●嵐山駅前の変化、その50(駅舎、広場)
天の桜さびしき嵐山--。一句浮かんだ。今日掲げるのは4月9日、金曜日の桜だ。曜日からしてもっと観光客があってよいはずなのに、肌寒かったのかもしれない。それに盛りが過ぎたので、もういいかという思いも重なったのだろう。



昨日掲げた写真には、花が散って地面がピンク色になっている様子がわかる。それもまた桜特有の風景で味わいがあるが、過ぎ去ったことを如実に感じさせる点で、秋の気配の訪れと似ている。盛りを過ぎた味わいは、祭りの終わりのように、物悲しさにつながっているが、人間も同じと書けば、また話が老人のことになってしまう。昨日書いた敬老の集いを小学校で開催する1週間前に、敬老記念品を自治会の老人に配った。毎年ちょっとした記念品を用意するのだ。去年は手タオル、今年は祇園の何とかと言う有名な飴であった。タオルの時は軽かったので配布するにはよかったが、今回の飴はてこずった。60人分ほどの飴の包みはダンボール箱3つになり、それを両手で抱えて自治会館からわが家まで持ち帰るのに、前方が見えず、また重くて苦労した。しかもそれをまた自治会内の各老人に配布せねばならない。それはさておいて、その敬老の記念品を配る前に、老人がどこにどう住んでいるかの調査をした。ところが、個人情報保護法があって、これがなかなかはかどらない。満70歳以上の人が対象だが、この70歳以上の人は、老人や高齢者と呼ばれるのがいやで、もっと別の表現がないかと言う。満70歳以上の高齢者は自治連合会では2000人ほどだ。3、4人にひとりの割合だ。このうち10分の1が敬老の集いに集まる。それらの老人を去年と今年見たが、年齢も老い具合もさまざまだ。つまり体力や見た目がさまざまなのだが、女性が多く、男性が少ないのは当然としても、女性は仲間で参加し、男性はひとりが多い。それだけ男性は孤独に見える。だが、このような催しに出る老人はまだ元気なのだろう。あるいはそうとも言い切れず、こうした集団のひとりになるのをいやがる人も多い。2000人の10分の1の参加という低い割合からもそれはわかる。だが、2000人の半分は自治会に入っていないはずで、参加資格のある人から計算すれば5分の1の出席か。それでも少ない。だが、学校の講堂内はほとんどいっぱいであるから、今以上の参加があれば別の会場を探す必要が生じる。ところが、そんな予算が自治会にはない。5分の1の出席で胸をなで下ろしているのが実状だろう。
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 こうした催しに参加しないでも元気で、またやることのある老人はよい。そういう老人の方が多いとは思うが、その逆に人と交わらない、交われない人もいるはずで、そういう老人をどう見守るかが本来の自治会、行政の役割だろう。だが、会費で運営している自治会であるから、もう会費を支払ってまで自治会に入ろうとは思わない老人に対しては、自治会は無視せざるを得ない。そこに大きな矛盾がある。この調子で行くと、そうした老人の方が今後は圧倒的に増え、どこにどのような老人が住んでいるのかわからなくなる。いや実際にもうそうしたことが起こっている。TVのニュースを見るまでもなく、身近なところに、孤独に世を去る老人はいる。これは最近聞いた話だが、80代半ばのある老人がひとりで住む家に新聞が3日ほどたまった。不審に思った近所の人が大家に相談、大家は気味が悪いので、警察を呼んだ。そして中に入ってみると、TVがついていて、その前のテーブルに老人が肘をついて見入っていた。そのままの格好で亡くなっていたのだ。新聞を取っていた老人なので発見が早かったが、それがなければいつ発見されたかわからない。こんな話もある。ある老婦人が文化住宅で死んだ。その息子は近くの大きな家で自分の家族と住んでいる。充分同居出来るのに、そうしなかったのは家庭の事情だ。親は自分の生活を削ってでも息子に大きな家を与える。そしてひとりさびしく死ぬ。ここには何か割り切れないものを感じる。だが、それはまだましか。結婚せずに独身でいる者は、さびしさをより長く保つか。だが、結婚しても苦労ばかりで、子どもなど何の当てにもならないどころか、心配のたねになって、苦労のかけられどうしと思う向きもあるだろう。で、自分はどうかとふと思う年齢にそろそろ差しかかっている。子どもにしろ他人にしろ、迷惑をかけたくないと思うのは自然なことで、その思いが強いほどに、他人と関わり合うことを避けがちになる。体力があって、どこへも気軽に出かける気になる間はいい。それが次第にそうではなくなって、ついには家にいた方がいいかと思うようになると、一気に老化が進む。
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 そういう半ば引きこもり的な老人が大勢して、そういう老人を楽しませる敬老の会にすべきと思うが、頑なになっている人間をその気にさせるのは難しいし、またそこまでして他人に入り込もうとする人は少ない。そのため、自治会や社会福祉協議会といった団体がもっと目を配って何らかの活動を起こす必要が今後はさらに増す。筆者は勝手な人間なので、敬老の会に出席する資格を有するようになっても、見知らぬ老人に混じって敬老会に参加することはまずないが、それを孤独で哀れと思ってもらう必要もないと思っている。だが、心配なのは、孤独死して、死体が何日も経って発見されることだ。そんな近所迷惑になりがちなことは避けたい。とはいえ、こればかりはどうなるかわかったものではない。富士正晴は病院で死なず、ある日家の中で死んでいたところを発見された。死後すぐだったのか、2、3日経っていたのかは知らない。病院で死ぬのを望まなかったので、それは本望であったろう。老齢を感じた頃の富士の文章を読むと、ふと自分を振り返る。そう言えば去年亡くなった友人のNは、何年も前に鏡の中の自分の顔があまりに醜いと言っていた。不摂生をしていることを自覚していたのだが、病気がちでもあったからだ。50歳少々で醜いことを自覚するのは、寿命の長い現在では少し早い気もするが、昔も今も肉体的衰えは同じであったであろうから、50はやはり50の顔の皺だ。先日国勢調査票を配り歩いた時、ある老婦人とまともに25年ぶりに話をした。開口一番、「えらく皺が増えはったねえ」と言われたが、それはこちらのセリフでもあって、25年も経てば変化してあたりまえ。皺がないのはお化けだ。同じようなことは10年前にも言われたことがある。その時も老婦人で、15年ぶりの顔合わせであった。「えっ! これがあのお兄さん?」と言われて、自分がそれほど老いたのかと思ったものだが、筆者から見るとその婦人もえらく老けていた。相手の顔はよく見えても自分は見えないのだ。あるいは見えていながら、周囲の変化が予想以上であることに驚く。それは老人になればそれだけ年月の経つのが早いからで、筆者が老婦人から老化を指摘されたのも、それはその婦人にとって年月の経つ速さに感嘆してのことだ。おそらく筆者もある人に20年ぶりに会えば同じ感情を抱く。ただし、それを口にはしないと思うが。まして相手が女性であればなおさらだ。
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 鏡を見て自分の老化に愕然とするということは富士も書いていた。だが、最近その50を越えたばかりの年齢の富士の顔写真を見たが、筆者はとても好ましいと思った。最晩年はよく関西のTVに出て、老人の富士の顔や姿は記憶にあるが、50歳くらいの顔はあまり知られていないのではないか。その顔は、少しふっくらとして、貫禄があった。その貫禄は晩年の富士の顔にはないものだ。貫禄が次第に失われたというのではないが、若さゆえの活力とでも言おうか、それが50の顔にはみなぎっている。そういう先人のサンプルがあるので、筆者も自分の今後をいくらかは思い浮かべることが出来る。富士は有名人であったので、出版社の要請もあってそうした写真をしばしば撮られた。今はデジカメがあって、もっと手軽に写真を撮ることが出来るのに、デジカメを使うようになったこの5年ほど前からは、筆者は自分の写真をほとんど撮った記憶がない。その代わりに写真館でしっかりとした肖像写真を撮っておこうと思いながら、それももう10年経ってしまった。つまり筆者の40代末期から現在に至る写真は皆無に等しい。これならもっと早く撮っておくべきだった。でなければますます皺爺になる。そう言えば先日、市役所や府庁で市会議員や府の議員に相次いで会うことがあったが、政治家は顔に皺もなくつやつやとして、独特の活力と雰囲気を持っている。みんな共通しているというのではないが、やる気と貫禄がみなぎっている。これは会社の社長といった人種ともまた違う。それとは別の人間的な魅力、それはたいていは陽気で人なつっこさと言うべきものだが、それが欠かせない。政治家嫌いであっても、それはそれで接していると、興味深い。接した相手にいい感情を与えるという観点からすれば、芸術家は最も点数が低いに違いない。その上が学者ではないだろうか。芸術家は自分で好き勝手をしているから、接した他人へのサービスなど思ってはいない。売れている芸術家は特にそうだろう。その点富士はどうであったかと思うが、見知らぬ若い人がよくやって来た時期もあったようで、お客はそれなりにもてなす態度であった富士は、芸術家の気取はなかったのだろう。富士は詩や小説を書く一方で絵も描いたから、文筆家の枠を越えた芸術家であった。若い見知らぬ人がやって来るのを観察して小説のネタにしてやろうといった思いはなかったようで、富士の小説にはそんな想像力を働かせたものはない。
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by uuuzen | 2010-10-02 10:00 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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