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●『僕の彼女を紹介します』
2日前の夕方、祇園会館で韓国映画を2本観た。その1本目について今日は書く。去年だったはずだが、同じ映画館で『猟奇的な彼女』を観た。



●『僕の彼女を紹介します』_d0053294_1257168.jpg同じクァク・ジェヨン監督の作品で、同じ女優のチョン・ジヒョン(この名前はどうも『悪い男』のチョ・ジェヒョンと紛らわしい。ハングル表記ではそうではないはずだが、片仮名にすると覚えにくくて困る)が出演しているので、その続編的な感じかとの先入観があったが、観終わった感想としては今回の『僕の彼女…』の方がよかった。ところで「僕」はいつもぼくは「ぼく」と書くので、ネット検索では「ぼくの彼女」としてしまいがちだが、これは間違いだ。今回の作品の方がよかったというのは、きっとホロリとさせられる場面が後半にいくつかあったことによる。やはり、感動とは涙を流す感情と強いつながりがある。しかし『猟奇的』よりもよかったと思えるのはそれだけではなくて、女優の演技が前よりも上手になっていたこともあるし、『猟奇的』以来、この監督の作品のタッチに慣れていたためにもよるかもしれない。『猟奇的』は妹からもう3年ほどになるだろうか、とにかくずっと前から面白い映画だと聞いていた。それが去年祇園会館で上映されたとすれば、フィルムが二番館に回って来るのがかなり遅かったことを示す。それだけ日本での人気が高く、各地で上映され続けていたに違いない。今回の『僕の彼女』も妹から感想は聞いたが、『猟奇的』を観ていればこそわかる面白い仕掛けが最後にあると言っていた。それは『猟奇的』の男優チャン・ヒョクが最後にチョイ役で姿を見せることで『猟奇的』のファンを喜ばせるちょっとした工夫なのだが、このことに対してネットではよけいなことという意見があるが、筆者は全くそうは思わない。よけいな場面をわざわざ編集で入れるような監督ではないと思えるからだ。それがそうあるのはそれなりの理由があってのことで、その理由を観客が考えれば、また映画の別の側面が見えて来る。これは映画に限らずどんな造形作品にも言えることだが。ところで、筆者はチャン・ヒョクとチョン・ジヒョンが一緒に出演したTVドラマ『HAPPY TOGETHER』を2か月ほど前に観たので、『僕の彼女』にふたりが出ていることは『猟奇的』を観た時よりも親近感が湧いた。このことも今回の映画の方がよかったと思える理由だろう。何でも知れば親近感が湧くものなのだ。
 『僕の彼女』はTVでも宣伝されて大いに話題になったが、それにしては二番館では有名な祇園会館に回って来るのがかなり早い。その意味でこの映画が『猟奇的』ほどにヒットしなかったのかと思うが、そうした詳しいデータを調べる根気がなく、ここでは想像で間に合わせておく。『猟奇的』はもうどのような内容だったか、あまり思い出せなくなっているが、いずれまたもう一度TVで放映された折りには観たい。一度観ただけではわかりにくいとの記憶があるからだ。それは今までにあまりなかったハチャメチャぶりの構成で、筆者のような50代の人間にとっては斬新過ぎるというか、とにかく観ていてどうもついて行けない違和感を覚えた。それが何であり、なぜそうなのかはもっと時間が経たなければわからないという気もしている。そういった思いがあるので、『僕の彼女』を観る前から、一種の憂鬱とまでは言わないが、一体何を見せられるのかというおののきに似た気持ちがあった。どういう内容かは全く知らずに映画館に行ったが、結果的にはそれがよかった。今ではネット情報が映画を観るより前に先に入って来ることが多く、映画を純粋に楽しめなくなっている。昔のように自分だけが観て気に入った映画という気持ちを持つことが最初から奪われているこの状態は、あまりいいものとは言えない。映画はなるべく世間の評判を知らず、予告編も観ないままに接する方がとにかく新鮮でいいのだ。とはいえ、新聞でもこの映画の広告はしばしば載り、チョン・ジェヒョンが顔をやや傾けた写真が否応なく脳裏に擦り込まれていたから、どうしても前の『猟奇的』が浮かんで仕方がなかった。またあのような活発な女性として出演しているらしいから、二番煎じは免れないかなと思ったが、共演の男優が違うこともあって、前の映画を引きずることなく、全く独立した映画として楽しめた。
 だが、やはりこの監督独特の共通した構成、描き方はある。それはどう表現すればよいか、つまりは韓国語として日本でも昔から定着している「チャンポン」、すなわちごった煮の味わいと言ってよいかもしれない。韓国のTVドラマが視聴者の意見を受け入れて脚本を変更することは、日本から見ると何でもありの御つごう主義に映るが、それに近い感覚を受けた。どのようにでも話が展開し得るという一種曖昧なゲーム感覚、あるいは現実味が欠如した夢のような感じと言ってもよい。おそらくこの映画を全然別のあら筋や結末として編集し直すことも可能であろうし、そのようにしてもそれなりに話題になるだろう。そのいくつも考えられる道筋のひとつを選択し、とにかく面白くまとめたという感じがする。それはよいか悪いかの問題ではなく、そのような感覚を持った監督が出て来て、そして映画がそれなりの大金をかけて作られ、爆発的にヒットする世の中であるということを認めざるを得ず、いつの間にか世の中が大きく変わっていることを改めて思い知らされる。これはたとえば『八月のクリスマス』ではそういう思いが起こらないから、韓国映画界から出現した新時代の才能としか言いようがないのかもしれない。ただし、また断っておくが、それが好きか嫌いもここでは言わないおく。
 映画というものの可能性を考えると、このような曖昧なとでも言える内容の作品が登場することは充分予想出来る。あるいはそれしかむしろ方法がないとも筆者はずっと思っている。もう10年もっと前になるが、友人にこんなことを言ったことがある。それは、ひとつの映画は大体ジャンル分けされているが、登場人物は当然同じにしてホラーやアクション、ペーソスにラブ・ストーリー、それに社会派の視点やポルノまでも包含したようなごちゃまぜのジャンル分け不能の映画が撮影出来ないかという考えであった。そんな映画は現実的には不可能としても、いくつかのジャンルの特徴を混ぜることは出来るし、そういう作品はすでにたくさんあると言ってよい。ディズニー・アニメをキャラクターをそっくり引用してポルノ・アニメとして地下で作られたりしていることを思えば、誰しもある映画を本来それが作成されている枠にはめずに、人間の世界そのままになぞらえたように拡大化させてみることは想像の中では行なえる。そして、人のそうした欲望に沿って、前述の筆者の考えのような、ありとあらゆるジャンルをひとつの映画の中に投入してみればどうなるかだが、これはコンピュータ・ゲームにおけるヴァーチャル・リアリティ感覚の増加から必然的に生まれて来る思いであって、それは新しい映画のジャンルとして今後増加するのではないかとの変な予感がある。『僕の彼女』はそんな筆者の思いをふと連想させるもので、画面を観ていて次はどういう展開になるのかが読めないところが面白くもあり、また不安にもなって落ち着かなかった。
 観客の気持ちをそのような状態にして映画の中に丸ごと引き込もうと監督が意図しているだとすれば、これは大変な才能と言ってよい。映画とは暗闇の中に輝くスクリーンを利用して元々そのように観客を全身で引き込まねばならない娯楽であって、その2時間かそこらの時間を夢状態でうつつを忘れさせるのが役割とも言える。映画はどれも夢物語に過ぎないと言えるが、『僕の彼女』はそれがより累積されていて、現実感が非常に乏しい。それは言い換えれば漫画的ということだが、日本のアニメが世界中に拡散している現在、それがたとえばこの監督に何らかの影響を与えていると考えるのは、全く的外れでないどころか、この作品を分析するのに最も近道であるとも思える。漫画ならばどのような突飛な展開も許せるし、それがまた痛快な理由にもなっているが、実写映画でもそれと同じことが出来ることをこの映画が如実に示している。また、漫画は観終われば、ああ面白かったでおしまいだが、この映画もまさにそれで、倫理的なことや教訓的な何か伝えるために、あるいは何かを告発するといった考えで作られてはない。そんな場面が皆無とは言わないが、あってもそれは漫画特有のおおげさで型どおりの古典的な描き方をされているあまり、結局は後々にまで残るべきものではないし、物語の単なる添えものに終わっている。
 それでは、ああ面白かったで終わりの映画がよくないのかと言えば決してそうではない。もしそうだとすれば筆者がわざわざここで書くこともない。何かここで書いておきたいと思うのは、この映画における今までにない不思議さだ。漫画的だとしたら漫画で代用してしまえることになるが、そうは出来ないものを持っている。映画の後半で、主人公演ずる婦人警察官が、向こうからやって来る赤いスポーツカーを銃で撃って横転させ、それがひっくり返って漏れ出たガソリンに引火し、車が爆発する場面があった。その時のチョン・ジェヒョンは抜群のスタイルのよさも相まって、あくまで格好のよい女警察官であり、それこそ漫画のワン・カットそのままであった。漫画で描けば簡単なことを何とも甚大な労力を使って撮影しているところに、女優の格好よさとは別に観ていて感心することしきりであった。このようなことはアメリカ映画では昔からあたりまえのことになっているが、韓国映画でもいつの間にかそうしたセンスをすっかり体得し、全然ちゃちには見えなく仕上がっているところに、これまた韓国映画の底力を確認した。そのシーンはごく一例だが、ほかにもお金をかけていると思える場面はたくさんあった。全体としてこの映画がカット毎にかなりこだわって撮影されているのが改めてわかる。そして、そのように周到に撮影して編集しているのに、それを観客にあまり深く考えさせるまでもなく、猛烈な速度で一気に消費してしまう潔さのようなものが漂っている。名作として世に残すといった気概などはハナからなく、ただたくさんの人に観てもらって楽しんでもらえればよいというエンターテインメントこそ命といった監督の思いが伝わるが、そうした腹の括り方というものが、逆にこの映画を100年後には時代を明確に示すとして評価を定めているかもしれない。芸術を思わないからこそ、かえって逆に時代のあらゆる面を含んで後年になっても輝きを失わない芸術にみなされることはよくある。
 少々持ち上げ過ぎたかもしれない。話の展開は先に書いたようにどうにでもなるような捉えどころのなさがあって、ここにそれを書いても仕方がない気がするが、それは使用されていた音楽でも言える。冒頭のボブ・ディランの「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」の女性ヴォーカルによるカヴァー曲から、途中何度か流れていたサティのピアノ曲など、みなそれなりに場面を考えてよく選ばれているが、全体としてはあまりにもいろんなタイプの曲があって、映画の絵としての捉えどころのなさとよく通じていた。監督のお遊び精神の発露によって、ごく些細なシーンが実は監督の以前の作品とつながりがあったりするらしいが、そうした細部のこだわりは、監督がかなりマニアックな精神の持ち主で、それはこの映画が同じようなマニアックなファンを得るであろうことを予想させる。そうしたマニアックな世界は周到な調査や分析、計算が出来る者のみが本当は深く楽しめるもので、それは『冬のソナタ』の例からもわかるように、音楽や映像を総動員するドラマ映画にはもって来いの特性なのだ。細部はどれも古臭いものの焼き直しであるのに、全体として見ればその細部の総合以上の何か新しい感覚があると思えるのも、監督がマニエリズムの何たるかをよく心得ている証拠で、それは欧米の映画を徹底して研究した賜物であるのかもしれず、またポスト・モダン以降の必然のあり方を改めて思わせて、筆者には映画の内容そのものよりもそうした作られ方というものがとても興味深かった。そして、この作品は御つごう主義的に、言い換えればどう内容が転んでもいいような行き当たりばったりで作られたのではなくて、撮影時の閃きや即興までを含みつつ、それを必然に転化しながら全体をこうでなくてはならないところにまでまとめ上げたものであることだろう。確かに少々くどいと思える場面が少なくないが、それは韓国ドラマにも共通して現われる要素でもあり、監督の計算のうちと考えたい。スピード感と回りくどさが同居した印象というものもまた、前述の筆者の言うあらゆるジャンルの混在と同義であって、映画を雑多な夢のようなものにすることに貢献している。これが全部すっきりと整理されれば無味乾燥になるだろう。最後にひとつ。誰か重要な人物が死ぬという点は『八月のクリスマス』に共通していて、それで泣かせるのはあまり筆者の好みではない。だが、70年代初めのアメリカ映画の『ラブ・ストーリー』に典型的にあったように、若い世代ならまた別の感情で見るだろう。いつの時代でも若い世代は存在するから、同じような愛と涙の青春映画は永遠に作り続けられ、そこに夢を見る必要がある。ただし、いつの時代でも作品は同じようでいて確実に時代ならではの刻印を受ける。したがって、繰り返すが50代前半の筆者には映画の泣いた笑ったの内容よりも、その奥にあるものの方がはるかに興味深かった。それは年月が経つにつれて明確になって来るもののような気がしている。
by uuuzen | 2005-06-23 17:07 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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