引き続き3月5日の駅前写真を掲げる。あちこち掘り起こしていて、まるで現在の筆者の姿そのもので、どう落ち着くのか、またそれがいつになるのか、苦しい日々はまだまだ続く。
ところで、この「嵐山駅前の変化」はひとまず今月の20日までを考えている。その間は、現在と同じく週1回の長文をはさみ、また別内容で臨時で書くこともあるかもしれない。だが、4月20日で「嵐山駅前の変化」を終えるのではない。中断してまたいつかその続きを載せる。現在駅前のホテルは更地になったまま囲いがされていて、工事が始まるのは6月からだ。それに駅前は桜のシーズン真っ盛りで、円形の植え込みであったところが一応は落ち着いた状態にはなったが、それは仮の姿だ。最終的にはもっと違った形になることがわかっている。その設計図は見ていないが、地元で商売をしている人は確認済みで、その話を聞くと、いつになるかわからないが、かなり様子が変化する。つまり、今日現在の状態は仮の姿で、また掘り返しの工事が始まる。その現在の状態に至るまでの写真を20日までに全部掲載出来るかどうかわからないが、「嵐山駅前の変化」の投稿を中断するのはそうした工事中断の理由による。いや、それはこじつけと言ってよく、本当は別の理由の方が大きいが、それは21日から始まる投稿の際に書く。
「おにおにっ記4」を終えた後、どんな内容を書くかほとんど決めていなかった。それがいつの間にやら「嵐山駅前の変化」の連続投稿になったのは、自分の2月以降の大きなと言ってよい変化に全くよく呼応したものだ。真相と言っては大げさかもしれないが、それなりのドラマがある。それをこのブログにどう書くかは決めていないが、何らかの形では触れる予定にしているし、またそれの布石は今までに多少書いて来た。このブログに綴られる筆者の日常とは別に、心を砕く出来事が生じていた、また現在も生じていることを、読者は後になってわかると思う。簡単に言えば、こうして書いている内容は筆者の頭を占めていることの一部に過ぎず、ちょうど氷山の出っ張りの部分に似ているということだ。これはあたりまえのことで、誰しもそうだ。
工事中の写真は味気ないものかもしれない。だが、どんな都市でも工事中の部分を抱えている。それはひとつの普遍的で正常な景観だ。大阪は湾を埋め立てて、江戸時代から町が増殖して来たが、その増殖はその後いっこうにやまず、現在も続いている。工事中の様子を見て、人はまたかと舌打ちすることも多いとしても、工事は町が生きている証拠であって、絵はがき的な完成して動かない建物や景色をきれいに撮った写真より、生々しくて面白い。たとえばエッフェル塔の完成した様子より、それが半分ほど出来ている完成途上の写真の方が、今はもうその姿がないだけに、はるかに資料的に価値があり、また面白い。そうした面白さは工事が完成した直後から発生する。その点、すでにこうして掲載している筆者の駅前写真は、もうその資料的価値を有していると思ってもよい。ただし、その価値を認める人はほとんどいないが。それに筆者も価値があるとは思っていないし、むしろ先に書いたように、自分に生じている出来事とそれが見事に均衡を保っているようであることが、偶然であるかもしれないが、自分が時代によく即して歩んでいると実感させられる。つまり、駅前写真は公の工事の様子を示すが、それを撮影してこうして載せる筆者の内面をそのまま反映している意味において、ひとつの日記的創造なのだ。ここに、写真はそれを撮る人の内面を照らすということの真実も証明されている。