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●『Congress Shall Make No Law . . . 』解説、その4
活した黄色い地色の「警告・保証ステッカー」がジャケット裏面下に見える。これを懐かしいと思う人は1985年のザッパの音楽をリアルタイムで聴いた人だが、当時生まれた人は今は25歳になっているから、懐かしいより新鮮だろう。



このステッカーはザッパがPMRCに対抗して独自に作って、自作アルバムを製作した意図を示すために印刷したもので、細かい文字でびっしりと印刷されているのはザッパの饒舌ぶりを示している。当時PMRCによって槍玉に挙げられた曲がブックレトに印刷されている。ジューダス・プリースト、モトリー・クルー、プリンス、シーナ・イーストン、ワスプ、マーシフル・フェイト、ヴァニティ、デフ・レパード、ツイスティッド・シスター、マドンナ、シンディ・ローパー、AC/DC、バラック・サバスなどで、ネットで子どもに見てほしくないサイトを制限するのと同じように、暴力や麻薬、セックスなど、全部で5つのカテゴリーに分けて曲を分類している。これらの曲は演奏者からわかるように、ラジオやTVで当時よく流れたものだろう。歌詞がどのように子どもにとってよくないかは判断に難しいところがある。どこで線引きするか、また出来るかだ。同じことは日本のエロティックな漫画やアニメにもよく言われ、これに制限を設けるのは言論の自由を侵害するとの考えが表現者には根強い。当然ザッパもそう考えたが、ザッパが政治家ではなく、音楽家の側に立ったのは、本当のところはそれらの全員を評価していなくても、傍目には同業者をかばうというふうに見えたであろうし、またそれは包容力のあるところを見せつけて、結果的にはザッパの評価を高めたと思える。これがたとえば自分だけが売れていればいいと思うような音楽家であれば、だんまりを決め込むか、内心ザッパの行動をおめでたいと受け取るなり、あるいは売名行為と非難もしたことだろう。また、先に名前を挙げたミュージシャンは当時かなり有名で、ザッパの曲を知らなくても、ロック好きの若者は必ずどれかを聴いていたはずで、ザッパの行動に無関心であったろう。またたとえば、そうしたロック曲の歌詞をほとんど理解しないで聴いている日本では、暴力やセックスはむしろザッパの曲にこそあったと勘違いもしていたし、また今もしていると思える。たとえば、『ジョーのガレージ』に「Keeop It Greasy」(それをギトギトにしておきな)という曲がある。70年代初めに演奏していたものを末になって同アルバムに収録したが、この題名の「イット」が何を指しているか、妄想を逞しくする人はセックスの曲と思ってしまう。だが、油を塗って滑りやすくするものは性器だけとは限らない。ザッパはこの曲の歌詞で一切そんな言葉を使っておらず、セックスの曲と思う人は思うし、機械の作動のことかと思う人もあるし、その他、人によって受け留め方は自由だ。ともかく、一般市民から出て盛り上がった話ならともかく、法律の作り手側がこうした歌詞の問題をリードして規制を設けようとする行動は、どこか腑に落ちない部分がある。そこでザッパは憲法を持ち出して、アメリカという国家の基本理念を思い出させようとする。
●『Congress Shall Make No Law . . . 』解説、その4_d0053294_9581785.jpg

 ブックレットに印刷され、またこのアルバムのタイトルにもなっている「Congress Shall Make No Law . . .」(議会は法律を制定しない. . .)は、1789年に議会で定められたもので、信仰や出版、言論の自由を謳ったものだ。ところが、アメリカではキリスト教のしかもレーガン大統領のように原理主義者がいて、教育の面に口出ししていることはよく知られる。原理主義者は聖書に書いてあることを絶対視し、それらがみな本当に起こったことと捉えるため、たとえばダーウィンの進化論には反対の立場を取る。日本ではそのことを信じられないと思う人が多いかもしれないが、日本も戦前は天皇を神に崇めて邁進したから、いつの時代にもそうした考えの人はいる。先頃、ニューヨークのグラウンド・ゼロの近くにイスラムのモスクが出来るということでキリスト教信者が反対行動に出た。イスラム原理主義者がそのすぐ近くの場所でどのようなことをしたかを今後も忘れない人にとっては、もう少し遠慮すればどうかという思いなのだろう。だが、多民族国家のアメリカではそんな思いは通用しない。何事もルールを設けないとむちゃくちゃになりかねない。そのルールの根源が憲法だが、日本でもその憲法に関しては変えろという意見があって、アメリカも今後は時代にそぐわないとして、修正することはあるかもしれない。イスラム原理主義はキリストの原理主義とは頑迷さの点では同じで、イスラムのそれが批判されるのはテロ行為があるからだ。だが、テロはせずとも、大統領が原理主義者であれば、そのように国家は動くのは必至で、それがザッパに言わせるとPMRCの動きにつながったということだ。多民族国家のアメリカだが、最初に入植した人種が国家を支配し、奴隷であった黒人や、後れてやって来たヨーロッパの貧しい人々は、国家の中枢を司るような職業には入り込めなかった。それは現在のヒスパニック系が急増しているアメリカを見てもわかる。数の原理で動く民主主義であれば、ヒスパニック系移民が最も多い割合を占めると、アメリカは現在とは違った国家になるはずだが、現実には教育や貧困の問題があって、なかなかそういうことにはならない。イタリア系のザッパのバンド・メンバーにはインディアンや黒人、メキシコ系が混じっていて、その様子は上品ぶるワスプからはあまりに雑多で下品に見えたであろう。また、ザッパはそれを自覚もし、そういう立場から常に歌詞を書いたが、その背景には憲法で保証されているルールというものを重視する思いがあった。ここで思うのは音楽におけるルールだ。これをザッパはさまざまに設定し、どのようなルールを設けようが音楽が成立することを証明しようとした。それでわかったことは、音楽はルールであり、ルールを楽しむのが音楽であることだ。この考えはたとえば現在ではジョン・ゾーンに受け継がれているだろう。新しいルールがあれば新しい音楽がそこに出現するという考えだ。そのルールは今までになかったものほど前衛的な音楽が出来る。だが、これは言うは易しく実行は困難だ。ともかく、ルールを設ければ音楽が始動するとザッパが考えたならば、そのルールは世界の国家にもそれぞれあって、自分が自由を謳うアメリカに生まれ住んだことで、自由な音楽表現が出来ることを自覚したであろう。信仰や出版、言論の自由はどの国家にでもあるものではない。それが保証されるアメリカであるからこそ、ザッパはさまざまなルールによって色合いの異なる音楽を実験することが出来た。となれば自分の音楽の元締めは憲法ということになる。それでそれを忘れかねない動きには敏感になった。もう1日このアルバムについて書く。

●2003年4月5日(土)深夜
●『Congress Shall Make No Law . . . 』解説、その4_d0053294_10175851.jpg以上まで書いて30分ほど休憩を取った。もう深夜2時だ。BGMはラヴェルのピアノ曲にした。ジョージ・ウィンストンの『秋』はLPを所有しているが、また階下に行って探すのが面倒だ。さきほど日記を書き始めた時、キャット・スティーヴンスのLPをかけた。というのは帰宅して夕刊を広げると、思わぬ記事が目に入ったからだ。3段組みの小さな記事で、見出しは「英国の元歌手がイラクの子支援」だ。まるでイスラム人そのものの風貌をした髭の男がCDを手にして写っている。それは何とキャット・スティーヴンスであった。77年に歌手を引退してスフ・イスラムと改名したそうだ。イスラム教に改宗する有名人は珍しくないとしても、キャット・スティーヴンスがそうであったとは知らなかった。母はギリシア人、父はスウェーデン人で生まれがロンドンということがLPにも載っているが、デビューした70年当時から顔には髭があった。それが最晩年のザッパ同様、顎から頬全体を覆うようになっている。現在54で筆者より3つ上、その顔はデビュー当時の面影がそのままある。去年のこの日記に書いたが、彼の最大のヒット曲「モーニング・ハズ・ブロークン(雨に濡れた朝)」は名曲で、今でも他のミュージシャンがカヴァーするほどだが、そのアルバムを収めるアルバムの最後に「ピース・トレイン」という曲が入っており、その平和を希求する歌詞は当時ならではとはいえ、本人の反戦の意志を強く込めたものだ。その曲が四半世紀ぶりにポール・マッカートニーらも参加するチャリティ・アルバムに提供されて収録されたと記事は伝える。イスラム教徒ゆえ、なおさら黙って今回のエメリカのイラク攻撃を見てはいられなかったということだ。だが、ボスニア内戦時にもアルバム作りをして抗議しているようで、筋は一貫して通している。もしジョン・レノンが生きていたならば今回の戦争にどう反応したことかと想像するが、その一方でポール・マッカートニーはどうなのだろうとも思っていた。そのポールが戦火に苦しむイラクの子どもたちへのチャリティ・アルバムに参加しているというのは、今までのポールの経歴からしても納得できるが、イギリスが積極的にアメリカに同調して参戦していることに対しての本当の考えはどうなのだろう。また、学徒出陣して戦車部隊に配属された経験を持つ司馬遼太郎ならばどう意見を吐いたであろう。帰宅してTVニュースを見ると、ついにアメリカの戦車がバグダッド市内に入った映像が写し出され、戦車が道路を行く間にもあちこちに爆弾が落ちて火の手が上がった。今日の記念館ホールでの12分の映像では、司馬が敗戦後に「なぜ日本はこうも駄目な国になったのだろうか」と発言する場面が特に強調されていた。国の指導者がみな頼りない小粒になってしまったためにあのような戦争と敗戦という結果になったと考える司馬は、日本における指導者たる人物を明治期の龍馬やあるいは軍人、商人に認め、そうした人物を中心に歴史を掘り起こして物語を書いた。ところで、司馬は『街道を行く』の取材でイラクの地を訪れたであろうか。その司馬が生きていたならば、まさかフセインなどという独裁者が悪いためにイラクはあのような戦争に見舞われていると考えたことはないにしても、国の指導者の考えが国家の未来を決定することに対して文人がどれほどの抵抗力を持つことができるのかと無力を感ずることはなかったであろうか。無力に近い感情を抱いたにしても、それは今の大人たちに対してであるかもしれない。ケストナーが考えたように、若い人やあるいはもっと幼い子どもたちの心に響く言葉で書けば、それはまだ希望があるのかもしれない。今日の夕刊でもうひとつ目に止まった記事は、吉田松陰がペリーの軍艦に乗船を求めた際の手紙がアメリカ側から発見されたというものだ。20代の松陰は幕末の腐敗した日本の先を思えば外国を見て学ぶしかないと思い、ついにアメリカにわたることを考えるようになるが、それと同じことを司馬も考え、そして実行した。諸外国のいいところや悪いところをたくさん見て、それを今後の日本の考えることの糧にするという態度は決して過去のものではない。もうヨーロッパに学ぶものは何もないといった言葉が唱えられたことがあるが、はたしてそうだろうか。油断している間に周りはどんどん進化する。より広く見て学ぼうとする者だけが停滞や腐敗を免れる。司馬記念館の展示品の中に司馬の言葉を書いた色紙があって、今日の自分は昨日の自分ではなく、明日の自分は今日の自分ではないといった内容が書かれていた。強引に言えばキャット・スティーヴンスの「モーニング・ハズ・ブロークン」もそんな内容に近い。もっともこの曲の歌詞は神が毎日の朝を造り出すという言葉で締め括られていて、そこに彼がやがてイスラムに改宗してもおかしくない信仰に篤い人格を伺わせる。この点、司馬はどうだったのであろう。さて、もう3時近い。この調子ではそれこそ「モーニング・ハズ・ブロークン」になってしまう。風呂に入って就寝。
by uuuzen | 2010-10-13 09:58 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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