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●嵐山駅前の変化、その37(駅舎、広場)
場の片隅に黄色い鉄柱が並んでいる。そのうちの決めた1本を背にして駅舎の前面を撮る。前回のその写真は3月21日のもので、「嵐山駅前の変化、その33」の最初に掲げた。



当日は中国から飛来した黄砂がひどく、いつもとは違う風景に見えた。今日掲げるのはその2日後だ。桜が咲く前のまだ肌寒い頃で、小雨が降っていた。したがって観光客もまだ少ない。この日、駅舎を覆っていた白い布地が一部取り払われて、新しい駅名表示が顔を覗かせた。よく見ると、「阪急嵐山駅」の文字の前に電車を前から見た記号がついている。この記号は別の場所やネットでも見たことがある。近年出来た鉄道記号だ。それをそのまま駅名の前にくっつけて表示するところは、時流を意識してのことだ。そんな記号がなくても駅名とわかるという意見があろう。だが、漢字がわかるのは黄砂を知る中国か韓国くらいなものだ。漢字の下にローマ字表記もあるが、これは間近でなければわからなほど小さい。それで記号が必要と考えたのだろう。これなら字の読めない子どもや西洋人でも駅であることがわかる。この改修以前は、駅名を表示した看板を夜になるとライトで照らしていた。この新しい表示は、文字が出っ張っていて、その内部に電球が入っているのか、文字が光る。ネオンではないが、そのように見えるところがより都会的となった。この新しい表示は今後20年ほどは使われるだろう。時代に合わせて何事もリニューアルだ。公共的なものはそうなるのがよい。個人もまたそうと言えるが、老人になると先が短いことと、また頑なな性質になることから、新しいものに興味を示さなくなる。筆者はその部類だ。それでもネットでこうしたブログを毎日やるだけでも、それなりに時流に沿っているかもしれない。
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 今、急に思い出したことがある。8、9年前か、去年死んだNと一緒に京都で飲んだ時、適当に初めての店を訪れた。いや、Nが何かで読んで店の評判を知っていたと思う。祇園にあって、3、4流どころのグループサウンズが懐かしのメロディのライヴ演奏を聴かせる。それをみんなが一緒に歌い、また踊ながら楽しむという店であった。筆者らより10歳以上は若い男女が多く、みな真剣に体を揺すっていた。筆者のすぐ近くにいた30代半ばの女性は、ごく普通の会社員といった感じの顔つきと身なりで、しばし観察したところ、ひとりで来ているようであった。そういう女性がいることが珍しいと思ったのでよく記憶している。筆者はひとりで酒を飲んで歌って踊れる店というのが女性にとって必要であるという事実を知って、世の中は知らないことが多いなと思った。だが、その女性も含めて、そういうところにひとりでやって来る女性に興味がは持てない。嫌いというのではなく、関心が湧かない。何だかこっちまで孤独を味わわされる気がするからだ。だが、孤独な女性はいるし、そういう女性にとってそういう店はなくてはならないのだろう。筆者もNも懐かしのグループサウンズの曲にはさっぱり興味がなく、また踊る男女が新興宗教に熱くなっている表情と同じに思えて、20分ほどいただけで店をそそくさと出た。確か飲み放題であった。Nはビールばかりを飲んだが、筆者はウィスキーにした。ところがボストン・クラブという安物だ。だが、これはまあ入場料からして仕方のない。その店は今もあるだろうか。何かで取り上げられ、それなりに話題になったとすれば、時流にかなっていたのだ。だが、時流にかなっているあらゆるものに色目を使う必要はない。Nは時流に敏感で、新しいものは何でも好きで、また即座に買った。筆者は全くその反対で、時流に乗っているものにはいつも批判的だ。時流に載せるために何か操作が行なわれたか、あるいは単に人々の付和雷同が盛んなだけではないかと疑ってしまうのだ。
●嵐山駅前の変化、その37(駅舎、広場)_d0053294_0393311.jpg

 さて、黄色い鉄のポールの1本から駅舎の写真を撮ると、次に円形の植え込みのあったところに据え置かれている木製の大きな床几のかたわらに移動する。それは駅舎を出ると真正面に置いてあって、雨ざらしなので、かなり古ぼけている。いつからそこにあるか知らない。これを書く今日現在もそのまま存在する。これがぽつんと何もない駅前広場に置かれる様子はかなり奇異だ。時流云々で言えば、全くの時代遅れで、かなりみすぼらしい。駅前の広場はすっかり新しくなる予定であるから、いずれ撤去されるに違いないが、そうなるのはさびしい。この床几からは、駅舎を出て来る人を真正面で座って見ることが出来る。駅前で人を待つ時、あるいはそうでなくても、ここでちょっと一服というのにとても役立つ。ところが、床几を置くという小さな親切は、駅前の美化という名目によってすっかり無視されるに決まっている。座るならば駅前の喫茶店か、あるいは駅舎内の小さな待ち合わせ室か、あるいはプラットホームのベンチか、ともかくそういうことになる。阪急電鉄の全駅で、こうした古ぼけた床几をひとつだけぽつんと駅前広場に設置するのは、おそらく嵐山駅のみだ。その意味で、この床几はとても貴重な名物かもしれない。「嵐山駅前の変化、その33」では最初に掲げた写真の左端にも、そして今日の写真にもこれが映っている。筆者の予想ではこれから半年以内に撤去処分される。それまでにこのブログの読者に一度座りに来てもらいたいが、時流から取り残されたものに関心を示す物好きはいない。古いものがなくならない限り、新しいものが生まれないという理由もつけられる。
●嵐山駅前の変化、その37(駅舎、広場)_d0053294_040337.jpg

by uuuzen | 2010-07-15 00:40 | ●駅前の変化
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