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●嵐山駅前の変化、その14(駅舎)
並みな写真だが、現場はほとんど変化がないから、それに見合っている。2月9日の阪急嵐山駅だ。一昨日掲載のもの比べると、まるで手術中で白い布ですっぽり覆われた。



昨日の生地の最後に書いたが、取りためた写真を入れているMOディスクに1月17日の駅前の写真が3枚あることを知った。1月に撮ったのはそれだけで、つい見過ごしていた。それを後れて掲載するのもいいいかと思ったが、撮った日づけ順に掲げるつもりであったので、急きょ昨夜依然3日間の写真を1日ずつずらし、文章もそれに伴なって一部を書き換えた。つまり、細工をした。それによって文章のつながりに多少無理が出たが、それはそれで迂闊な記念としておこう。なぜそんなに迂闊であったのか、自分では理由がわかっている。それはいいとして、同じような迂闊なことは一昨日にもあった。図書館やその他に出かける用事があったので、バスの1日乗車券を買った。いつも松尾橋をわたった停留所から乗る。最近はそこに設置されている自動販売機で1日乗車券を買う。バスの車内で買うとたまに運転手が持っていないことがあるからだ。だが、自動販売機の場合は券やつり銭が出て来ない場合があるかもしれない。その不安が一瞬脳裏をかすめる。出て来ない場合、どこに連絡すればいいだろう。それもだが、連絡がついたとして、係員が来るのに30分や1時間はかかる。時間が大事であるから、結局泣き寝入りになるだろう。駅の切符なら、係員がすぐ近くにいる。実際券が出て来ないなどのトラブルは何度かあったが、それはすぐに解決した。それはいいとして、1000円札を入れて500円の1日乗車券を1枚買い、おつりの500円玉を財布に入れた。財布といっても小さな小銭入れだ。これにおつりをじゃらじゃらと注ぐ時、よくこぼれる。そしてこぼれたものがどこに行ったかわからなくなる。この小銭入れは数か月前に家内からもらったが、これまでの間に何度かそうしておつりを入れる際にこぼして見失った。もう少し大きい財布を持てばいいが、筆者は財布は持たない主義だ。小銭入れは硬貨を入れる目的もあるが、それより家の鍵を取りつけるためのものだ。その小銭入れは家内が1970年代前半に会社の上司からもらってもので、メキシコ帰りのお土産であった。当時筆者も勤務していた建設設計会社は、海外の仕事もよく取って来て、そこに派遣される人も多かったのだ。お土産の財布であるから、現地ではとても安かったのであろう。革製で、濃い焦茶色、両面に型押しでメキシコらしい絵が表現されている。それがとても気に入った。片方はメキシコの古代の神殿だ。もう片方はウチワサボテンのかたわらで男性がひとりうずくまって悲しんでいる様子だ。それがいい。とても詩情がある。ニコニコマークがついたようなものだと使わなかった。40年前のこうしたお土産用の財布が今も売られているのかどうか。もうメキシコでも珍しいのではないだろうか。そう思うと大事に持とうと思う。だが、あまりにも小さく、入る量はしれている。それが難点だ。
●嵐山駅前の変化、その14(駅舎)_d0053294_057239.jpg

 話を戻して、松尾橋でバスを待っていると、5分ほどで来た。筆者ともうひとりの男性が乗ったが、その男性も自動販売機で乗車券を買ったようであった。図書館で用事を済ました後、母の家に立ち寄るため、果物屋に入った。その時小銭入れからお金を払おうとすると、さっき入れた500円玉が見当たらない。500円玉は元は入っていなかったし、確かに入れた記憶があるのに、ない。その不思議が気味悪く、母にそのことを言うと、そんな小さな小銭入れを持っているからお金を失うのだとの返事。笑いながらも腑に落ちず、帰りは松尾橋のふたつ手前のバス停で降りてスーパーで買い物をし、そのまま松尾橋のバス停まで歩いて、暗い中、あるはずがないのに、バス券の自動販売機付近を少し見下ろした。確かに入れた記憶があるのに、それがないのは、どこかで落ちたことになる。小銭入れのメキシコ人男性のしゃがんで嘆く姿を思い浮かべ、あまり縁起のよくないデザインかなと初めて思ったりもした。そう言えばあちこちの紐が切れていて修理してやらねばと思っていた矢先であったし、そのほころびから飛び出たのかもしれない。実際、券を買った後、はなを何度かかみ、バスをぼんやり待っていると、券がないことに気づいた。筆者以外に誰も待っておらず、また券は数メートル離れたところに落ちていたから、すぐに駆け寄って拾ったが、そんな迂闊な経験は珍しい。500円玉もそのようにして落としたかもしれない。ところがだ。1日経った昨日の夜、またスーパーに買い物に行ったその帰り、急に筆者は思い当たるふしがあった。小銭入れは革を2枚合わせて周囲を縫ってあるが、その革とチャックの縫い目が片方2センチほど破れている。それは嘆きのメキシコ人の側だ。その縫い目の隙間から中を覗くと500円玉が奥に見えた。にやりとした。おつりを入れる時、チャックの中に入らず、偶然にもその隙間に入ったのだ。嘆きの男はやはり縁起がいいのだ。得したような気になったが、本当は損も得もしていない。全く月並みであり、のんびりとした、またしけた話で、それは貧しいメキシコにふさわしい。母の言うように、この小銭入れを持っている限り、お札には無縁だろう。500円くらいでこんな話をしているようでは嘆かわしい。
●嵐山駅前の変化、その14(駅舎)_d0053294_0573265.jpg

by uuuzen | 2010-03-20 00:57 | ●駅前の変化
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