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●嵐山駅前の変化、その46(駅舎、広場)
は庭にはつきものだが、京都では公園やそれに似たちょっとした空間に岩を置くことが多い。そして、その岩は「○○公園」といった文字が彫られる。



阪急嵐山駅前の円形広場には岩がいくつかあった。そこには文字が彫られていなかった。「円形広場」と表現すると、以前は円形の広場があったと思われそうだが、実際は円形の植え込みだ。その中心に岩があった。それは枯山水をイメージしたためかもしれない。植え込みの樹木はほとんど手入れされず、松や低木は伸び放題で、ただの視覚をさえぎる邪魔ものと化していた。それら岩や樹木がすっかり撤去されてアスファルトが敷かれた現状は、円形広場の名にふさわしい、広々として見通しのよい場所になった。だが、広場と言ってもヨーロッパのそれに比べるといかにも箱庭的に小さい。そのため、そのままにしておいてもいいように思うが、本当の箱庭にしたいようで、植え込みがまた復活する。ただし、以前と同じ位置に同じようなものは出来ない。その完成図は先月新聞で紹介され、また筆者にも、自治会にもカラーコピーが配布された。その画像をここに掲げると先がわかってしまって面白くない。もっと先のことにする。それはさておいて、円形の植え込みにあった岩はどう処分されたか。使い回しされればいいが、おそらくそういうことはなく、撤去費が計上され、粉砕してコンクリートの骨材にでもなったことだろう。使い回しするならば、一時的にどこかに保管する必要がある。それには経費がかかる。またいつ出番があるかわからないでは、なおさらその経費に見合うだけの価値のある岩とはみなされない。岩など山に行けばいくらでも転がっているし、ほとんど無料同然で、価格は運搬費とほぼ同じだろう。それに形のいい岩であればいいが、駅前にあったものは、あまりそうとは思えず、色も悪かった。それでも植え込みのデザインナーがそれなりに美意識を働かせて選んだに違いない。
●嵐山駅前の変化、その46(駅舎、広場)_d0053294_052348.jpg

 駅前のその岩が消えたことに代わって別の岩が据え置かれた。桜の林に至る道の右手、つまりちょっとした林になっている区画は、歩道を新たに区切りために道沿いの部分が若干削られた。それで木も多少犠牲になったが、極力現状を残そうという思いがあった。そして、歩道沿いのごく奥行きの小さい区画は公園となった。以前も公園的な空間であったが、今回はタイルと呼んでいいのか、砂を樹脂で固めたような地面と、その中に石製のベンチがいくつか固定された。公園と呼ぶにはあまりにも小さな面積で、おそらく京都市内で最低の面積のはずだ。それが公園であるのは、その突き当たり、つまり桜の林に入る道路際に1個の岩が置かれ、そこに「嵐山西一川町第二公園」の文字が彫られていることからわかる。なぜこんな小さな公園が出来たか。それは道を車道と歩道に区切った際、歩道に隣接する歩道と同じほどの幅の面積も市のものになり、それをそれ以外の阪急の所有地と区別するために、何らかの工事を行なって、姿を変える必要があったのだ。当然市は有効利用する義務があるし、そうなれば公園と称するしかない。西一川町は筆者が住む町だ。そこには第一公園ものもある。それは数年前に出来た。そのすぐ隣に大きなマンションが建ち、その時に整備された。子どもの遊戯具として動物をかたどったシーソーが確かふたつあるだけで、これまた公園と呼ぶにはとても小さなものだが、第二公園に比べるとまだ四角に近くて公園らしい。第一と第二を併せても普通の公園にはほど遠い面積だが、ないよりましだ。それにすぐ近くに桂川の河川敷の嵐山公園という、公園と呼ぶには大き過ぎる場所がある。「嵐山西一川町第二公園」と彫られた岩は、今日掲げる最後の写真の左端にその背面が写っている。これがいつ据えられたかは、以前に撮った写真からわかる。「嵐山駅前の変化、その29」には見えるが、「その28」にはない。「その29」は3月14日で、「その28」は12日の撮影であるので、13か14日ということになる。この岩は公園のサイズに合わせて、さほど大きくない。それでもそれなりに目立つのはさすがだ。岩はやはりこうした庭的な空間には似合う。これが金属の立て看板なら腐蝕するし、また誰かが落書きもする。岩なら子どもが乗って遊ぶ程度だが、この小さな岩には子どもが上る気にはなれない。駅前の岩が消えた直後に出現したこの岩は、駅前の岩を大きく削って造ったものかなと想像しながら、まさかそれは絶対にあり得ない色と質感で、それなりの予算、つまり税金を投じて用意された。儲かるのは石屋や土建屋だけだ。
●嵐山駅前の変化、その46(駅舎、広場)_d0053294_0524280.jpg

 今日掲げる写真は昨日に続いて4月1日のものだ。そう言えば今年のこのエイプリル・フールには嘘をつかなかった。その気分でもなったし、筆者は毎日のように家内相手に嘘をついているので、今さら嘘をついてよい日もない。さて、今日はNの命日だ。去年の今日、Nは静岡で亡くなった。その原因や、また詳細は知らない。遺族はそっとしておいてほしいと言う。それで昨日は急にNのことをいろいろと思い出し、去年の7月27日に感じたことから俳句をひとつ作った。それをこの画面右下の「つぶろぐ」に掲げた。この俳句の意味はそのうちこのブログに書く。Nの死は去年の末頃まで知らなかったが、後で思い返せばNの死んだ日に筆者はそれなりに何かを感じていたとも思える。Nが静岡に行った理由は何だろう。魚がおいしいからか。静岡にNの知り合いはないし、めったに旅をしないので、謎めいている。Nは酒好きで、筆者は一番の飲み友だちであったから、Nの命日には今年から毎年酒を飲むことに決めた。Nは日本酒が一番好きで、ビールやカクテルもよく飲んだ。毎年7月27日は猛暑のはずで、飲むとすればビールがいい。Nもきっとそう言ったに違いない。それで昨日の夕方はいつものスーパーに歩いて行き、ビールを2缶買った。一番安い発泡酒だ。通常ビールはどの家庭にも冷蔵庫に入っているが、筆者はあればすぐに飲んでしまうので、めったに買わない。なくても平気なのだ。夏のビールはうまいが、飲んだつもりになることが出来る。筆者はがまん強いのだろう。何事もがまんして不要と思えるものはどんどん削って行く。そういう生活に憧れがあるのかもしれない。実際はその逆で、モノばかり増える。スーパーへの往復、夕焼けが素晴らしかった。今年一番の美しさと言ってもよい。そんな日にNは亡くなったが、その前日の26日に最後の酒を旅先で飲んだと想像する。それで筆者も昨夜ビールを飲んだ。今日の夕方にも飲むつもりでいる。
●嵐山駅前の変化、その46(駅舎、広場)_d0053294_0531088.jpg

 Nがいればまたアホな話をしてうさを晴らしながら飲んだはずだ。それを思って昨日は午後からしきりにNや昔の人のことを思い出した。そんなことはめったにない。ところが昨日は、そしてこれを書いている今も、筆者は気持ちが沈んでいる。こんな気分になったのは20年ぶりくらいかもしれない。死んだNにはもう会えないが、生きていても会わない、会えない人がいる。そして、いつかはその人もこの世からいなくなる。筆者が生きていることはこのブログで他人に伝えることが出来るが、筆者が会いたいと思う人はネット上には生きていない。そのため、筆者の今の思いも知らないだろう。20年や30年は一瞬に過ぎる。今後それくらいの年月が経てば筆者はこの世にいない。運がよくてそれだ。もっと早いことがあり得る。筆者より1歳年長のNは去年亡くなったのだから。生きている間に会いたい人には何度も会っておくがよい。それはよくわかっていても、遠方のため、あるいは諸事情がそれを許さない。それに筆者が会いたいと思っても先方がそうではない場合もあるだろう。あるいは、相手が筆者の記憶とはほど遠い姿に変貌していることもある。それを言えば筆者もそうだ。そのため、会ったつもりになることでがまんする。がまんが続けられるのであればがまんする方がよい。そうして岩のように強固になって、表面に記憶を彫り刻んでおく。
●嵐山駅前の変化、その46(駅舎、広場)_d0053294_0533856.jpg

by uuuzen | 2010-07-27 00:54 | ●駅前の変化
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