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●ほっこり祠
ごしやすい夏だったと過去形で書くのはまだ早いだろうが、今年は今日までクーラーを一度もかけることがなかったから、こんな夏はここ30年ほどは初めてのことではなかったかと思う。



そうなると今度は農作物の出来が心配ということで、その影響は毎日行くスーパーの野菜の価格で実感出来る。それでも夫婦ふたりで食べる食料は、珍しい食材を使わないのであれば、全くたかが知れている。それはもうあまりたくさん食べられない年齢になって来ているせいだろう。そのため、街中を歩いていて「食べ放題、飲み放題」の広告を見ると何だかぞっとする。食べ放題を毎日続けると、きっと誰でもすぐに癌になると思うが、食は薬にも毒にもなるのであって、最近はその毒の面をよく思う。食べ過ぎがまず毒であるし、あまりに遠方で採れるものを食べるのもそうだと感じる。「ご馳走」はあちこち走り回って食材を集めた食事を言うが、現代はそのあちこちがあまりにも広範囲になり過ぎて、地球の裏側から採れるものが自宅の食卓やレストランにかかわらず山盛りとなっている。その光景はどう考えてみても異常だが、誰もそう思わない。そしてそのことがさらに異常だ。そのつけは人間に大きくのしかかって来ると思うが、すでにそういう時代になっていると思う。となると、そういう毒的な食事から身を守るには、自分で野菜を植えるなりして自分で調理するしかない気がするが、それが無理なことをわかっている筆者としては、せめて安い食材をわずかに食べるという生活を選ぶしかない。筆者のように四捨五入すれば60になるという年齢になれば、頭で思い浮かべただけで何でもその気になれる才能が身につき、豪華な食事も思い浮かべるだけで食べた気になる。これは負け惜しみではない。本当にそうで、そうして思い浮かべた後は、何だがそれだけで満腹になって、そういう食事を摂るのは拷問に思えて来る。
 だが、食欲が減退したのではない。毎日空腹がやって来て何かを腹にかき込むし、どうせなら自分の好きなものとなる。その好きなものというのが、筆者の場合、全く安物の口に出来ていて、とにかく空腹感が収まればいいという感じだ。それはいつからだろうと思うと、特にこの1年ほど、よく台所で自分で何かを作ることになってからのような気がする。包丁さばきは大分うまくなった気がするし、第一、包丁で野菜の皮を剥いたり刻んだりしていると、その時間はそれなりに実に楽しい。蓮根、ゴボウ、人参、じゃがいも、里芋、そしてキノコ類などのいろんな野菜の「ゴッタ」煮が多いが、先日は2リットルの冷やしあめを2、3度作った。そのことはまた別のカテゴリーで書きたいと考えているが、遠い記憶を呼び覚まして、とにかく自分で本格的な冷やしあめを作ってみたかったのだ。そうした経験を重ねていると、食べるものは何でも家で作ることが出来る気になって来るし、実際かなりの部分それは正しい。それに、作れそうにないややこしい料理は、最初から食べたいとも思わない。そうして作ったものは、たとえ多少失敗しても納得して全部食べるし、変なものが入っていないので安心出来る。つまり、「食」を考え直すには、まず自分で作って食べるべきというあたりまえのことを実感した。そうなると、「食べ放題」など全く地獄の狂気の沙汰に思えるし、酒も買ってまで飲もうとは思わなくなった。そしてこの頃思うことは、毎日少しずつ少しずつ食べる量を減らして、最後は空気だけで生きられないかなと。はははは、つまり、筆者は仙人に憧れておるのじゃわい。空腹であれば何でもおいしいはずで、筆者が豪華な食事を思うだけで満腹になるというのは、ある意味では飽食で過ごして来たからにほかならない。その反省をこの年になってし始めているということなのだろう。天候がよくなくて野菜が高値になれば、筆者はまずます食べる食材を限定することになりそうだが、それもまた工夫を迫られると思えば楽しいではないか。「食べ放題」という工夫の乏しい食事ほど醜いものはないと思う。

●ほっこり祠_d0053294_22134721.jpg  2008年10月08日●第 69 話

祠があると何だかほっこりします。小さな祠ならなおさらです。マニマンの住む町中のそんな祠には、たいていスマイル地蔵さんが澄ましたスマイル顔で住んでいるのです。

●ほっこり祠_d0053294_22015881.jpg ●バイサオーちなみっ記 5

●ほっこり祠_d0053294_0263950.jpgマニマンは石の階段を駆け上がりながら、自分の住む町よりは5度は気温が低いと感じました。滝の水気によって階段が濡れているからなおさらです。振り返るとコマニはしぶしぶ後をついて来ます。マニマンはほっこりスマイルを浮かべて一息つきながら、祠をしげしげ見つめました。まだ比較的新しいもので、扉はしっかりと閉まっています。あまりに小さいので、コマニと一緒にそのままひょっこりと持ち上げて持って帰ることが出来そうなほどです。まさか内部にスマイル地蔵さんをお祀りしているものではないでしょう。背後の大滝が御神体ですが、流れる水を保存するわけには行きませんから、中は空っぽかもしれません。それとも小さな鏡くらいは入っているのでしょうか。マニマンは何だか物足りなく感じながらも、謎めいているところがありがたい神様なのだと思うことにしました。すると内心ほっこりして来るのでした。
by uuuzen | 2009-08-19 00:32 | ○お に お に っ 記 4
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