●嵐山駅前の変化、その6(桜の林)
が少なくなっていると一昨夜のTV番組で言っていた。新しく建つ家に瓦が使用されず、巣のための隙間がなくなったからだそうで、人間と共生して来た雀の受難の時代が始まっている。



最近は大地震が世界各地で生じているが、日本では阪神大震災で瓦屋根の家が倒壊しやすかったことがわかり、その後はなおさら瓦屋根が減少した。先日雀が満開の梅の、花の咲いていない梢にたくさん集まっているのを散歩中に見た。よく見ると、名のわからない数種のもっと大きな鳥が雀と仲よく場所を分けあっていて、それが微笑ましかった。そんな光景は田舎では珍しくないが、都会では急速に雀も住めなくなって来つつあるとは、雀が哀れだ。そして、人間もそうだ。便利さを追求すると、何かが遠のく。そして、便利なことが何となく哀れに思える。便利は味気ないからだ。人間は苦労して手に入れたものを貴重と思い、大切にする。さっさと手に入ったものは、さっさと忘れやすい。そのために、なるべく何でも苦労するのがよい。あまりに便利に慣れると、それが空気や水のようにあたりまえになって、それがなくなった時に大慌てをする。その便利で思い出した。昨日は税金の申告のために以前送られて来た大きな封筒を開封した。ここ数年は、裏面に大きく、パソコンで申告しましょうと印刷してある。紙の無駄遣いが減るのが大きな理由とのことだ。また、パソコンで申告すると5000円の還付がある。ところがパソコンで申告するには手続きが必要で、そのために区役所に行き、カードを作り、また1000円か2000円を払う必要がある。それがとても面倒なのと、パソコンで書類を作るには、手書きするのとは違って、きっとまた大きな面倒があるだろう。それに、筆者のWIN95のパソコンではファイルが作成出来ないとも思える。そんなわけで、筆者は10数年前からやっている方法、つまりワープロで毎月の収支をまとめ、それを印刷し、項目を見ながら申告用紙に記入する。その作業が2日かかる。それを税務署に持参するのに半日かかるから、毎年今頃になると憂鬱だ。ワープロで慣れた表計算を今さらエクセルのソフトを習って表を作り直す意欲はない。そのため、不便かと思いながらワープロを使う。だが、それでも昔よりはるかにましだ。昔は家内に全部手で計算してもらった。そのため1週間から数日要した。その気が狂いそうになる手間に比べると、ワープロは筆者ひとりで出来るのでどんなに楽なことか。それが今ではパソコンでやる時代になり、パソコン申告は税務署に出かけることもない。それは便利だが、そうしてあまった時間を何に使うかとなれば、どうせたいしたことには使わない。年1回くらいは税務署に行くのもいい。本当に面倒な人やどう計算していいかわからない人は税理士を雇って計算させるのがよいが、筆者のようなあまりにも小商いでは、支出ばかりで、最終的な計算はとても簡単なのだ。とはいえ、申告に際して免除の項目を無視するあまり、損をしている部分は大きいだろう。だが、それはもっと稼ぐようになってから考えるつもりでいる。と書きながら、そんな時代はついにやって来ないことをよく知っている。
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 経済的に豊かにことは、何でも便利になることだろう。そして、便利が味気ないと言い方はやせ我慢だが、貧乏人はやせ我慢しか残されていないではないか。そしてそれを格好よいことと思うほかないし、実際そうだと思える。不便を不便と思わず、その不便も考え方によっては恵まれていると思えばいい。雀はきっとそんな風に物事を考えている。瓦がなくなれば、別の何か巣になるものを探す。あるいは別の地域に移動する。それでも全体の数が半減しているそうだが、半減しても、それは昔より多いかもしれないし、実際そうだろう。日本の人口が少なくなると騒いでいるが、半世紀前はまだ9500万人だった。この半世紀が異常過ぎたのだ。にわかに金持ちになると、なかなか元の貧しい生活に戻ることが耐えられないというが、それは手に入れた便利が忘れられず、その便利が人から格好よいと目に映っているからだ。だが、その便利を不便と思う心をどこかで忘れないならば、いつ貧しい生活に転落しても平気ではないか。平気という思いもまた格好いいものだ。「無一物」という思想の格好いいことを日本はこぞって忘れて来た。それどころか、先日古本屋で「清富の思想」という噴飯的な題名の本があった。これではますます貧乏人は立つ瀬がなく、金儲けにさして興味のない者は笑われる。日本の人口が減って、国力が落ちることに強迫観念を抱くより、減ったら減ったできっといいこともあると思えばいい。あることを当然とばかり思わず、ないこともまた同じほど当然と思うに限る。そうなれば、何がなくなっても慌てずに済むが、そういう性質を人は冷たいと言うか。だが、遅かれ早かれ、誰でも身内を失ったり、また自分の健康も害する時が来る。そう思うことが冷たいのではなく、世の中すべてがそのように無常で冷たいように出来ている。だが、その冷たさの中にこそまた温かさもあり、それが人間、あるいは雀といったところだ。雀その他の鳥が仲よく留まっていた梅の木はもう花が散って、筆者はとてもさびしいが、もうすぐ花の季節で、蝶も飛ぶ。さびしいことはすぐにほかのいいことで塗り替えられる。人間はそうなっているし、雀もまた同じ。
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 2月4日に桜の林の写真を撮った。開花にはまだ早く、1か月経った今も変わらない。今どの木にも無粋な看板が釘で打ちつけてある。哀れな姿だ。桜のあるその林には所有者があって、桜もその人のものなのだ。所有を強調せなばならない姿、そしてその土地に無断で車を停める人の傲慢さも哀れだ。そして所有者にとっては桜よりもその土地が無断使用されることが我慢ならず、桜が枯れようが自分たちが切ろうがかまわない。ふと見上げると、彫りを施し、絵も入った「区民の誇りの木 ヤマザクラ」という札がぶら下げてある。これは桜の所有者がしたものではない。桜の所有者は区民ではないから、誇らなくてもかまわない。そのうちスーパー銭湯が出来るか、あるいはそうでなくてももう桜は寿命かもしれない。誇りがなくなれば、また別のところにそれを育てればよい。雀が半減しているならば、桜もそうなるだろう。そして、桜をきれいと思う人も半減し、何事もみな半分になる。そうなっても何の問題もないか。どうせ桜は年に数日だけのことで、そのほかの全部の日は誰も桜に注意を払わない。そんな無駄なことがあるか。桜を年中楽しむには造花でも据えておけばいいのだ。ついでにパチンコ屋も建てよう。造花だらけの嵐山に観光客も増加、こんなにいいことはない。ついでに地元名物として、雀の串焼きもどうぞ。
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by uuuzen | 2010-03-09 10:34 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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