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●嵐山駅前の変化、その35(ホテル)
が嵐山にはたくさんいたことを先日耳にした。駅前ホテルの起工式後の直会(なおらい)でのことで、6月30日だ。



その日のことについてこのカテゴリーに書くのは、この調子では、秋になるだろう。また、ここでは書きにくいことがいろいろとあるが、その頃までにそれがどう変化していることかと思う。事態が動いているからだ。その渦中でまたこの駅前の変化シリーズを2週間だけ挟む。時期としては、ちょうど桜が咲き終わった頃までとなる。話を戻して、蛍がたくさんいたと話をしたのは、宴席で筆者の斜め前に座った京福電鉄(嵐電)の偉いさんであった。貫禄のある人で、初対面の筆者にまるで旧知の間柄のように親しく話しかけるので多少面食らった。今にして思えば、蛍がどの辺りにいたのか訊ねるのを忘れてしまったのが残念だ。そう言えばわが家の裏庭に、10数年前に1、2匹飛んでいたことがある。ちょうど今頃の蒸し暑い季節だった気がする。筆者は今頃の季節が嫌いではない。むっとするその湿り気のある暑さは、妙に艶めかしくて、よからぬ想像をしてしまうことが多い。また話を戻して、家内が見つけた蛍は裏庭と部屋の境を飛び回っていた。その光を思い出すと、白黒映画に蛍の光だけが青白く照っている様子が想像される。ビールのコマーシャルに、ビールだけが黄金色で、他は全部白黒に変換されているものが最近よくある。ちょうどあれに似た感じだ。わが家の蛍はその年のみで、その後は一度も見たことがない。嵐山ではおそらく全滅したであろう。これが大原野の灰方辺りまで行くと、まだたくさんいるようで、かつて嵐山は灰方とほとんど大差ない田舎であったはずなのに、日本有数の景勝地ということで、開発が続き、蛍は住めなくなった。
 「嵐山に蛍を復活させようという運動を起こせばいいのに…」と、嵐電の偉いさんは語っていた。その口調の半分には冗談が含まれているように思えた。蛍の飛び交う嵐山を復活させたところで観光客が今以上に多くなることはない。むしろ観光客がもっと減って、自然が増えた後に蛍が増えるだろう。地元の商売人は、観光客がたくさんやって来て、しかもお金をどんどん使ってもらうのが理想で、そのために蛍が役立つのであれば、それを増やす運動もするだろう。そのことを地元活性化という言葉で表現するが、地元の商人以外にはほとんど関係がない響きがある。むしろ、町を汚すだけの観光客は迷惑でもある。そうした思いが、地元住民の間にある程度の対立めいた感情を生む場合がある。商人は商人で観光客誘致のためにいろいろと策を練り、また会費を集めて独自の会を結成しもするが、その会の思惑が必ずしも地元住民全体の思いと一致するとは限らない。当然そうした会は嵐山の環境を保全するためにも策を講ずる。だが、純粋にそれだけが目的かと言えば、商人でない住民からすればにわかに信じられないところがあるだろう。そのため、せっかくのいい策や案、運動であっても、地元全体が意見の一致を見るとは限らない。そこで登場するのが、自治会長や、その自治会長を束ねる存在の自治連合会会長ということになる。筆者は嵐山地区の最も嵐山たる観光地における自治会長をしていて、連合会の会長以上にある意味では密接に地元の観光に関連する商人とつながりを持つ必要がある。だが、一方で自治会には通勤の家庭も多く、微妙な立場にあると言える。なぜこんなことを書くのかと言えば、今年の桜の季節以降、筆者は徐々に地元商人の会の運動から話を持ちかけられ、目下もそれが続き、今後どう決着するかわからないからだ。そのことの全部は多くの会社や人が絡む問題で、弁護士もその背後に控えるだけに、ここでは簡単に書けそうにない。筆者は予想以上に傍観者でいることが難しく、それどころか当事者の最たる人物のひとりに祭り上げられても来ているようで、当初予想した以上にこのカテゴリーのこのシリーズ投稿が筆者にとっては大きな問題になりつつある。
●嵐山駅前の変化、その35(ホテル)_d0053294_9485681.jpg

 それは今後少しずつ書いて行くかもしれないが、今日はともかく桜が咲く以前に撮っておいて写真を掲げておく。3月18日の駅前ホテルの建設現場だ。4か月経った現在はもうこの写真とは違う光景になっているので、こうした過去の写真はもうそこには存在しない点でそれなりに面白い。ところで、「おにおにっ記」がいつも投稿当日とは違う日づけを記していることに対して意味がわからないという声をたまに聞く。同じことは、「嵐山だより」の各投稿の後半部の紫色の文字の日記や、この駅前シリーズの写真にも当てはまる。つまり、投稿当日よりかなり以前の文章を掲げている。そのような古いことを載せても仕方がないという意見があろうが、たとえば今こうして書く瞬間ごとが過去になって行くし、文章を読む行為は、過去の確認にほかならない。そして、こうして書く行為は生きているからであって、死とは無関係だ。つまり、筆者が死んでも、今こうして書いている文章を読む人は、生きている筆者を感じる。それと同じようなことを、3月18日のホテル建設現場写真についても思う。その光景は、来年の初秋にホテルが建った時にはすっかりどこかわからない、またどこにも存在しない場所となる。だが、そういう光景が存在したことは事実であり、筆者はその前に立って写真を撮った。その事実はホテルが出来てからその写真を撮ることと同じ意味があり、どちらも筆者が生きていたことを保証する。そして、完成もその途上も、また完成後の衰退も価値としては変わらない。先日1歳程度の子どもを電車内で見た。2、3週間前にも見た男子だ。とてもかわいい盛りだが、筆者はその子がどういう青年にあり、どういう老人になるか見えた気がした。それは赤ん坊でも同じことだ。赤ちゃんは老人とよく似ている。老人へと進む遺伝子の特徴が赤ちゃんの時にすでに顔に宿っている。赤ちゃんは青年や老人と同じで、人間はそれらの各世代を順に移動して行く。
by uuuzen | 2010-07-13 09:38 | ●駅前の変化
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