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●『美しく生きる 中原淳一展』
レイユという言葉を知ったのは少年期だったが、それが「太陽」であることは知らなかった。京都にソワレという名前のレトロな喫茶店があるが、どうやらフランス語が日本ではやった時期があるようだ。



●『美しく生きる 中原淳一展』_d0053294_18172980.jpgそう言えば志賀直哉だったか、日本は日本語をやめてフランス語を使う方がいいとか発言したこともあった。それにしてもソレイユもソワレも日本語で使われるとどこか湿った色気が漂うが、それはそうした言葉が日本ではやった時期のその使われ方が影響している。京都のソワレという喫茶店は中がかなり暗く、何十年も時間が止まったようにそのままの設えであるような気がするし、中原淳一の雑誌『ソレイユ』も筆者が色気づく年令の頃にはもう過去のもので、とても古臭いものに思えた。それは大正時代のハイカラな叙情性に直結するもので、戦後日本の高度成長期以後とは隔絶している。今回の展覧会は神戸大丸で開催され、9月23日に見た。何年か前に大阪や京都でも開催された際には行くことが出来なかったので、今回はぜひにと思った。これだけを見るのに京都から神戸に行くのはかなりもったいないので、ほかにも目的をいくつか作って全部こなしたが、やはり一度は中原の作品をまとめて見ておくのはよい経験であった。家内は以前中原の作品展を見たことがあると言うが、それは中原の個人展ではなかったはずだ。内藤ルネ展を去年だったかに見てこのカテゴリーに書いたので、その関連からしても師匠格の中原を省くことは出来ないとも考えた。さて、中原淳一の顔は今回初めて写真でまともに見て知った。中原の名前は昔から知っているが、宝塚の男役で名を馳せた葦原邦子が妻であるということの方が先に立ち、中原はその陰に隠れた存在であるような気がしていた。そして、筆者にとって葦原は太った笑顔の優しいおばあさんという役柄しか知らず、それが中原が描く目がぱっちりとした女性たちの表情とはどうにも結びつかなかった。家内は10代半ばに宝塚歌劇のファンだった時期があり、雑誌をよく買ったりもしたので、宝塚の俳優については詳しい。だが、戦前のとなるとどうだろう。葦原邦子は男役であったというが、晩年のおばあさん役の顔からは若い頃の風貌が想像しにくい。中原は葦原と結婚して子どもを数人もうけたが、葦原のどこに惚れたのだろうといったことも漠然とした謎としてあった。今回の展覧会では葦原が登場して主人について語るビデオが上映されていたが、あまり見なかったし、また見ても月並みな内容ではなかったと思う。内藤ルネが同性愛者であったことは中原もどうかという疑問を自然に生むし、実際その疑問は中原の描く女性たちを見ていると正しいように思えて来る。今回の展覧会では当然のごとくそのあたりのことは何も触れてはいなかったが、中原の写真を何枚か見ると、そのどこか女性的な優しい雰囲気から同性愛者であったことは何となく想像出来る。結婚して子どもがいたとしても、男も好きであったことは矛盾しない。そういう同性愛者もいる。
 筆者は宝塚歌劇には全く関心がないので想像が及ばなかったが、葦原が男役のスターであったことは中原と馬がきっと合ったのだ。一概に言えるかどうかわからないが、男役を見事に演ずる女優ほど実際の性質はさばさばしているであろうし、女性っぽい女性からも人気があるだろう。宝塚歌劇はそう考えるとかなりエロティックでしかも倒錯した世界に接していると言えるが、中原が葦原と結婚したのは、葦原の男っぽい雰囲気がよかったのだろう。中原が女性っぽい男性であれば男っぽい女性と釣り合うはずで、その関係が少しずれると、中原が男そのものに関心を抱くことにもなったろう。中原が同性愛者であろうとなかろうとそれは作品の質には関係がないという見方があるし、実際そのとおりだが、中原の描く女性を見ていると、女性らしい女性や男性っぽい女性など、とにかく女性性の深さをどこまでも知ろうとすることに取りつかれたようなところを感じ一方、伊藤晴雨の描くような女性を縛り上げる責め絵を思ったりもしてしまう。それは女性の玩具性と言えばいいものだが、面白いことに今回の展覧会では10代終わり頃に中原が作った男女の布性の人形が数体展示された。玩具性は意味を変えて内藤ルネではさらに進化し、キャラクター・グッズに結びつくが、中原における女性の玩具性は、どこまでも従順で優しいといった男から見た理想の女性像におけるそれであり、そこにエロティックさを感じる。それは昨今のロリータ的SMの暴力的な世界とは全く違うもので、戦前の道徳教育を受けた者に特有と言ってよいのかもしれないが、何かに対して清潔な気持ちが裏打ちされた恭順な姿勢だ。つまり、中原の描く女性像は戦前の昭和時代が生んだもので、昨今のポルノにすっかり世界が染まった後に描かれるあらゆる女性像とは一線を画している。もちろん中原の時代にもポルノ画像は入手出来たが、現在のような野放し状態ではなかったし、まだ人々は表向きの建前をもっと支持して、清潔や上品という言葉が死語にはなっていなかった。今はそういうものがほぼ完全に崩壊して、大和撫子は絶無状態になったから、かえって中原の描く女性が清新な印象をもたらしているとも言える。だが、先に書いたように、そこには宝塚歌劇に潜む倒錯性と踵を接し、表向きに対する裏側のめくるめく性といったものを想像させかねない、つまり今風に言えば「危ない」感覚が張りついてもいて、かわいい幼女相手の無害のイラストとは全く違う大人じみた香りを濃厚に漂わせている。中原が描く女性は目が大きく、その中に星の輝きがあって、その後の少女漫画に規範にもなったが、目が大きいのは竹久夢二の絵がそうで、瞳を大きく描く表現することはどうやら洋行が盛んになった大正時代に発端がありそうだ。当時にはすでに少年少女向けの雑誌があったし、そこには絵が求められたから、川端龍子もそうだが、画家が収入を得る手立てになった。そうした雑誌へのイラスト仕事を中原は10代に作った人形の個展を東京で開催して以降手がけるようになる。つまり、新しい才能として人気を得たのだ。ところがやがて戦争に突入すると中原の仕事は認められなくなる。今回の展示にもあったが、中原は軍の工場に勤務して、その間は絵を描いていない。中原にとっては屈辱的な時期であったろう。その時期の心境を述べた記録があるのかどうか知らないが、軍国主義に染まって男っぷりが持てはやされた時代、中原はほとんど日本男児として認められない思いをしたのではないだろうか。わずかな写真の頼りない表情はそれを物語っている気がする。
 だが、戦後は一気に中原の才能が開花する。まず雑誌「ひまわり社」を設立して雑誌『ソレイユ』を昭和21年に発刊する。紙不足の時代であったが、人気を博して10数年間続ける。題名は『それいゆ』に改められるが、この片仮名表記を平仮名にするというセンスは今では珍しくないが、なかなかのものだ。『それいゆ』の人気を得て後に『ジュニアそれいゆ』も発刊するが、『ジュニア・ソレイユ』では英語フランス語混じりでぱっとしないので、ソレイユの平仮名表記は必然性があった。筆者は貧しく育ったこともあって、家の中にば雑誌の1冊もなかったが、『それいゆ』の終刊は筆者が9歳で、おぼろげにどこかでこの雑誌を見た記憶がある。幼い頃の筆者はよくあちこちの親の知り合いの家に連れて行かれ、その中には筆者より年長のお姉さんがいたり、また洋服の仕立て屋もあったが、確かそうした家でその雑誌は何冊もあった。中を見ても理解出来ないにしろ、中原の描く女性イラストは強烈な印象をもたらし、意識しない間に筆者にはそれが時代最先端の女性の風貌のように思えていた。そして、日活の女優の浅丘ルリ子がどう見ても中原の描く女性そっくりであることも思ったが、それはほとんど50年経った今も変わらない。今回の展示でその点に関してひとつ氷解したことがある。『それいゆ』は毎回当時の新人を含め、人気俳優を紹介するページを設けたが、それらの中にデビューしたばかりの浅丘ルリ子の写真があった。ただし、その顔はまだ中原のイラストとは全く違う。ところがその後浅丘は急速に化粧を中原のイラストに似せたのか、ほとんど中原描く女性そっくりになる。筆者は中原が浅丘の影響を受けたとばかり思っていたが、全くの誤解で、話は逆だ。『それいゆ』の威力があまりに強く、その典型的イラストを女優が模倣したのだ。ここには後の、つまり現在の「萌えブーム」につながるものがある。漫画で増長されたイメージを人間がなぞるという傾向は、洋風化に晒され、欧米化を推し進めた大正時代の日本がまず始め、それを昭和時代に中原が受け継ぎ、60年代以降は数々の漫画家が担ったという図式だろう。
 今回の展覧会の副題にある「美しく生きる」という言葉だが、会場には中原の言葉がたくさん展示されていた。『それいゆ』は戦後物資が不足した中、いかに工夫して自分で服を塗ったり、また身の回りを飾ったりするかということを特集したが、理想的な少女の部屋として、台所やミシン、本棚などが効率よくセットになったような家具を提唱したり、そこには日本の狭い家屋の中でいかに清潔にかつ美しく暮らしを飾るかという意識がよく表現されている。これは『それいゆ』の表紙の化粧した女性の表面性だけからは想像しにくいことだ。女性をそのように描く才能はいくらでもあるだろうが、生活の方針にまでそれを結びつけて考える美意識というものはほとんどないのではないだろうか。戦後の貧しい時代であったからという理由ではなしに、そこには質素だがそれで充足した豊かさを感じる日本の伝統というものがある。その点においても中原はやはり昭和30年代以前の人物であった気がする。高度成長期になると物が溢れ、中原が理想とする小さな部屋ではそれらを収容し切れなくなり、人々は自分で作るより買う方が安いと考えるようになった。手作りをしている暇があるなら、その分働いた方がうんと物は豊富に入手出来るという考えは今なお支配的であろうし、手作りの品は超高級品か、あるいは人前では使えない恥ずかしい素朴なもののどちらかという思いもある。中原が思い描いた清く美しい女性はもう日本にはいないと言ってよいし、仮にいたとしてもそれを貶しこそすれ、讃えるような風潮はもはやない。今回の展覧会を訪れていたのは9割以上が女性で、しかもその9割が6、70代であった。ミシンなど使ったことがなく、針と糸を使うことも稀な女性ばかりの時代となって、みんな画一的な衣装を着て、同じような部屋に住むようになった。物は増え、便利にはなったが、清潔ではなく、また心が豊かになったとはとても言えない。中原は晩年の20年ほどを病に伏した。そのため作品は1970年代初頭までのものしかなかったが、当時はアメリカのヒッピー文化が日本でも盛んで、ファッションも大きく様変わりしていた。その頃に中原のイラストはもう時代遅れになったいた。筆者は中原のイラストを昭和30年代前半までの町の風景と一緒に思い浮かべる。そして、今改めて見直しても、その気分は変わらない。だが、それだけ時代に密接につながった活動が出来た中原は表現者として稀な成功者だ。中原は昭和26年だったか、筆者が生まれた頃にフランスで2年ほど暮らす。その写真がたくさん展示されていたが、筆者が思ったのは、当時の日本の貧しさに引き換え、中原の何とも豪華な暮らしだ。それだけ『それいゆ』が売れたのだが、出版を手がけて成功した場合の経済状態は筆者の想像を絶するほど大きいようだ。手作りでこつこつと身の回りを飾るような生活をする者にはまずそれは無縁であり、大勢の人々に商品が届くようなすべを考えるべきなのだろう。だが、それこそが中原以後の世代がこぞってやって来たことであり、一方で大量生産の画一化ももたらした。
 フランスに住んだ中原は「枯葉」や「パダン・パダン」など、シャンソンの名曲を日本語に翻訳し、それらが10曲ほど紹介されていた。中原はピアノの演奏も出来たそうで、そのピアノも展示されていたが、イラストだけの才能ではなく、とにかく美しい生活を追求した人で、その美のひとつに女性のあるべき姿があった。シャンソンの翻訳は原曲に必ずしも忠実ではないが、原曲のイメージを咀嚼したうえでの美しい日本語に置き換えたもので、その力量に驚いた。今のイラストレーターでそのような才能があるだろうか。会場では紹介がなかったが、中原は歌手の高英男と親密になり、日本のシャンソン歌手の草分けとして導きもし、芸能界とは縁が深かった。その意味でも晩年の20年ほどの活動停止は惜しまれるが、イラストの中原からもっと広い活動をした人として今後も評価の見直しは続くであろう。雑誌を介して名を遂げたという事実は、イラストのカラー印刷の向上ももあってのことだが、日本の印刷史との関係のほかに雑誌の歴史の面でも分析すべきであろう。中原は香川県出身だが、同じ県からは宮武外骨が出ている。ふたりの世代は大きな差があるが、外骨が亡くなった昭和30年は『それいゆ』の全盛期であり、雑誌の権威である外骨は当然それを知っていたに違いない。そして昭和30年代は週刊漫画雑誌が登場し、やがて少女漫画雑誌も生まれる。そこで育った女性漫画家は今では日本を代表する文化人となって、国立アニメ館の諮問委員のような存在になっている。また、国際語となった「かわいい」も元をただせば大正時代の叙情的イラストから中原という素地があってのものだ。「かわいい」に潜む倒錯した性もそうであり、中原の作品と人生からは考えさせられることがとても多い気がする。今思い出したが、ハンス・ベルメールの作品と中原のイラストを結ぶものが何かあるだろうか。バタイユならそんな主題を面白く考察したかもしれないが、性の世界にも中途半端な筆者の手にはあまる。
by uuuzen | 2009-10-05 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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