●ウィロー・パターンのコーヒー・カップ
りのよいコーヒーほど気分よくさせるものはないが、筆者が毎晩飲むのはスーパーの安売りだ。それでもさまざまなメーカーのものを試していると、たまにちょっとはましかと思うものに当たる。



d0053294_13328.jpg高価なものがいいのに決まっているが、普段飲んでいるものの数倍の値段となると、貧乏性のため、つい我慢してしまう。さて、コーヒーで一息ついたところだが、今日はコーヒー・カップの話をしよう。中国の物語を題材にしたエロール・ル・カインは、そうした中国らしい模様や絵画をどのようにして知ったかと言えば、おそらく陶磁器ではないだろうか。あるいは、中国を題材にした芸術はカインよりもっと昔、たとえばヨーロッパで中国趣味が流行した18世紀半ばにすでに顕著であったし、そうした風潮を受けて19世紀になると、さまざまなイラストによって中国の人物や風物がどういう形をしているかは人々がよく知ることになっていた。カインの中国を題材にした絵本はその歴史の延長上に位置し、資料集めにはさほどの苦労を伴わなかったとも考えられる。また筆者が知らないだけで、ヨーロッパ以外の国々を題材にした絵本は20世紀半ば以降それなりに描かれて来ていて、カインは1次資料よりもそうした先人の絵本という2次資料を研究したのかもしれないが、1次も2次も把握していたと考えるのが妥当だろう。それはいいとして、昨日紹介した『ね、うし、とら……十二支のはなし』には興味深い場面がある。まず、中国の犬は大体狆と相場が決まっているが、カインはその絵本ではきちんとその辺りを踏まえている。また、鶏は若冲が描くものに似ているし、虎は絵本の1ページ大に大きく描かれ、李朝の虎図、あるいはそれを下敷きにした日本の江戸時代の虎絵を思わせるが、ともかくカインが東洋の絵画をよく見てそうした絵を導いたことがよくわかる。そして、狆が出て来る場面では、王がその横に描かれ、その背後に家屋と樹木が見えるが、それが日本でも馴染みのウィロー・パターン(Willow Pattern)の陶磁器模様から引用したものに見えるのが実に面白い。つまりカインにとっての中国はやはり訪れたことのない異国であったが、普段使用するコーヒー・カップなどで日常的に国土のイメージを夢想出来る立場にあった。ウィロー・パターンを知らない人はいないと思うが、筆者が最初にそれを使用したのは大阪に住んでいた10代半ばの頃で、母がどこかから買って来た数客のコーヒー・カップであった。まず最初に青1色のものを使用し、そこには確か野原で走り回る数人の唐子が描かれていたと記憶するが、人物も描かれるウィロー・パターンであったかもしれない。割れ物であり、そのうち全部なくなってしまったはずで確認のしようがない。その後、母は同じような中国模様の、もっとカラフルなものを1客だけ買って来た。これをほとんど筆者は専用し、ネスカフェのインスタント・コーヒーや紅茶を飲むのに使ったが、京都に住むようになった時に持参しなかった。それで2、3年前に母や妹に訊ねると、その後妹が持って行って、今は妹の旦那がそれを使用していることがわかった。急に筆者がそのカップを思い出したのは、5、6年前にひとりで大阪の道具屋筋商店街を歩いている時、とある店の通りに面した食器コーナーにそれと同じものが1客だけ確か2980円かで安売りされているのを見たからで、その時は30年ぶりに思い出して懐かしく、まだ同じものを売っているのかと、とても感慨深かったのだ。そして、ひょっとすればまだ大阪の家にあるかと思って母に訊ねたが、妹の旦那が喜んで使用しているならばそれを奪って来ることは出来ず、またいくらでも入手出来るはずと思ったのだ。
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 母がそのカラフルなカップを買って来た理由はわからない。母は茶やコーヒーなどが好きで、よくそうした食器を買って来たものだが、その模様が好みであったというより、陶器店で最もよく売られていてすぐに目についたからだと思う。今見るとかなりレトロな雰囲気だが、それは筆者が10代の頃でも同じで、母が最初に買った青い染付けの唐子模様、あるいはウィロー・パターンのものはいかにも戦前、あるいは100年ほど昔のものに思えた。だがその直観は正しく、実際のその頃に盛んに作られたものなのだ。そして、母が買って来た今度はカラフルなウィロー・パターンはNIKKO製で、カップの裏底にはキミドリ色でダブル・フェニックスのロゴ・マークが印刷されている。商品名は錦山水と言って、現在も同じものが量産されている。1客4000円程度だったと思うが、30数年前はいくら程度であったのだろう。貧しい母でも買って来ることが出来るほどであったのは間違いないが、当時は今と同じくさまざまな形のコーヒー・カップが売られていて、そんな中から母がそれを選んだのは好みがわかって筆者としては興味深い。血は争えないと言おうか、筆者は母と似て派手好みで、その模様と色合いは大好きなのだ。さて、NIKKOがウィロー・パターンのカップを製造したのは、戦後主にアメリカに向けての輸出品であったはずで、模様はそっくりイギリスの製品を模した。別段登録商標されている模様ではないので、それを模写して同じようなものを作ってもどこからも訴えられない。そのため、NIKKOだけではなく、またそれに先んじて日本各地で同じ模様のカップや皿などがたくさん作られた。輸出品もあれば日本国内で売られるものもあり、そのうち時代が落ち着き、またモダンな形や色合いなど、新しいデザインのものが次々に登場して、ウィロー・パターンのカップを作り続ける会社は減少したが、NIKKOだけが最後に残った形だ。ネット・オークションを注意して見ていると、戦後間もない頃のNIKKO以外の、名の知られないメーカーのウィロー・パターン商品が続々と見つかる。それらを熱心に収集しているコレクターが特に海外に多いようだが、海外にまで範囲を広げると、おそらく何千種単位で商品が存在するだろう。それほど普遍的な模様で、しかも全部がヴァリエーションと言ってよく、最初の商品がどれかはわからない。いや、研究者によればそれは大体把握されているのかもしれないが、結論から言えばNIKKOの商品とほとんど大差ないはずで、描かれるべき要素はそこに全部入っている。
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 この2年間、筆者は30年以上のブランクを埋めるがごとく、ウィロー・パターンの磁器を数種入手した。もちろん錦山水も買ったが、新品であるので金泥がくっきりと光っていて、それがかえって日常的に使う気になれない。妹の家で確認していないが、筆者が30数年前に使っていたものは、きっと金泥は全部剥がれ落ちているだろう。また、写真ではわかりにくいが、模様のベースは柿茶色で、その落ち着いた味合いが絶妙なのだが、そこに濃紺、萌黄色、そして金泥が使用されている。カラフルと言うにはかなり語弊があるが、それでも藍色1色のものよりはるかに華やかで錦と呼ぶにふさわしい。模様はソーサーを見る方が全体像がよくわかるが、同じものがカップにも展開されている。縁取り模様は七宝つなぎで、それを松皮菱で切り取って別の小さな充填模様が描かれる。カップの握り手は筆者の人差し指がちょうどすっぽりとはまる大きさで、これは手の大きな人には小さいかもしれない。そこが難点と言えるが、筆者には誂え向きだ。さて、この錦山水のことを去年母に話すと、全く記憶にないと言う。だが、母はおもむろに立ち上がって、数客の新品のコーヒー・カップの入った箱を棚から取り出した。大阪から越して来る時に持って来たもので、いつかわからないが、昔買ったものと言う。筆者は見覚えがないので、筆者の知らない間に買ったものか。取り出した1客を見て驚いた。青色のウィロー・パターンのコーヒー・カップで、カップ裏には「九谷」の文字がある。絵を転写した量産ものである点はNIKKOのダブル・フェニックスと同じだが、やや小振りで、特にカップ、そして把手の形がかなり違う。遅くて昭和30年代前半の商品であろう。母は使わないと言うので、1客もらって帰ったが、母はウィロー・パターンのことを知らずに、ウィロー・パターンがお気に入りのようだ。転写と書いたが、青色1色のこうした緻密な模様の陶磁器は西洋の銅版転写の技法で量産出来るようになった。最初は更紗などの布地であったが、やがて陶磁器の曲面にも同じような模様が表現出来るようになった。その技法はよくは知らないが、銅版のローラーで紙か何か平面に釉薬で刷り、それを陶磁器の表面に貼りつけるのだろう。この捺染技法は、現在のたとえば写真をそのまま布地に印刷した幟旗の商品などに見られるものに応用が進んで行ったが、人間が1枚ずつ手描きするには膨大な時間を要することを、切れ目のないローラーに模様を刻み、それで生地に刷ることで模様のつなぎ目のない商品を作り上げることを考えたところに、産業革命をなし遂げたイギリス、ヨーロッパの技術の面目がある。そうした銅版転写を曲面に使用する場合、どこかに皺が寄り、その部分の模様がずれたり切れたりするが、そういう商品はよく目につく。だが、NIKKOの錦山水のどこにもそういう模様の撓みなどは見られず、どのようにしてこのような繊細な模様を歪みなく磁器肌に転写しいるのかはわからない。企業秘密と言うほどのものではないだろうが、それでも会社によっては雑なところもあったりするはずで、NIKKOが現在も作り続けているのは、それだけ仕上がりが秀逸であったからではないだろうか。
d0053294_161569.jpg NIKKOの錦山水は、ウィロー・パターンの豪華版として後に考え出されたものだろう。最初は染付け、つまり青1色のブルー・ウィローと呼ばれるものであったはずで、その原点は中国製にある。ウィロー・パターンとわざわざ英語で呼ぶからには、この模様を広めたのがイギリスであることがわかるが、イギリスは18世紀のシノワズリのブームに乗って中国模様の陶磁器の量産を考えた。かつて中国の陶磁器はヨーロッパでは貴族が愛好する貴重品で、そこに描かれる中国模様から異国情緒を想像して楽しんでいたが、18世紀末期の大衆社会になると、紅茶を一般人が嗜むことになって、白い磁器肌に青色で中国模様が染付けられた食器が一般に広まることになった。ウィロー・パターンはその名のとおり、柳が描かれているが、柳はいわば添え物であるかもしれない。ウィロー・パターンの絵模様は、楼閣、小屋、舟、2羽の鳥、橋とその上を歩む3人など、いくつかのお決まりの要素からなる。そして「ウィロー・パターン・ストリー」という本もイギリスでは出版されているが、この物語はこの模様をロマンティックに絵解きするもので、どこまでが中国で作られたものかどうかわからないが、イギリスの陶器メーカーがウィロー・パターンを売り出すために作り上げたものとも言われている。メロ・ドラマによくある、親の無理解による悲恋で、愛し合うふたりは最後は自殺して鳥になるという話だ。そして、その物語を知ってから改めてウィロー・パターンを見つめ直すと、今まで漠然と見ていた模様がいきいきとし始める。そして、次には別の会社、別の時代のウィロー・パターンを見たくなるから不思議だ。筆者はその収集家になるつもりはなく、せいぜい自分でウィロー・パターンを染色で表現してみようかと思う方だが、それほどにこの中国模様は洗練されている。NIKKOのウィロー・パターン商品では錦山水や青色だけではなく、ローズ色のものもあって、それも買ったが、青色が男用、ローズ色が女用と分けるのはあまりに陳腐な感じがして、青とローズを一緒に使わないようにしている。また、NIKKOでは現在作っていない形の湯飲み茶碗やマグ・カップなどあらゆる形のものがあり、それらを集めるだけでも楽しいかもしれない。ただし、錦山水の色合いのものは、コーヒー・カップしかない。これが残念で、筆者は丼茶碗もほしい。本家のイギリスのカップや大きな皿などもネット・オークションで簡単に出会うことが出来るが、錦山水はNIKKOのみで、筆者はこれが一番いいと思っている。この色合いは日本以外には生み出せない、あるいは好まれないのではないだろうか。イギリスのMASON’S社が紅茶を入れて販売していた壺も入手したが、これも同じ模様でローズ色がある。このMASON’Sのものは模様がかなり大胆で、NIKKOのものとかなり違った味わいがあって楽しい。それはイギリス人が想像した中国で、それは日本が思う中国とはかなり違うが、日本のウィロー・パターンは中国の本家のものを模したのではなく、イギリスがデザインしたものを模したので、話がややこしい。そしてイギリスが最初に模した中国のウィロー・パターンの原型がどれかだが、そんなものはないのだろう。イギリスはさまざまな中国の陶磁器模様を見る間に、代表的あるいは好みの模様を選出し、それらを元に誰が見ても中国的と感じる典型を作り上げたのではないだろうか。そして、その態度はエロール・ル・カインにそのまま受け継がれたはずで、またカインの十二支の絵本におけるウィロー・パターン的な一場面は、カインがウィロー・パターンの食器を日常的に使ってよく知っていたことを思わせる。そして、最近の躍進する中国が、そのうちNIKKOの錦山水を模して、本家のウィロー・パターンを生み出すと思うが、カインはそれを見ればどう思ったかを想像すると面白い。単なるコーヒー・カップの模様に過ぎないが、そこには世界を巡る歴史が組み込まれている。
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by uuuzen | 2010-01-09 01:07 | ●骨董世界漂流記 | Comments(0)


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