ぬる風が吹いた。昨日は4月頃の陽気ではなかったろうか。コートも脱いでマフラーもつけずだが、夕暮れになるとまだ肌寒く、そんな気温の変化には大きなくしゃみが続けて4回は出る。
昨日はその4回セットを4回した。目もとても痒く、早く花粉の季節が終わらないかと思う。またバスに乗って図書館に出かけたが、本屋にも寄り、1日乗車券の大活躍であった。3日前の17日は、バスが有栖川をわたる時、左手岸辺に満開の桜が見えた。毎年その桜はどこよりも早く咲く。それがかえって損した気分になる。車が多いところに憮然と咲いていて、あまり美しいとは思えない。桜はやはりお気に入りの姿がある。松尾駅から上桂に電車が向かう途中、小さな踏み切りの手前の左手に1本だけ立つ見事な老木だ。筆者が知る限り、嵐山のどの桜よりも立派だ。それが名所でもないところにひっそりと立っている。「大徳不名」で、本当に徳があって素晴らしい存在はごくわずかな人だけが知る。人間も同じで、本当に美しい人は有名な人の中にはいない。毎年見に出かけるほどではなく、電車からちらりと、あるいは自転車で通りがかる時にしばし立ち止まって見る程度だ。その付近は散歩で歩くには少し遠く、そのさらにもっと先の大きなスーパーや古書店に行く時にだけ、めったに乗らない自転車を使う。そう言えばつい先日もその桜の前を自転車で通りかかったが、開花には遠く、存在に気づかなかった。桜は花が咲いて初めて気づく木だ。そのつい先日の自転車乗りは2か月半ぶりのことであった。そして2か月半前は、通りがかるたびに気になって見る、とある家の門扉内部の犬小屋に、茶色と白の斑模様の大きな耳が垂れ下がった老犬が眠っているのを見て安心した。犬に詳しくないので品種は知らない。中ぐらいの大きさで毛並みが長い。昔ドッグ・フードのTVコマーシャルにも確か出ていて、ある商品の中央に大きく印刷されていた。その犬は筆者が知る限り10年近く前にすでに老犬で、『おにおにっ記』にその犬のスケッチを掲げたことがある。本当に優しそうで、その付近まで自転車で行くと必ず思い出す。よほど疲れているのか、いつも犬小屋で横になっていたが、その姿を見るだけで安心した。そして、つい先日も自転車で走りながらその犬小屋を見ると、犬の姿がなかった。これは筆者が知る限り、今までなかったことだ。死んでしまったのだろうか。そうだとするとさびしい。だが、充分過ぎるほど生きたであろう。犬も老いるし、疲れる。そうすれば生きているのもしんどい。そして静かに死がやって来る。次に自転車でそこを通りがかるのはいつになるかわからないが、いつもと同じように犬小屋に横になっている姿があればいいと思う。
2月9日の阪急嵐山駅前の写真を3枚掲げる。どんより曇っていかにも寒そうだ。今気づいたが、上に掲げる最初に撮った写真には、レンタサイクル前に白いコート姿の女性がひとり写っている。駅に向わずにどこに行くのだろう。坂を下って来る人はたいていは駅に向かうのだが、喫茶らんざんの前を通って山手に行くのか、物集女街道を南下するかのどちらかだろう。この女性は筆者が次に撮ったもう1枚の続き写真にも写っている。2枚を比較すると20数歩前進しているのがわかるが、筆者はその間にもう1枚撮ったことになる。そしてこの左右につながる2枚を撮った後、桂川、つまり桜の林に向って歩き、坂の上で駅を見下ろしてもう1枚撮るのがならわしだ。昨日掲げた駅の改装写真は、駅舎の右端にある半円形階段を写していないが、それはフレーム内に収めるにはかなり駅から遠ざかって新しく出来た車道の真ん中に立たねばならない。それに、坂の上から駅を遠く見下ろす写真には、かなり小さいが、半円形階段が見えている。ところで、昨日駅前にいた現場監督らしき男性と5分ほど立ち話をして、駅舎の改装後の様子、また駅前の円形の植え込みの今後など、さまざまなことを教えてもらった。それをここで書いてしまうと面白くない。ひとまずまだまだ駅前が変化する予定であることを書いておく。そしてそられの様子も同じ角度で撮り続ける写真でこのカテゴリーで紹介して行くが、ひとつだけ書いておくと、いずれ「嵐山駅前の変化」は一時休み、別の何かを連続投稿する。そうそう、昨夜は自治会の総会があった。そこである人から桜の林の保全運動について協力を求められた。そのことについても何らかの筆者の行動があるかもしれず、そうなればそれも「嵐山駅前の変化」として紹介して行くことになるだろう。
坂の上から見下ろした写真には保安員が大きく写っている。顔が写っていないので問題はないだろう。中央に男女のアベックが写っていて、それを見つめているようだ。昔は筆者の立ち位置から右手に150メートルほど行ったところにラヴホテルがあった。そして、その付近でいかにもそこを訪れそうな、またホテルから出て来るアベックをよく見かけたが、嵐山には今はラヴホテルがない。あったのがなくなったのははやらなかったからだろうが、男女は今も昔も同じであるから、今のアベックはもっと別のホテルに行くのだろう。それはいいとして、保安員のことで思い出した。松尾駅に近いところにあったクリーニング店に筆者は10年ほど前によく行った。そこでコピーを取るためだ。そして店の主人と顔馴染みになってよく世間話をした。その時に聞いた話だ。その店の前で道路舗装工事がしばらくあった。ある保安員が何度かやって来て主人と顔馴染みになった。そしてある日、明日返すから3万円を貸してくれと言われた。急な用事で必要になったからだと言う。人のよい主人は明日の昼休みもその男は話に来るだろうから、疑わずに3万円をわたした。ところが翌日男は来なかった。工事はお金を貸した日が最後だったのだ。何ともいやな話で、保安員はあちこちで似た詐欺をしていたのかしれない。その話を聞いて半年も経たない頃、主人は引越した。近くに大きなスーパーがあるところで、これからの老後を考えると、儲からない商売で貯金を崩すより、静かにに暮らすとのことだった。その店は借り手がいないまま今も閉めたままだ。松尾駅から北の物集女街道沿いは、どんな店もはやらず、次から次へとオープンしては閉じる。そして閉じたままで新しく開店する割合は減っている。それを防ぐためにも嵐山を活性化させる必要があり、桜の林その他、嵐山に桜を増やしたいということらしい。だが、半世紀前は家がほとんど建っていなかった道だ。それからすれば、店がはやらないのが当然で、しかも時代の流れではないだろうか。