●アルバム『PHILLY ’76』解説、その1
例と言うにはまだ年数が短いが、ザッパの新作、いや新発売のCDの解説を今回もしよう。『PHILLY ’76』を12月17日に発送したとのメールが会社からあったが、商品はようやく1か月後の昨日18日の正午に届いた。



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東京の大手レコード店では6000円で販売中で、在庫があるようなので、個人の輸入とは違って、いち早く別口で多くを買い込んでいるのだろう。17日にMSIのOさんに訊ねると、まだ届いていないとの返事であったが、昨日の夕方にメールがあって、届いたとのことだ。期待した年内には届かず、感想を年末か正月休みに書くつもりがえらく予定が狂ってしまったが、実は12月28日にCD-Rに焼いて送ってくれたザッパ・ファンがいたので年末年始は充分楽しめた。その頃に感想を投稿してもよかったが、実物の写真を撮ってからと思って今まで待った。それはさておき、12月28日にはクレジット会社から封書も届き、『PHILLY ’76』の価格3989円が1月何日かに口座から下りると書いてあった。1ドルが88.24円の計算で、どうにか4000円に収まった。この新譜に関しては、アメリカの大西さんから簡単な感想が18日に届いた。それによると、日本公演と『ザッパ・イン・ニューヨーク』の中間の雰囲気とあった。それもそのはずで、日本公演は2月初めで、今回の新譜がその約8か月後の10月27日、そして『ザッパ・イン……』がその翌日から数日後の、フィラデルフィアからニューヨークに移動してのハロウィーン公演であった。ザッパはハロウィーン時の録音だけでは不満足で、管楽器メンバーを特別参加させた大所帯でクリスマス・シーズンにもニューヨークで公演し、その時の録音と一緒にして2枚組のLPを発売した。となれば、本作は『ザッパ・イン……』の半分とほぼ同じと言ってよいが、実際は『ザッパ・イン……』では欠けた女性ヴォーカリストのビアンカを起用しており、またレパートリーに異動があって、『ザッパ・イン……』とはまた別の味わいが漂う。ザッパの76年の演奏となると、他に本作のシリーズであるコンサート丸ごと収録ダブルCDの最初の発売となった、1月20日のオーストラリア公演を収録する2002年発売の『FZ:OZ』がある。日本公演はその直後で、たとえば京大西部講堂の演奏は『FZ:OZ』と曲目の大半がだぶる。だが、レパートリーが若干異なることもあって、また別の趣がある。そのため、日本公演も同じシリーズの1作として発売が望まれるが、『FZ:OZ』からわずか10日かそこらのライヴであり、また海賊盤が広く出回っていることもあって、ザッパ・ファミリーとしてはアルバム化にはためらいがあるだろう。
 76年のザッパのツアーは前半と後半に大別出来る。前半は1月から3月までだ。そのライヴ演奏の典型として『FZ:OZ』が発売され、後半の10月から12月までは今回の新譜が代表することとなった。そして、ザッパ生前に出たアルバムで言えば、76年の演奏を収めるアルバムは『ZOOT ALLURES』と『ザッパ・イン……』となるが、同2作をまず聴いた後で『FZ:OZ』と『PHILLY ’76』を聴くと、ザッパがいかに76年の1年間をめまぐるしく活動したかがよくわかる。当時ザッパは36歳であったが、今にして思うと36歳はまだまだ若く、ザッパの最も活力溢れた時期であった。当時の筆者は20代半ばで、ザッパはその風貌もあってえらく大人びて見えたが、自分自身がその30代半ばをとっくに通過してしまうと、その年齢の頃は何と若くて未熟で、ザッパの76年の仕事の厚みを今さらに感じる。作品は年代の空気を内蔵するから、本作も70年代半ばの音楽以外の何物でもないが、それでも同じような音楽を演奏するバンドが現在あるとはとても思えず、改めてザッパの音楽の変わらぬ斬新さに感じ入る。その斬新さは冒頭の曲でいきなり示される。「The Purple Lagoon(紫の沼)」という曲で、これは『ザッパ・イン……』の最後に収録されたが、同作では「アプロキシメイト」という73年の短い曲と合成された形であった。その複雑な対位法による主題演奏は、『ザッパ・イン……』そのものがハロウィーンとクリスマスというふたつのシーズンの演奏を元にしたものであることと符号して興味深いが、別々の主題を単独に発表すれば2曲となっていたものを、ザッパはそれら2曲をライヴで何度も演奏した後、結局レコード化、つまり作品として公にするに当たっては、ふたつを合成して1曲とした。これは1曲だけでは未完成であったからではない。何でも混ぜてしまわねば気が休まらない実験精神のなせるわざで、その凝った調理法は70年代半ばにはさらに過激さを増した。「紫の沼」はメンバー紹介の背後に奏でられる、いわばライヴ・ステージを象徴し、観客の気分を高める前置き曲で、以前に書いたことがあるが、この冒頭曲だけで何年のステージであるかがわかる。つまり、ザッパは毎年ツアーのテーマ曲を変えた。だが、正確に言えば『FZ:OZ』は「インカ・ロード」のギター・ソロを載せることが出来る伴奏であったので、同じ年でもまとまった期間ごとに変えたことになる。今回の新譜によって「紫の沼」は独立した形で正式に聴くことが出来るようになったが、実は昔から、78年2月15日のベルリンはドイチェラントハレでの録音を収録した海賊盤で知られていた。ザッパはよほどこの曲をコンサートの頭に演奏することを好み、77年、78年のツアーにも使い続ける。だが、ドイチェラントハレでは次に切れ目なしに「ダンシング・フール」が演奏されることもあってディスコ・アレンジを施し、テンポが倍ほどに加速化し、また「紫の沼」が始まる前にすでに鳴っていたキーボードの混沌としたメロディも付随する。そのため、本作のヴァージョンと聴き比べると、76年から1年半後にザッパが同じ主題を演奏しながら、いかに疾走するように技術力を高めて行ったかがよくわかる。その技術的手慣れは、ポップスの軽快さを増しはするが、重厚さを減退させることになって、本作のヴァージョンの方がありがたみが大きいように感ずる。ともかく、ザッパがこの「紫の沼」を70年代後半にずっと気に入っていたことは本作を聴くとよくわかり、正直な話、筆者が本作で最も重視するのはこの曲だ。『FZ:OZ』に収録されず、日本公演で演奏されず、また『ザッパ・イン……』でもまともに演奏されずに、『PHILLY ’76』だけで聴くことが出来る「新曲」であるからだが、キーボードのエディ・ジョブスン、ドラムスのテリー・ボージオ、ベースのパトリック・オハーンの3人が、息をぴたりと合わせて演奏するいかにもザッパらしいぎくしゃくした複雑なリズムとメロディは、76年を遙かに越えて、今聞いてもスリルに満ちる。おそらく100年後に聴いても、この曲だけでザッパの個性と、他の誰もこのような演奏をしなかった事実がわかるだろう。会場に詰めかけた人々は、最初に奏でられるこの耳慣れない曲に、その後どんな演奏が披露されるのかという期待感をいやがうえにも高めたはずだ。それは本作を聴いてもそうだ。だが残念ながら、ザッパ・ファンはすでに76年にザッパがどういう曲を演奏したかをほとんどよく知ってしまっている。そのため、本作の魅力は『FZ:OZ』や『ザッパ・イン……』などに含まれる要素を差し引いたものとなる。今日はここまでだが、数日間説明するつもりでいる。

●2003年3月27日(木)深夜 その2
d0053294_0245994.jpg京都からは往復1000キロも離れたところにバスで行って、できる限り多くの場所を効率よく回るのであるから、各場所には30分ほどしか滞在しない。そんな状態では旅心をゆっくりとは味わえはしない。だが、忙しい現在の人々にはかえってそれがいいのかもしれない。それにちょっとでも行ったことのある場所のことは案外記憶しているものでもある。わずか30分の滞在でも、それは一生の思い出にもなるだろう。いや、わずか30分であるからこそ逆によく記憶する場合もある。今日は山口市にも立ち寄って国宝の五重の塔を小雨の中で観たが、走るバスの窓から近代的な山口県立美術館やあるいは図書館などを一瞬眺めて思ったことは、ゆっくりそうした施設を訪れたいが、行かなくても行ったことを想像できてしまう人間の頭の不思議であった。それはそうした建築物にはよく訪れていることから雰囲気がだいたいわかるということでもあるが、経験を積むと、つまり老いに近づくと何だか想像してしまえることが味気ない。心動くことが少なくなるのだろう。もちろん実際に訪れればそれなりのドラマが待っているのは知っているが、そんなドラマならいつもよく行くような別の場所でも待っている。最初から想像できてしまえば最初から興味が失せることに近づくが、それを言ってしまうと身も蓋もない。40年前に切手図案に見た光景がずっと頭にあって、そこに実際行けばどんな様子だろうと思い続けていたことは確かでも、とにかく行きたくてしようがないというのでもなかった。何かのきっかけがあれば行ってみようかという程度だ。それに写真やTVなどで切手から得ていたよりはるかに多くの視覚的な情報をその後に獲得しているので、なおさら行きたくて仕方がないということはない。たいていのことはヴァーチャルで予期できてしまう幸福な、しかし非常に不幸な時代だ。それでも今春の旅行として津和野、萩のコースを選んだのはそれなりの理由がある。それはカルスト高原ににょっきりと生えた石灰岩の大きな塊の群れの形に興味が湧いていたからだ。それは3か月ほど前のことだが、ネット・オークションで小川芋銭展のカタログを買い、この茨城出身の画家の代表作の図版を初めて大量に見たことによる。芋銭の実物の作品は残念ながらまだ全く観ていないのだが、カタログからでも充分にこの画家の才能は伝わった。どの日本画家にもない味わいがあり、その絵から受ける印象は雄大で温かく、そして清潔で幻想的、懐かしくて凄味があり、優しくて人情味が豊かだ。このカタログの中に、草原にぽつりぽつりとある奇妙な形をした白い石灰岩を羊に見立て中国の童子がひとりその群れの中にいる絵がある。題名は『石羊』だったと思うが、この平原はカルスト高原の一部をそのまま切り取ったものであると思えた。芋銭のカタログは1階に置いてあるので今確認する気にはなれないが、芋銭はこの絵を描く前に山口のこのカルスト高原を訪れたことがあるだろうか。あるいは中国の故事に石灰岩を羊に見立てる話があるのかもしれない。それはどうでもいいのだが、自然の奇岩を動物に見立てるというのいはよくあることにしても、多くの石灰岩の塊を羊とするのはなかなか詩的でいいではないか。本当にそんな風に見えるのかどうか確認したいと思ったのだ。そしてわずか12時間前にそのカルスト高原に実際に立った。風通しのよい高原のはるかかなたまで無数に見える石灰岩はどれもみなうす汚れた灰色をしていて、羊とするにはやや詩情が不足した。添乗員によると、環境汚染が原因で汚れて来ているとのことであった。しかし今後も観光客が減ることはないだろうから、灰色はますます気色悪く黒ずむかもしれない。「羊」は「祥」の意味を兼ねるそうで、干支が羊の今年カルスト高原に立ったのは縁起がいいのかもしれない。さて、もう3時前だ。この調子では朝になってしまう。旅行のことについてもっと書きたいことはあるが、その一方で筆者の安い一泊旅行などたいしたドラマがあるはずもなく、みんなどうでもいいことのようにも思える。旅館ではイラク攻撃のニュースを熱心に見た。そんな戦争が一方であるのに日本は平和で、団体のバス・ツアーが高速道路を使用して毎日運行中だ。何でもイメージできてしまうと言ったが、爆弾が無数に落ちて来るこの戦争だけはできはしないし、したくはない。続きはまた明日。
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by uuuzen | 2010-01-19 00:25 | ○嵐山だより | Comments(0)


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