愚かであるからそうは思わない。そして、そんなつまらない時代に日本がとっくに突入していることを思う。さて、今日掲げるのは6月11日の2枚だ。駅舎の円形階段の一部が壊されて売店が広場側に出るようで、雨の日はこの屋根のある円形階段をぐるりと回って改札口まで歩けたことがもう出来なくなる。その意味で不便になるが、売店を大きくするのは、広場に面してコンビニのミニ・ストップがえらく大繁昌し、そのおこぼれをもらおうという思いによる。以前の売店では商品があまりにも限られた。それにミニ・ストップにはない商品を置くという思いもあるだろう。
●嵐山駅前の変化、その63(売店、ホテル)_d0053294_9523981.jpg

by uuuzen | 2010-11-01 09:52 | ●駅前の変化
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