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●嵐山駅前の変化、その38(脇道、桜の林)
道に逸れることがあまりに多い筆者は、そのそれぞれの脇道を覚えながら、遅まきながらもひとつずつ本道につなげることを心がけているつもりでいる。



ところが、順に決着づけても、その間にまた新たな脇道を作っている。人生これ脇道だらけだ。誉められたことではない。今年の自治会長会議で知り合った高齢の男性がいる。先日家にお邪魔して2時間ほど話をした。その人の祖父は四条派の画家で、その人も絵を学んで会社員として友禅の図案を描いていた。型友禅の図案家だ。それは筆者がやるような白生地から最後の染めまでひとりでこなす染色作家とは違うが、絵を描くところでは共通する。その人は定年退職後、画商となって全国を車で回り、かなりの人脈を作り、また作品も多少所蔵する。また写真撮影や水彩画を描く趣味を持っていて、図案を描く仕事から遠ざかって長年経つ。たまに図案を描いてほしいと依頼されることがあると言う。お金をもらってする仕事なので、いい加減なことは出来ないという思いがあるにもかかわらず、肝心の図案を描く感覚が戻って来ず、結局断わっているそうだ。その話を聞いていて思ったのは、長年培った技術であっても、携わらなくなると後退の速度が早いことだ。こんなはずではなかったと思っても、視力が衰え、手が思うように動かない。脇道に入り込むと、やがてそれが本道になって、本来の本道を忘れてしまう。忘れてはいなくても、戻ることはが出来ない。正確に言えば、戻るためにかなりの努力を強いられる。ザッパが最後のロック・ツアーを行なったのは1988年で、それを機会にギターを演奏しなくなった。ところがその3年後かに東欧に出かけた際、地元のバンドからの要請もあって、舞台で即興でギターを弾いた。感覚が即座に戻ったとは言い難く、迫真的な演奏にはならなかった。その後、ザッパは自分がかつて演奏した録音を自宅で耳にしながら、自分がそれを奏でたとはとても信じられない思いをした。本道から一旦外れると、いかにそこに復帰するのが困難であるかを示す話だ。
●嵐山駅前の変化、その38(脇道、桜の林)_d0053294_025033.jpg

 最近筆者はキモノの下絵をひとつ描いた。小下絵は昨年末に数時間で描いていた。それをキモノの原寸大に描き直す際に、かなりの修正を施す。鉛筆描きで1週間ほど費やして描き、今度はそれを着用者(注文してくれた女性)の家を訪れて、その下絵を体に巻きつけて花の位置などが着用してどう見えるかをチェックする。必ず2、3個所は不満なところがある。それを修正しながら今度は墨で描き直す。その際、鉛筆描きの下絵に沿って描くのではない。最初の鉛筆描きの1本の線、ひとつの花弁、ひとつの葉、ひとつの花の形を吟味し、またそれが複数並ぶとどうなるかも考えながら、さらに鉛筆描きを校正し続ける。時には何十本も引くので紙は真っ黒になる。これはあたりまえの話だが、1ミリ狂っても満足出来ない。ようやく納得した形を墨線で引くが、今回時間を計ったところ、1時間で花の輪郭が3つか4つしか引けない。花はキモノ全体で300から400はあるだろう。それに葉も枝もある。ところが、そうして墨入れする下絵は、その最終段階になってようやく納得した線が引ける気分になる。つまり、ほとんど全部描き終えたところが最も達者な線だ。であるから、そうして描いた下絵を最初からもう一度描き写すと本当に納得出来るものになる。筆者がそれをしないのは、どうせその墨線の下絵を白生地に青花と呼ばれる水で消える液体で写す時、花や葉の形を正確になぞるのではなく、細部を変更するからだ。だが、それでもなおその線は本番、すなわち染め上がった時に現われる線ではない。今度はその青花の線に沿って糸目と呼ぶ防染糊の線を引く。その時が最も緊張する。その糸目は染め上がった時に白抜きの線として仕上がる。つまり最終的な線で修正は出来ない。最初の小下絵、鉛筆の原寸大下絵、その修正、そして墨線、青花、糸目というように、ひとつの花の決定稿を得るのに、6回もなぞる。その各工程に緊張を強いられるのは言うまでもないし、また6回もなぞる間に当初の熱気が失せかねない。通常は模写を経るごとに細部の形は鈍化する。これは他人が描き写す場合は特にそうだ。だが、自分で描いた絵を自分で何度もなぞる行為は、形がより本質を求めて練磨されやすいし、またそうなるように真剣な態度で常に臨む必要がある。以上の説明でわかると思うが、手描友禅をひとりで全部こなすという行為は、日本画を描くこととほとんど大差がない。むしろ技術的にははるかに困難だ。そうした仕事を本道とする一方でほかの脇道的仕事に頭を突っ込むと、当然手が鈍る。キモノの下絵を久しぶりに描いて、最初はなかなか勘が戻らない。先に書いたように、ようやく1か月ほど描き続けて納得出来る線を引くことが出来る。これは脇道にはまり込まない方がよいことをよく示す。ところが、そんな膨大な時間を費やして作るものはそう簡単に注文があるわけはない。そのため、ほかの収入の道を探ることになる。それが脇道になる。そしてその脇道を本道並みに熱意を費やすので、脇道の仕事もまた膨大な時間がかかる。
●嵐山駅前の変化、その38(脇道、桜の林)_d0053294_033282.jpg

 さて、脇道の写真、今日は前回の翌日、3月24日の光景だ。1日にして様子が変わった。長年見慣れた光景がついに大きく変化する時だ。前にも書いたように、この脇道は駅舎のすぐ脇にあるが、タクシー会社の後方に位置して、プラットホームを出て来た観光客は見ることがない。そのためもあって、タクシー会社は数十年も朽ち果てるがままにしていた。以前壁が道側に剥がれ落ちて、子どもが歩いていれば亡くなったか大けがをした。だが、会社は見えないところにお金を使わない。その脇道を利用して毎日大勢の地元住民が駅を利用する。だが、地元住民から顔をしかめられていても平気だ。それがついに改装されることになった。こんな機会はまた半世紀を経なければないに決まっている。その劇的な変化を記録しようというわけだ。今日は同じ日に撮った桜の林の2枚も掲げておこう。てきやの屋台の設置が終わったのはいいが、あいにくの雨で店は閉じたまま。足元が悪いので、観光客は水溜りを避けてゆっくりと歩く。同じ角度で撮影するのは案外難しい。そのため、「嵐山駅前の変化、その5」に掲げた2枚をA4の紙に印刷し、それを見ながら厳密に角度を決めた。それでも多少ずれている。屋台はこの場所では4、5軒だけで、フランクフルトと肉巻きおにぎりの文字が見える。桜は蕾が大きく膨らんで、木全体がほんのり赤く見える。開花すれば屋台も店開きということだ。てきやは脇道的人生なのだろうか。縁日を目当てに各地を移動する場合はそう言えるかもしれないが、そういうてきやばかりではなく、本業を持ちながら、アルバイトを使って臨時営業する場合も多いと思える。脇道が本道の付随で、別のボーナス的収入をもたらすというのであればどれほどいいだろう。筆者はまるで脇道的てきやみたいな人生を歩んでいる。
●嵐山駅前の変化、その38(脇道、桜の林)_d0053294_04779.jpg

by uuuzen | 2010-07-18 00:04 | ●駅前の変化
●つまり、「祇園祭の宵山に酔い... >> << ●嵐山駅前の変化、その39(脇...

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