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●嵐山駅前の変化、その61(売店)
手な整理を先日やった。整理もいろいろあるが、このカテゴリーのこのシリーズのために撮り溜めた写真を順に並べて、掲載順を決めたのだ。



すると現在「その134」まであることがわかった。今日までの分を差し引くと2か月少々の投稿分がある。そのほかに未掲載の「おにおにっ記」があるから、3か月分ほどはネタが溜まっていることになる。その3か月の間にまた写真を撮るし、また駅前のホテルの完成は来年の秋であるから、このシリーズは「その200」までは行くと思う。ある程度先まで投稿内容が決まっているのは気分がよいが、本当はそのかたわらで、別の新しい何か、つまり「おにおにっ記」に代わるものがないかと焦りがある。ひとつふたつは候補があるが二番煎じではつまらない。「おにおにっ記」を始めたのは、ほとんど直感で即席であった。そういう心の高まりはめったにない。そして、このブログを始めた当初からカテゴリーに変更がないことにわれながら驚く。最初の考えがしっかりしていたと言うべきか、逆に進歩がないと言うべきか、筆者の性質を側面から示すのではないだろうか。それでもカテゴリーによってはその後さっぱり投稿していないものがあり、それはあまり誉められたことではないが、それなりに理由もあったそうしているところもある。ま、それはさておき、この駅前変化シリーズの再開は2週間程度を当初予定し、そのように以前書いた。その2週間程度の終わりは昨日であったが、一昨日の夜、駅前写真を整理しながら考えが変わって、もう2週間延長することにした。今日投稿する6月2日の写真はその最初のものだ。このことによって「おにおにっ記フィナーレ」の三度目の再開を遅らせる。本当は本意ではないが、そういう予定外の変更もたまにあって面白いと思い直すことにした。2週間の延長は、それなりに意味があって、その最後の投稿日にその理由を書く。とはいえ、誰も注目していないはずで、これは筆者自身の区切りをつけたい思いによる。その区切りはひとつの整理でもあって、整理下手な筆者はせめてこのブログではそこそこ思いどおりに整理しておきたいと考える。その整理は厄払いに似ている。書くことによって、そのことをすっかり忘れ、思い残すことはないという思いだ。それは脳裏にある雲のようなもやもやを体外に吐き出すことであり、であるので、このブログを始めた当初から、宝珠の形になぞらえた雲古を画面上部のヘッダーの中央に掲げた。
●嵐山駅前の変化、その61(売店)_d0053294_8595591.jpg

 さて、いくつも整理しなければならないことを抱えていることが人生と言えるが、あまり多くのことを抱え過ぎると思うようでは心身によくない。それに、忙しいと日常言っている人も、大半の事柄は本当はどうでもいいことで、わざわざ手間暇かけて整理する以前に、関心を持たねばいい。だが、他人から見ればその些細なことに生き甲斐というものがあることも真実で、全部きれいに整理し終わらない状態で誰もが死を迎える。今こんなことを思い出した。去年夏に亡くなったNが、Nの父が亡くなった後の遺品整理の話をしたことがある。Nと同じく酒好きであったが、父親はNとは違って果実酒をいろいろと漬け込んでいたらしい。それはたいてい何年も台所の片隅で眠り、全部飲めばまた漬けるので、いつも存在している。Nは自分では果実酒は漬けなかったし、また果実酒は好きでもなかったから、父の遺したそれがとても飲めないものと感じて全部流してしまったそうだ。それを筆者はもったいないとはあまり思わなかった。酒好きではあっても、自分が管理していないものは飲みにくい。Nの気持ちはよくわかる気がした。だが、Nの父親の気持ちを思うと少々哀れだ。大切にしていたものでも、死ねば誰も振り向かない。無駄に捨てられることを思えば最初から身の周りに置かねばいいが、自分がいつ死ぬかはわからないため、そうした物を整理し切れない、あるいはそのことを夢にも思わずに日々を過ごす。だが、自分が死んだ後、遺したものは価値も知らない息子がきっとゴミのように扱って処分するはずで、今のうちにしかるべきものはしかるべき人の手にわたるようにしておくべきだと思う。だが、そういう整理は正直なところさびしい。そんなふうに物事を思い切ることが出来るだろうか。その一方で身軽になることが大切だという思いが最近は強くなっている。そういう葛藤を抱えるのは老齢の始まりだろう。老齢になってみなければわからないことがあり、またそのわからないことを前に新たな覚悟を決めることを思えば、それなりに老齢も忙しくて楽しいかもしれない。筆者はまだぎりぎり50代だが、サラリーマンなら定年の諦念が間近で、ふと身の周りの整理を思う。そして、物の思い出より、もっと鮮明で大切なことは、やはり人の思い出で、人生はそれに尽きると思う。人の思い出は物のように整理し切れるものではない。特に重要であった人はそうだ。
by uuuzen | 2010-10-29 09:00 | ●駅前の変化
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