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●『MIHO GRANDAMA』
教アレルギーというほどそもそも宗教に関心も馴染みもなかったし、今もないが、美術との関係で宗教の存在に気づかずにいることは出来ない。



●『MIHO GRANDAMA』_d0053294_9515268.jpgキリスト教や仏教、あるいは儒教もそうだが、日本の新興宗教も含まれる。新興宗教でまず思うのは大本教だ。筆者がその存在に気づいたのは10代の終わり頃だった。そして亀岡や綾部から大本教を連想するほどになったのは、京都に住むようになってからで、少しずつ大本教に近づいた。パワー溢れる出口王仁三郎の著作はまだ読んだことはないが、大本に入信し、王仁三郎の娘の直日と結婚した日出麿には興味を持ち、著作を通じて生涯を知り、また水墨の小品も入手するようになった。それが6、7年前のことだ。また、大本教初代から始まって当代の教主までが作った美術品の展覧会が5、6年前に開催され、それによってより大本教が身近なものに感じられた。筆者は車に乗らないので、亀岡や綾部の大本教関連の施設にすぐに行くことが出来ないでいるが、いつか行きたいとの思いを忘れたことはない。1年に1回もないが、亀岡や綾部方面に車で乗せてもらうことがある。そのたびに前もって予約するなどして大本教を訪れたいとも思うが、車の運転者がそういうことに全く関心がなく、言い出せないでいる。そのため、今後も足を運ぶことはないだろう。筆者は綾部には一度しか行ったことはない。山が深く、静かで落ち着いたところというイメージで、思い出すたびに心が落ち着くと言ってもいいほどだ。そういう場所に大本教の発祥の地があることは全く理解出来るし、理想的なことだ。一方、大本教に魅力があるのは、何と言っても王仁三郎ら教祖が手がけた造形作品だ。それは美術史には組み込まれない独立した個性を持つもので、不思議な魅力に溢れている。絵画や書、陶芸など、作品は人を表わす。その観点に立てば、大本教は確かに独自の純粋なものを保っていることがわかる。作品は嘘をつかないからだ。その意味で、大本教は新興宗教の中でも稀有な存在と言える。そういう大本教大正から昭和の戦前にかけて大きな弾圧を受け、神殿を破壊されるなどした。そういう権力による迫害がたとえばオウム真理教の信者たちに、なおさら信仰を篤くする方向に影響を与えかねないことは明白で、攻撃があれば精神はより強靭になってそれに耐えるようになる。これはウィスルでさえもそうであって、強い力を持つには抵抗勢力が欠かせない。これがみな平等となれば、みな弱くなって、外敵があれば一気に滅亡だ。貧しく、あるいは虚弱に育った者が強い精神力を持つ大人になりがちなのは、本能的に自己を守ろうとするからだ。筆者もその部類に入るかと思ってみるが、宗教に入信したことはないし、単なる、そして小さな興味にとどまっている。それは昨日も書いたように、ひとりでいるのが比較的好き、あるいはそれで孤独を感じないからだ。だが、それとてもっと老いて体が弱くなるなどすればどうなるかわからない。どうなるかわからないことを今から考えるのは無駄であるので、ともかく今を明るく楽しく過ごそうと思うだけだ。
●『MIHO GRANDAMA』_d0053294_9551772.jpg 『MIHO GRANDAMA』と題する展覧会の招待状が届いたので、初日の前日3月11日に行って来た。図録は珍しくも読み物が多い。MIHO MUSEUMの設立の経緯やそれを運営する神慈秀明会の考えについてもいちおうは簡単にわかる内容となっている。筆者が興味深かったのは、梅原猛の文章だ。MIHO MUSEUMの初代館長が梅原であったことを初めて知った。それよりも面白かったのは、神慈秀明会が世界救世教から分かれたものであることだ。世界救世教の創始者は岡田茂吉という東京生まれの人で、病気を重ねるなど若い頃にさんざん苦労をし、大本教に入信する。日出麿より10数歳年長であるから、ひょっとすれば直日と結婚して大本教を継いでいた可能性もあったかもしれない。だが、大本教を離脱して今度は自分の考えを広めるようになる。それは簡単に言えば体に悪いものを取り入れないということで、虚弱体質であったことがそういう考えを実践させた。だいたい何か悩みのある人がそれを打破しようと、信仰に入ることが多いが、昨日書いたように、悩みは永遠になくならないから、宗教も永遠に存在する。岡田茂吉の教えはやがて世界救世教となり、また熱海に有名なMOA美術館を設立するなど、岡田は美術品収集に関心が大きかった。それは大本教の影響が大きいだろう。世界救世教は京都の河原町丸太町にもあるが、もともと関東の人であるだけに拠点は関東だ。梅原の文章によると、現在の神慈秀明会の主である小山美秀子は岡田の弟子であった。それが、岡田没後の後継者問題に嫌気がさして独立した。宗教の教祖はみな個性が強烈であるから、その人物がなくなった後に弟子たちが内紛を起こすのは必然もある。そのようにして新興宗教は代を重ねるごとに尻すぼみ状態になり、それに代わってまた勢力の大きなものが登場する。だが、それらにはそれなりのつながりがある。大本教から世界救世教、そして神慈秀明会と流れを見ると、そこには美術によってつながる道筋が見える。その点オウムは全くそれが欠如し、ただ頭のいい人間を集めようとしていた。美に関心のない人ほど退屈なものはない。単なる頭のいいだけでは、コンピュータに負ける。美はよく創造という言葉と並置されるが、科学も創造であって、美なのだ。それをそう思わない人が多くなっている。小山美秀子は船場のいとさんとして生まれ、稽古ごとをひととおりこなした後、東京の自由学園で学んだ。美術に関心が深くなったのはその影響が大きい。
●『MIHO GRANDAMA』_d0053294_9531378.jpg 世界救世教は光琳の屏風や仁清の壷など国宝を有する美術館として、今では関西からそれを見るために出かける人も多い。美術が教団の宣伝に役立っている例だが、岡田の教えを受けた小山美秀子が同じく美術品の収集に精を出すのは必然だ。神慈秀明会こそ世界救世教の後継者と自認していたのであるからなおさらで、また小山が大阪出身であったことが、関西の地にMOA美術館に対抗出来る大きな美術館を造ろうという気持ちにさせたと見てよい。小山がもし東北の出身であれば、MIHO MUSEUMはそこに出来たいたであろう。岡田が名品を買うことが出来た時代とは違って、今では収まるべきものは収まるところに収まっているから、美術館を造るとはいえ、そこに展示する美術品の収集は困難をきわめる。それを小山が果たし、またその理念が娘に継がれて、たとえば最近では若冲の「象鯨屏風」が収まった。MOA美術館は現在も積極的に美術品の収集をしているのかどうかは知らないが、若冲は所有しない。その意味でMIHO MUSEUMは現在の積極的に収集する筆頭機関と言ってよい。信楽の山を購入し、そこに世界的に有名な建築家に美術館を設計させ、さらには世界中の美術品を集めて展示するということには、どれほどの費用がかかっているのか、さっぱり見当がつかないが、小山美秀子の思いが通じたということだろう。誰しも強く願うと、いずれその思いはかなう。これは業者があそこならこれをほしがるだろうと思うからでもあるが、美術品はほしいと思う人のもとに自然と集まるもので、ある程度集まると、その後は加速度的にさらに集まる。MIHO MUSEUMは常設展示のほかに積極的に企画展を開催する。それは現在の館長の辻惟雄の力によるだろうが、この一流を目指す心意気には目を見張るものがある。梅原の文章には、現在の会主の小山弘子が観音様、辻惟雄が恵比寿様と表現している。恵比寿様は商売繁昌の神さまであるから、MIHO MUSEUMの宣伝に大きな役割を果たしている辻氏をそのように表現するのは的を射ているし、実に愉快な、そして的確な表現で、梅原の目の確かさと貫禄を思う。また、観音様という言葉が出るのは、岡田茂吉が観音を信仰したことによる。それを知ると今回の展覧会に展示された狩野芳崖の「悲母観音像」の綴織の意味がわかる。これは川島織物の所蔵であったものを、強く願って入手したもので、辻氏はオープニングの際の話で、芳崖の原画よりよく見えると語っていた。平成六年の作で、それ以前にも織られたことがあると思うが、4500種の色糸を使って、10何人かの職人が確か数年かかって織り上げたと聞いた。織物であるから、見る角度によって光方が違い、確かに原画とは違って重厚感が増しているだろう。
●『MIHO GRANDAMA』_d0053294_954286.jpg 桃源郷という名のふさわしい山中の美術館で、トンネルを抜けたところに建っている。桃か桜か、美術館側からトンネルを抜けて帰ろうとする時に見える光景を撮った写真が展示されていた。そうした花の季節に訪れたことがないので、想像するだけだが、そのような珍しい光景を見るだけでもこの美術館は一度は訪れる価値がある。梅原は、新興宗教の宣伝になることを恐れて、メディアはあまりこの美術館について書くことをしないと書き、それを残念がっている。大本教の弾圧以降、日本はそのように新興宗教に関してはそっとしておくようになり、それがオウム事件にも影を落とした。オウムもそうであったが、食べるものが人間を形成するという考えに基いて岡田茂吉は無農薬野菜を重視した。それと同じ考えを神慈秀明会は保持し、MIHO MUSEUMの館内レストランで出すメニューはすべてそうした食材を使っている。今回の展覧会のタイトル「MIHO GRANDAMA」の「GRANDAMA」(「GRAND」と「DAMA」つまり英語の「「DAME」(貴婦人)の合成」は、神慈秀明会がイタリアで作らせた無農薬のワインの名前で、それは小山美秀子のことをたとえている。図録の副題には「ARTE DELLA LUCE」(光の芸術)ともある。そして、図録表紙の色は赤みを帯びた金色で、これが赤ワイン「GRANDAMA」のラベルの色として採用された。これは光に最も近い色とされるピンクゴールドとのことだ。このワイン作りは難航をきわめながらも、カビの発生から生き残った3パーセントの葡萄から初年度に100本だけ生産出来たものだが、それらがどう配られて飲まれたかは知らない。筆者の叔父は宇治で畑を借りて作物に精を出している。無農薬で作るので、たまに届けられる野菜は虫だらけで、特にキャベツはこれがキャベツかと思うほどにぼろぼろで、中から芋虫がわんさか出て来る。3パーセントとは言わないが、農薬を使わないと虫に食べられる分の方が多いだろう。それにそうした畑では虫が発生すると隣の畑を借りている人が文句を言いかねない。無農薬より収穫が多く、見栄えのよい野菜を求める人の方が多い。何でも効率であり、また不潔はいやというわけだが、芋虫を不潔と思って残留農薬をそうと思わないほどに人間は愚かで退化して来た。筆者は野菜を育ててみたいとはまだ思わず、食べられなくてもきれいな花がよい。だが、庭も増えたことであるし、いつか叔父に来てもらって畑の手ほどきを受けるかもしれない。
by uuuzen | 2010-04-15 09:55 | ●展覧会SOON評SO ON
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