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●松尾駅の駐輪場、その3
題が生ずるとそれを解決しようとする。そして解決した後にまた別の問題が起きる。それがわかっているならば、問題を問題と思わずにそのまま放って置くのもよい。



それでも結果はそう大差なかったりするからだが、この場合の結果という表現はおかしい。「結果」は「解決」と同じ次元にある言葉で、解決があってまた別の問題が生ずるのであれば、結果の先にはまた別の結果が待っている。だが、ここでひとりの人間を考えた場合、最終的な結果は死ということになり、またその死に至るまでのさまざまな問題に対する解決こそが人生の目的や意味であって、それがどうでもよくてそのまま放って置くという態度は、世捨て人とみなされる。たとえば1年に1回健康診断を受けて、何か悪いところを発見する。つまり問題が小さい間にその芽を摘んでおこうという考えだ。これは長寿が幸福と考えられているからで、誰しも生まれて来たからには本能的に生き延びようとするし、それを疎外する問題はことごとく解決されねばならない。そこに医療の役割があるが、快適に生きるためにそのほかにありとあらゆる細分化された分野に人々が携わり、問題解決人となっている。その問題解決人で思い出した。先日のTVで悩みを電話で聞いてくれる会社を紹介していた。10分で2000円だったと思うが、電話代はかけた人、つまり悩み抱え人が持つ。長く話す場合は1時間、2時間となるが、悩み抱え人が支払う金額に見合うだけの慰めが得られると考えるから商売として成り立っている。そして、そんな他人に、いや他人であるからこそ、悩みを打ち明けたいと思う青年が増加している。昔なら友人がその役割をしたが、そういう親しい友人を持つことが難しくなっているのだろう。電話で一度話した悩み抱え人はリピーターとなって、会社からすれは上得意となるが、これは悩みという問題が一時的に解決しても、完治しないことをよく表わす。人に語っている間だけが、つらい現実を忘れられるのだ。だが、そのために支払う費用で生活に支障を来たさないのか、それが不思議だ。食べるものも食べずに、精神的に孤立して苦しんでいる姿を想像するとやり切れない。そして、そういう悩める人たちから金を吸い上げる会社が商売として充分成立していることの、いやな現実社会を思ってしまう。
●松尾駅の駐輪場、その3_d0053294_0185582.jpg

 そうした精神的な悩みの受け皿となるのがいつの時代で宗教だ。だがザッパも語っていたように、それは商売と同じで、無料で悩みを癒してくれることはない。ひとりで家にこもってする信仰は信仰ではないと、はっきりと日本の新興宗教も言っている。それは、同じ信仰を持つ人が特別の場所に集まって、自分たちとは違う「上」の人から話をありがたがって聞く必要がある。そして、そのありがたい感謝の気持ちをお金としてその「上」の人に納める。その「上」にいる人たちも生活しなければならないし、また集まるための施設の維持費もかかる。そう思えば電話で顔も知らない人に悩みを打ち明け、10分単位でお金を支払う方が手っ取り早く、また明朗会計でもある。いかにもネット社会ならではの悩みの処理会社だ。ともかく問題、悩みは完全に消えることはない。消えたと思った瞬間、次の芽が吹いている。自然のサイクルと同じだ。ということは人間は自然で悩むものであり、それを克服しながら生きて行く。つまり、悩みなど恐れるに足りない。ニキビのような悩み、癌のような悩み、悩みのニキビ、癌の悩み、小さな悩み、大きな悩み、悩みの小ささ、悩みの大きさ、大きくなる悩み、小さくなる悩み、ニキビの癌、癌のニキビ、問題のニキビ、問題の癌、ニキビの問題、癌の問題、大きなニキビ、小さな癌、ニキビの大きさ、癌の小ささ、解決のニキビ、解決の癌、ニキビの解決、癌の解決。ニキビや癌で悩む人はほかの悩みを抱えずに済むので幸福かもしれない。あるいは、ほかの悩みを抱える気持ちの余裕がないので不幸だ。ある人が悩みを打ち明けた。悩みを打ち明けられた人はそんなことは何の問題でもないと一笑した。悩みを打ち明けた人は本当にそうだと思って一緒に笑った。悩みは他人に打ち明けるべきと言えるかもしれないが、何の問題もないと答えられたことで憤慨し、さらに悩む人はあるから、悩みたい人は悩むし、悩まない人は悩まない。
●松尾駅の駐輪場、その3_d0053294_0192523.jpg

 さて、画像を収納するファイルを違えていたため、撮影順に掲載しなかったものがある。今日の2枚で、3月9日のものだ。4月9日あたりに掲載すべきであったが、今さら悩んでも仕方がない。それに嵐山駅前ではなく、松尾駅のことなので、多少日が前後してもいいだろう。駐輪場が出来るようになったのは、勝手にどこにでも自転車を停める人が多かったからだが、そのことで誰かが真剣に悩んだのかどうか。いや、勝手に河川岸のあちこちに停めたため、定期的に市からトラックが派遣されてごっそり持って行ったから、やはり悩みはあった。だが、トラックでごっそりする者は仕事が出来てよかったし、自転車屋もまた新しく自転車が売れるのでよかった。駐輪場が出来ることで逆に悩む人も出る。そのどっちの悩みの総体が大きいかは誰にも言えない。それに、駐輪場が出来たと喜んでも、きっとその日からまた新たな悩みが芽吹くに決まっている。悩みの絶対的解決などまずないのだ。そのため、あまり駐輪場が出来たと喜ばない方がいいだろう。でないと、後の悩みが大きくなる。何事も喜び過ぎるな、そして悩み過ぎるなということ。淡々と、たんたんとー、与作だな。写真の説明を少ししておくと、最初の写真の右に写っているのは、暗渠として用いられるもので、その上に土が被され自転車場が置かれるようになる。小川であったところが、真っ暗な水路になって、そこに住んでいた生物は変化する。それに鳥がやって来て水中の生物を食べることも出来なくなる。人間はよくても悩むものは増える。それにとっくにマルメロの木はなくなり、筆者の楽しみもなくなった。
by uuuzen | 2010-04-14 00:19 | ●駅前の変化
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