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●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その6
貌が変わるのは3年あれば充分過ぎる。人でも時代でも。昨日投稿が後れたのは、一昨日伯母が亡くなったという連絡が入って通夜にかけつけ、そのまま1泊し、昨日の葬儀にも出席したからだ。



●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その6_d0053294_11332718.jpg 母の姉で、享年91、ここ数年は寝た切りの状態で意識がなかった。歯がとても丈夫で虫歯が1本もなく、また1本も抜けていなかった。遺骨を拾う時、それらの歯が何本も残っていた。母も筆者もそこまで丈夫ではないが、それでも歯医者が驚くほど歯がしっかりしている。母筋はみな歯が丈夫で長命だ。そう言えば、去年の末に喪中はがきで死を知ったHは歯がとても悪く、それで死期を早めたと思う。そんな連想で言えばザッパもそうだ。歯が悪かった。それはそうと、集まった親類は3年ぶりに会う者が多かった。3年前に伯母の生前葬みたいな集まりをし、その時の顔ぶれに葬式で出会った。そこで思ったのが、3年で人も時代も変わることだ。だが、そこには筆者も含まれている。それがなかなか実感出来ないが、確実に誰もが変わっている。筆者は万年青年と、まるで植物のオモトみたいに言われることが多く、昨日もそうであったが、そう言ってくれる相手も昔と大差ないように見える。お互いそうして若いと言い合うことが70代、80代になっても続いているかもしれない。昨日の投稿に掲げたブックレット写真の見開き右側には、それと似たことが書かれている。「……このアルバムを作ったのは、この手の音楽(まさにロックンロールのいでたちをしてスタジオの周りに座り、そして古き時代を懐かしがってもそもそとしゃべっているひとかたまりの老人の)が本当に好きであるからで、10年後にこれを聴くあなたは友だちと輪になって座りながら、同じことをしているかもしれない。座る場所があるならば。」 最後の座る場所というのは、含みがあって面白い。10年後のことは誰にもわからないし、座る場所というものがもう誰にもどこにも残されていないかもしれず、また友人が仲違いして誰かがグループから仲間外れになっているかもしれない。もうひとつ面白いのは、このアルバム『CRUISING WITH……』を聴く者が、10年後という設定だ。アルバム発売から10年後とは限らない。つまり、今の若者が初めてこのアルバムを聴いてから10年後でもいいのだ。そこで筆者の経験を言えば、筆者がこのアルバムを聴いたのは70年代の初頭で、その頃すでに古臭い音楽という気がしたが、それはザッパも同じで、50年代のロックンロール創世期に活躍したミュージシャンはザッパの先輩格であった。そうした先輩格はこのアルバムの時代にはすでに過去を懐かしんで語り合う老人であった。そして彼らの音楽のスタイルを模倣したアルバムは本来ずれを狙ったもので、そのずれはいつの時代にも通ずる普遍性を持つ。そのずれをあえて意識しながら、ザッパは一方で先人の単純ではあるが楽しい音楽にオマージュを捧げつつ、片方でずれならではの現代性の刻印を自作に対して施した。その方法はザッパの全音楽に通じていると言ってよい。ずれを楽しむものであるから、つまり、流行に敏感に反応したものではないから、いやむしろ時代の流れに背を向けているから、ザッパの音楽は時代を超えているところがある。それはいつ聴いてもいいもので、いつ聴いても懐かしさがどこかにある。その懐かしさこそが人が感じる尊い記憶ではないだろうか。
●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その6_d0053294_1132528.jpg

 だが、これはひたすら過去を懐かしがってその中に仲間と一緒になって埋没するという意味ではない。ザッパの目的はまた別にあった。単純で楽しい音楽も確かにいいが、そういう音楽ばかりでは作曲家として生き続けることが出来ないという思いだ。そのため、絶えず新しい音楽を求める。その新しさの中に『CRUISING WITH……』もたたずんでいて、それは50年代のロックンロールそのままの模倣ではないことから明らかだ。それは周到に組み立てられているので、聞き流すだけではわからないだろう。このアルバムではどの曲も1968年という当時先端の音楽技法が用いられている。つまり50年代のロッカーがしっかり聴くと、とても50年代とは思えない部分を持っている。たとえばファルセット・ヴォイスだが、そうした高音の声をザッパはテープの回転速度を上げてロボットのようにコミカルで不気味なものに変えてもいる。ずれを楽しむのであるから、そうした凝った技術はよく似合う。いや、不可欠なのだ。それは古い音楽に新しい技術や考えをはめ込むことで、それを見える形である意味では端的に示したのが、ブックレット内部の各メンバーの顔写真だ。それは昨日掲げたメンバーの集団写真の顔を、全然別の50年代のロッカーらしき人たちの顔の中にはめこんだもので、2枚の写真の角度のずれ、また人物のファッションのずれもあって、どの写真もみな滑稽で不気味だ。これらの合成写真は『CRUISING WITH……』にはなく、今回の『GREASY LOVE SONGS』のために作られた。収録曲については大半が『CRUISING WITH……』で、あまり語ることもない。収録曲のいくつかを、ザッパは後年のツアーで取り上げた。それらはライヴ演奏であるため、本アルバムほどに懐かしくもまた技巧的にも聞こえない。また、「How Could I Be Such A Fool」「You Didn’t Try To Call Me」「Any Way The Wind Blows」「I'm Not Satisfied」は別ヴァージョンがデビュー・アルバム『フリーク・アウト』に収録済みで、それらと聞き比べる楽しみがあった。特に「You Didn’t Try To Call Me」は速度がかなり違って印象に強く、ザッパの音楽を聞き始めた70年代初頭、筆者のお気に入りで、その感覚は今も鮮明に蘇る。その楽しみを輪になってぶつくさ語り合う者はいないが、座る場所はある。ザッパ・ファンにとって、今回の目玉は「Valerie」ではないだろうか。これは背後にひとりの女性が終始ひどい叫び声を上げ、ビートルズの女性ファンたちの悲鳴を模して風刺したものに思えるが、たったひとりが演技として叫ぶので、そこには自ずと笑いが生まれている。また、おまけとして、証明写真サイズのザッパの白黒肖像写真が1枚挿入されている。それは「ルーベンとジェッツの物語」の横に印刷されていたものと同じで、ズート・スーツらしい白のジャケットを着て、鼻の下にうっすらと髭を生やした容貌をしている。これはパチューコを模倣したもので、ザッパは自身にチカーノの血が流れていることを思っていたのかと思わせる。この写真を見ていると、それはあながち間違いではないかもしれないと思えて来る。最後に書いておくと、一昨日掲げた『GREASY LOVE SONGS』の見開き内部右側の白で印刷されたものが何の写真の一部か不明で、これがずっと気になっている。『CRUISING WITH……』にはなかったもので、いったい何だろう。

●2003年4月2日(水)夜 その2
●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その6_d0053294_1135416.jpgさて、さきほど芋銭の軸について書いたが、ネット・オークションで最初に買った掛軸は先日書いた芋銭の贋作ではない。その直前すなわちまだ自分のIDを取得する前、もう1点甥に頼んで落札してもらった。それが今まで落札したものの中では最も高値であった。○○万円まで出す気になって、その金額を終了時刻2、3分前に入札した。すると当然たちまち最高入札者となって踊り出たが、それまで最高金額を入札していた人物が執拗に追いかけ続けて入札を繰り返した。そのため終了時間はどんどん延長され、結局予定時刻を40分も越えたところでついにその次点の人物は高値更新を諦めた。○○万を越えることなく、ただ1回の入札で落札できたが、何と入札回数は199であった。その後300回ほどの入札のあった出品を見たことがあるが、ネット・オークションで約200回の入札などめったに見られない。1000円スタートの古ぼけた掛軸が数百倍もの価格で売れるのであるから、出品者としてはいい話だ。落札した掛軸は雄と雌の鶏を描いた若冲の水墨画だ。出品時の画像からだけでも迫力が伝わり、しかも若冲では最もよく使用されている縦長の長方形白文とその下に捺される丸印朱文のふたつの印章は鮮明な拡大写真が提示され、カタログなどで調べると本物に間違いなかった。絵がよくて落款も本物。これはぜひほしい。去年の日記に「若冲の掛軸を40万までならば出してもよい」と書いていたが、それからほどなくしてインターネットを自宅で始めてこの出品に出会った。何という幸運とばかりに無理して落札を決めたのも無理はない。届いた絵は予想をはるかに越えて迫力があった。墨の発色はよく、落款の朱肉も濃い。それに何よりも絵に勢いがあって、鶏の形を的確に捉え、並みの技術ではこうは描けないほどの鋭さと繊細さがある。豪放さを水墨画と勘違いしている人がいるが、若冲の水墨画は省略と緻密、即興と計算がない混ぜになっている。単純なようでいて決してそうではない。表具はそうとうに古く、一部糊が剥がれているが、それはごく簡単に直る。また2回ほど表具を変えている。というのは本紙は惜しいことに虫食いがかなりあり、印章も数分の1は見えない状態だ。絵の部分は比較的虫食いは少ない。やや横長の茶軸で、軸先は骨とされていたが、これは紛れもなく象牙で、しかも珍しい1寸の径だ。通常は8分であるので、これはかなり豪華な表具だ。使用している裂地からもそれはわかる。出品時の説明には「奈良の旧家から出たもの」とあったので、それを出品者に訊ねると「自分は陶器専門の業者だが、関西の業者がたまたま仕入れた軸を回して来たので自分で売ることにした」との話で、「奈良のどこかは売り手の事情もあって明かさないのが業界の約束事になっている」とも言われた。ひょっとすれば盗品の恐れもあるので、こうした美術骨董品は本当はちゃんとしたところから買うのがいいのだが、奈良の旧家ということを信ずれば、その家の人が古い軸を見て、作者もわからず、またわかっていたとしても贋作かもしれず、それに興味もないということで業者に安く譲ったのだろう。そのようなことはいくらでもあり得る。それほどに古いもので、おそらく100年ほどは巻いたままであったのではないだろうか。本物だとすれば、描かれたのは200数年前になる。いずれにしろこんなにも早く若冲の絵が入手できたことにまるで夢心地で、その4日後のお彼岸の中日の前日、1年ぶりにまた伏見の石峰寺を訪れた。それはいわば若冲に対する挨拶であり、伏見人形を集め始めてからやがて若冲の実物を入手したいものだと密かに思って来たことのひとつの区切りとしての自分なりの儀式であった。自分の身銭を切って実物を所有しなければわからないことがある。それはモノにまとわりつくアウラへの憧れゆえの思いだが、それに複数生産品ではなく、1点しか世の中にないものであれば、なおさらアウラは輝きを増す。そのモノは自分がやがてこの世からいなくなっても、次に誰かによって大切にされ続けるだろう。それまでのわずかな期間を充実した気分で過ごせるならば、モノに対して支払った金額など安いものだ。お金の問題というよりも、むしろその作品にたまたま出会えて入手できた運命の方が何だかありがたい。おめでたい性質と言えばそれまでだが、人はそうして自分の人生を何か特別に意味のあるものと考えたくなる存在ではないだろうか。買ってからまだ数回しか広げて見てはいないが、所有しているという満足感が自分を以前とは違うところに連れて行ってくれたような気がする。言い換えれば脱皮した。若冲のことになおいっそうの興味が持てたことはもとより、同じ京都に住んでいたこの画家が歩いたはずの道筋や見た景色などを想像ないし追体験することで、自分もまた自分なりの仕事をせねばならないとの強い思いがふつふつと内部から湧き上がって来る。若冲が死んだ歳になるまで30年少々ある。その年月の間にさてどれだけのことができるだろうか。また何を成すべきか。そう考えるとこれからの1日1日がとても眩しい気がする。深夜になった。今日はこれまで。
by uuuzen | 2010-05-17 11:35 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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