洗車機が新しいものに交換されるという話をタクシー会社で耳にしてしばらく経った頃、その洗車機が据えられている場所のすぐ近くの塀が取り壊されて新しくなった。
それもまた駅前の変化だが、今日は4月28日のホテル建設現場と、日を措くが5月6日の線路脇の道から駅前を見通した写真を掲げる。いつもの脇道から写真を撮ると、ずっと奥にその塀があって、変化がわからない。今日掲げる脇道の写真には本当はその変化がごく小さく写っている。前回からえらく日が飛ぶが、駅前工事が一段落して変化がないため、あまり写真を撮らなかったためだ。タクシー会社は駅前に車を停めて客待ちをしていたことが、広場の整備工事があって、それが出来なくなる。またそのこともあって、敷地内の一画を整備した。その整備の一貫で洗車機も変えたのだ。どうでもいい話で、わざわざここに書くこともない。さて先日書いたように、撮影した写真に消えたものがある。「おにおにっ記」の写真を保存しているMOディスクのファイルが壊れたことは以前に書いた。幸い大半はバックアップを取っていて、それを消去する前だったので助かった。その同じMOに駅前の変化の写真を撮り溜めていたが、同じことになってはまずいので、2週間ほど前にそれらの画像を別のところに移すことにした。別のMOが便利だが、それではまた同じ羽目になるかもしれない。それで考えを変えてヤフーのアルバムというのを利用することにした。6年ほど前にそれを少しだけ使ったことがあって、今回それを開くと、自分ではとっくに忘れているのに、当時保存した数枚の画像がそのままあってびっくりした。だが、非公開にしているから誰も見ることはない。そうして誰も決して見ないまま保存されている画像や情報は多いだろう。そう思えばネット世界はかなり不気味だ。そのフォト・アルバムにアクセスするのにどうすればよいか迷いながら、確かジオシティーズとかいうところに行けばよいかと検索すればやはりそうであった。ヤフーはこの点不親切で、ホームページにしても同様、ヤフーのトップ画面からは入れないようになっている。ともかく、ヤフー・フォトに保存しておくのが一番便利で、MOのように壊れて見えなくなることはない。そして、写して加工した画像は順次そのアルバムに保存しながら、また引っ張り出してこのブログに掲載しているが、掲載し終わった画像は不要であるから、アルバムから消している。先日掲載すべき写真が1枚どこを探してもなかったのはおそらくその時に誤って消去したからか、あるいはMOから移す時にそれを忘れたかだ。MOからコピー移動したのであればMOに残っているはずだが、危険を察してアルバムに移動したその数日後、予想どおりにMOのそのファイルが壊れてしまい、全体の10分の9が消えた。残ったわずかな部分に含まれているかと調べると、残念ながらなかった。それにしても、壊れては困るという予想が的中したのは、予知能力がある気になる。新しいディスクを買えばいいようなものだが、つい面倒で古いものを使っている。
ところで、ここで報告しておくと、わが家の隣を購入した時、内部の備品などもついて来た。大半はがらくただが、その中にパソコンとデジカメがあった。しばらくそのままにしておいたが、3か月ほど前にパソコンを接続してネットが出来るかどうか調べた。以前の所有者の設定が残っていたり、またどうも調子が悪く、1か月ほどはほとんどまともに使えなかったが、メモリを1GBに増設するなどして、ようやく調子が整った。だが、筆者はめったにそれを使わず、相変わらずウィンドウズの95の古いパソコンを使ってこれを書いている。その新しく手に入れたパソコンはウィンドウズXPのホーム・エディションとかいうヴァージョンで、今から10年ほど前の機種と思う。それももうかなり古いが、YOUTUBEが見られるのがいい。そして、しばらくの間は盛んにいろいろと見たが、最近はそれもめったになくなった。そう思えば筆者にはウィンドウズ95で充分とまでは言わないが、用は足りている。デジカメの方はこれも古いオリンパス製で、単4の乾電池を4本使う重いタイプだ。SDカードを使い、32MBのものが入っていた。最新のコンパクトなデジカメはもっと小さいカードを使うが、画素数がさほど大きくないカメラの方がブログの写真には何かと便利だ。今まで使っていたNからもらったデジカメはコンパクト・フラッシュを使うタイプで、それがより小型のSDカードを使う機種になっただけでも進化と言うべきだろう。このカードをパソコンに読み取らせるためのリーダーもがらくたに混じって見つかったが、ソフトがないので、ホームページにアクセスしてダウンロードし、使えるようにした。このカードリーダーか、あるいはパソコンの機能が悪いのか、カードはGBの大きなものは反応しない。そのため、32MBで充分なのだ。先日ネット・オークションで見ると、1GBのものより容量に少ないものの方が高価だ。古すぎて品薄になっているのだろう。
ま、そんなことで、もっぱら新しいそのデジカメを使って駅前写真を撮っているが、写る画面幅がNからもらったものより少し狭い。それにファインダーを覗いて見える景色の右側が大きく余分に写る。これは当初かなり不便であったが、今は勘が働いて、その余分な部分を左に多少持って行って写るようにカメラをかまえるようにしている。もうひとつ不便なことは、電池がすぐになくなることで、かなり不経済だ。充電式は使えないようであるから、フィルム・カメラの感覚で1枚ずつを大切に撮るという思いがある。Nからもらったカメラより画素数は多いが、幅500ピクセルに縮小するから、ブログに載せた時はカメラの違いはわからない。お古ばかりを人より10年ほど後れて使っている始末だが、古い人間なのでそれが見合っている。Nは新しい電化製品が出るたびにほしがった。筆者は全くその反対で、とにかく用を足せば充分と思うところがある。高級なカメラで撮っても、ブログに縮小して載せるのであればそれはわからない。用途に応じてカメラもある。今の筆者には高級カメラは必要ない。パソコンも同じだ。Nからもらったカメラはとんと使わなくなったが、充電式の電池がよく切れたので、もう利用価値がかなり減少していた。だが、コンセントにつないで撮影出来るので、家で何かを写すには便利で、これからも使うだろう。先日従姉の家で古いカメラを5、6台見せられ、全部捨てようかと思っていると言われた。40年ほど前のもので、電池を使うタイプのものは1台もなく、中にはとても当時は高価であったような一眼レフも混じっている。だが、カメラに詳しくないので価値がわからない。ゴミとして捨てるのはもったいないので、オークションにでも出すかと意見したが、もう捨てたかもしれない。新しく入手したパソコンで今後はCD-Rも焼きたいと思うが、そのためにはそれ用に機器を買ってセットしなければならない。それが面倒でそのままにしている。それにそこまでして複製するCDもない。古いカセットテープをCD-Rにするか、またLPをそうしたいが、これはもっと面倒なようで、またXPでは無理かもしれない。古くなれば新しいものに変えねばならない。そして、今さら古いLPやカセットを複製して聴くこともないか。聴くべきものはたくさんあることだし。