立て看板がなくなった。臨時に三つ立てられているものではなく、円形の植え込みに固定されていた付近の観光案内板だ。
今日は3月12日の駅前写真を掲げるが、9日にはあったものが、3日の間になくなったことがわかる。とはいえ、筆者はそれを真横から撮っていたので、ほとんど細い鉄柱のように見えていた。写真を同じ角度で撮るためのひとつの目印であったのだが、それがなくなると別の目印を探さねばならない。看板と同時に円形の植え込みを取り囲んでいた黄色のペンキが塗られた鉄柱も全部引き抜かれた。古かったので、スクラップになったに違いない。ただし、円形の植え込みの周囲以外のものはそのままだ。数としては半減したが、そのレトロな感じが残されたのはよい。この黄色は、筆者の知る限り一度きれいに塗り直された。つるつるになったその鉄柱の頭を触りながら、家に向かうのが習慣になっているが、それが今後も続けられる。この鉄柱があるために車は駅前広場に入れなかったが、駅舎の改装工事写真からもわかるように、駅前にはトラックがいつも停まっている。これがどこから進入したのか。筆者が駅舎を撮るタクシー会社のある方角からではない。だが、この鉄柱は駅を出て円形の植え込みに向って右手にもあるから、工事のために数本を抜いたのかもしれない。あるいは最初から車が入って来られるように、何本かはなかったのかもしれない。身近でよく見ているにもかかわらず、いざとなれば記憶は曖昧だ。今すぐに確認して来ることは出来るが、真夜中でもあるし、面倒臭くもあるので、想像で書くと、やはり3、4本は最初から抜いてあったような気がする。手元に嵐山東学区の無料配布の住宅地図があるので、それを今見たところ、やはりそのようだ。鉄柱が黒い点で記されているが、駅舎の上方に見える細い道に沿ってはその黒点はない。だが、この地図は正確ではない。道に沿って確かに黄色の鉄柱は点在する。ただし、タクシー会社のある左手とは違って、やはり駅舎の前に入れるように何本かはないのだろう。ついでながら、円形の植え込みの上部に有料駐車場がある。筆者はそこに立っていたメーターの前でホテル建築現場の写真を撮り始め、その第1回目を昨日投稿した。また、倒産した食品会社は「嵐山東一川町」のうす紫色の文字が印刷される場所に位置していた。その少し南にも有料駐車場の文字がある。その南方は駐車場の確保出来ない住居が密集し、また道も狭く、こうした駐車場を利用する人が多い。地図を改めて見ると駐車場だらけだ。それに桜と紅葉のシーズンは、駐車場でない空き地も臨時駐車場として営業を始めるほど車が押し寄せる。
駅舎の写真右端奥に背の高い樹木がわずかに写っている。この木はこの10年でかなり大きくなった。大きな木があると、それに心が吸い寄せられる。鬱蒼とした気配が辺りを支配するからで、それは木のない白けた感じよりもいい。そう言えば思い出した。一昨日の夜7時、祇園の枝垂れ桜を大勢で見に行った。そして再確認したことがある。円山公園を山手方向に進んで行くと、竜馬と中岡慎太郎の銅像がある。その付近から見下ろすと、なかなか勇壮でよい。つまり正面と裏側があって、八坂神社方向から裏側は全く貧相だが、その反対の山手から見ると、ちょうど視界の真ん中に収まって、また夜のかがり火に浮かんできれいだ。だが、全方向から見てよいのが本物であって、片方からのみよいと言うのでは、前髪だけあって、後ろ頭には毛がない機会の神さまと同じ、あるいは書き割りじみて嘘っぽい。いや、それこそが京都の桜そのものであって、山奥にひっそりと咲く老樹とは違うのだ。東京から来た中年女性が、「まさに魔性だわよね」と驚嘆していたが、京都にわざわざ来たという気分がなおさらそう思わせるのだろう。昼間見れば無残な形に見えるものが、夜になると俄然美しくなるというのは、商売女を思い出させるが、円山公園の枝垂れ桜はまさにそういう雰囲気にぴたりだ。その桜の下手は大勢の人が酒盛りをしていた。その光景は村上華岳が描いた夜桜を見る人々の絵とそっくりで、それが改めて面白かった。華岳は、満開の桜もいいが、その下で人々が思い思いに談笑している光景こそが京都の桜らしいと思ったのだ。仙厓の句にも同じようなものがある。それはさておいて、今日は昨日に続いて同じ角度からのホテル敷地写真を掲げておく。駅舎改装と同じ3月12日の撮影だ。昨日掲載のものと大差ないが、雑然とした雰囲気が伝わればよい。ついで書いておくと、この写真は上下をかなり切っているが、左右はほとんど撮ったままだ。そのため、同じ部分が写るように撮るのがとても難しく、3、4枚撮る。もう少し幅を縮めればいいが、写っている幅はちょうどホテルの敷地がうまく収まる範囲となっている。それに昨日撮ったものを加工した後、どうしてもそれに倣おうという気になる。とはいえ、これから掲げる写真では多少幅がずれていたりする。