箱の大きなものは家だが、本当に箱そのものと言ってよい家がある。マンションはその最適な例だが、動物や植物の細胞も箱であり、人間が箱のような家に住むのは生物学的に本質的なことだ。
だが、あまりに直方体という箱には住みたくないもので、形に変化がほしい。人間は本質的なだけでは生きて行けないのだ。そのため、箱を基本とはしつつも、さまざまな変化がつけられる。それは人間の体が直方体ではないからかもしれない。だが、自動車はほとんど直方体で、やはり箱に人間は深い愛着がある。いや、商品が直方体であれば作りやすいからで、自動車も家も規格化されて味気ない箱になることがほとんだ。そう言えば4年前に『箱男』という本を読んだが、本も箱だな。筆者は箱に関心があって、きれいな箱を見ると、つい手元に置きたくなる。切り絵の束を保存しているのは韓国で売られているかなりしっかりとした紙箱で、ほとんど木製に見える。それは量産の安価なものだが、日本に同じようなものは売られていない。李朝の文化の中に紙箱の美しいものがあって、それが形を変えながら今に伝わっている。それに、箱と言えば日本が得意のようだが、韓国では直方体ではなく、8角形やあるいは蓋が面取りした複雑なものがある。日本では書院造りが発達したあまり、水平と垂直を特に好み、韓国のように斜辺、あるいは卍崩し文のような複雑な形を調度品ではほとんど表現しなくなった。つまり、日本は韓国よりもっと簡素な美を追求してその極地に達し、その延長上に小さな箱のトランジスタのラジオがあったりした。箱という形を規格として決めてしまい、その箱の内部で限りなく変化を生み出すのが日本の方法で、それは合理的かつ順調に進むと、とてつもない技術の練磨に発展するが、最初に決めた箱の中からなかなか出られない弊害もある。その点、箱の形が本来変化に富む韓国では、発想の点で日本より優れたものを生むかもしれない。李朝民画の全く予測出来ない形や色その他を見るとそう思う。
それはさておき、2月1日、わが家を出てすぐのところに箱が建った。雨の中、合羽を着た男性がひとりで組み立てた。阪急嵐山駅のホーム脇の草地だが、箱の建った場所は昔に何か建物があったようで、コンクリートが敷いてある。その上に建てられたのだが、いったい何の箱かと思っていると、扉や窓があって、内部に電気を通して灯かりがついた。つまり家だ。だが臨時のそれで、いつかはまた解体されるのだろう。実はその日から嵐山駅前面の改装が始まったのだ。そのための事務所が必要で、それで空き地に箱が建てられた。だが、それとは別に1月中旬から、その箱から30メートルほど南にコンクリート・ミキサー車が何度かやって来て、コンクリート製の土台のようなものを造った。それが何であるのかは、今日久しぶりにそっちの方面に行って網越しに覗いてわかった。低電圧機と書いてある。駅を改装中で、それが終われば電力をたくさん要するようになるのだろう。先日ある人から耳にしたが、阪急嵐山駅は当初京阪電鉄であったという。今年は阪急も京阪も創立100年で、ちょっとしたイヴェントを開催している。低電圧機を撮影した後、駅前に行くと、阪急開業100年と書いた紙を垂らした臨時の受付け机が、駅前広場の端に置かれていて、数十人の社員らしき人たちがパンフレットをもらっていた。観光客に配布するのか、それとも周辺の清掃か、そんな雰囲気だ。阪急京都線はかつて京阪の所有であったのが、戦後だったか、阪急のものになった。京阪は今は路線が短く、阪急よりかなり小さな企業になっているが、戦前はそれとは反対だったらしい。だが、その阪急も今は経営が苦しいと聞いた。それは東京に投資したことが失敗だと言うが、阪急という名前は東京では通用せず、会社を大きくしようという思惑が裏目に出たらしい。そのため阪急は、たとえば嵐山駅前の空いている土地を貸してホテルにしたり、また桜の林をスーパー銭湯にするのだろう。経営はほかの会社に任せることで、批判をかわす思いもあるのかもしれない。嵐山駅のホームは今は線路を2本しか使っていないが、合計で6本あるとも聞いた。いや、6本を敷くほどの広さの間違いかもしれないが、とにかく駅はかつてもっと大きかったのは間違いない。それほどに嵐山の花見客が多かったのだ。1か月ほど前だが、電車が発車するまでの2、3分、車掌と話をした。すると、嵐山駅をもっと活性化させる思いが会社にはあって、秋のダイヤ改正では梅田から直通を走らせるとのことであった。そのためもあるのか、駅のリフォームを告知する紙がその後わが家に入った。つまりは箱の概観を多少変えようということだ。2月1日の箱家はその工事のためのものだ。桜が開花するまでに完成するが、今年の桜はこの調子では早いのか遅いのか、例年どおりなのか、なかなか読めない天気だ。